第31話 願いの島
「だいちゃん……?」
ただならぬ様子、とでも言うのだろうか。そう言うものを漂わせ、朝津明日花と呼んだ少女を見つめる大誠に、充はぎょっとして声をかける。
だが、彼は充が言い終わるのを待たずに彼女らの方へ歩いていく。まるで、充の声など聞こえていないかの様に思われた。
「みっちゃんも早く来な。置いてっちまうぞ」
――知りたいだろ? あの子のこと
数歩進んで振り返り、今度は普段と何らかわりない様子で、瞳で、大誠はそう充に言う。
目の前で、様々な物事が目まぐるしく展開しては過ぎ去って行く。
大誠の声に一瞬、充は前進するのを躊躇して、それでも、と、結局歩みを進めた。抗えない何かが、充に一歩目を踏み出させた。
目の前には、ロングヘアーの黒髪をたなびかせた、クールな小町のアバター。そして彼女と並んで笑い合う、明日花なるその人物。
これ以上踏み込んでも良いものか、知れば後戻りが効かないかもだ。頑なに理性が警鐘を鳴らす。触れてはならない存在を前に、まるで尻込みでもするように。
だが、充の研究者としての探究心は、知的好奇心は、大誠のたった一言により、理性を瞬時に打ち負かす。
とうの昔に、そんなもの忘れた筈だった。ユメカガクに合流することを拒み、同居人との関係を断ち、卒業後に自衛隊の門を叩いたあの日に、全てを一まで戻した筈だ。
それでも、忘れきれるものではなかったらしい。故郷も過去も恋も捨て、魂を削るが如く、知の狂獣の如く研究していた、あの頃の衝動は。
「……はじめまして、明日花さん。彼と同じく、大学時代に北条ラボで研究をしていた、北条充と申します」
二人の前まで歩んだ充は、丁寧にお辞儀した。
*
「……つまり話を纏めると、今の明日花さんは元々の明日花さんの脳波から作られたコピー、と言うことですか?」
「はい、そのとーりです! ねー、小町ちゃん?」
明日花はそう弾けんばかりの笑みを浮かべて、となりに座る小町に抱きつき頬擦りする。「ちょっと明日花ぁー」と言って迷惑そうに離れようとする小町本人も、満更では無いようだ。
四人は今、砂浜に大誠の出したレジャーシート風の青い布を敷いて座っている。
今回の質問やら確認で分かったことは大きく三つ。
一つ目は、花と明日花の間に血縁関係は無いこと。つまり、ただの他人の空似だった。
二つ目は、小町がR・I・N・Gに託した願いがANAHから本社に報告されたのは、島と明日花が再現された後、ようは事後承認だったこと。
そして三つ目は、この島も、明日花も、全てANAHが独断で生成したため、運営が確認したのはつい最近だと言うこと。
「……技術的特異点」
充はふと、そんな単語を口にする。
発達しすぎたAIがいつしか人類の知能を上回るのではないか。そんな議論は、何十年も昔から行われてきたことではある。
だが、まさかそれが現実にこの段階で起き、かつその成果が目の前に有るとは……充は、目が回るような思いだった。しかし大誠は、
「いや、まだその段階じゃない」
と、嫌に冷静にそう返す。
「脳波からコピーを作る実験は、すでに各国で行われていることではある。実際にヨルムンガンドも、アカウントとその持ち主の照合に脳波のパターンを使っている。指紋みたいに、個人差があるからな」
「それじゃ、俺の脳波もANAHに?」
「保存されているな。お陰で初期の頃は脳波の乱れが原因で正確に個人の特定が出来ずにログイン不可、なんて事もあった」
もっとも、今はそれも解決されつつあるけどな。と、大誠は言って時間を確認するためメニューを開いた。
まったく、恐ろしい話だ。そんなものが悪用されたらと思うと、少しゾッとする。ただでさえ、自分のそ知らぬ所でそんな風に使われているのだから、尚更だ。
「あっ、もうそろそろ時間だ」
ふと、大誠がしまった、と言った顔をしてそう呟く。研究室の貸し出し可能時間が迫っているらしい。
「あらま。それじゃあ、俺達はそろそろここで……今日はありがとうございました」
充は申し訳なさそうにそう言って、大誠と共に立ち上がる。この後、二人で大誠の泊まっている部屋で酒でも飲みながら、情報交換を行う予定だ。
「えぇー。もうちょっとお話したかったんだけどなぁ」
「後の事は私達でやっておきます。こちらこそ、ありがとうございました」
二人のそんな言葉に見送られ、充達はこの島を後にした。