メサイア
翌日の昼、タケオはシロを連れ、荒れ果てた街の路上を宛もなく徘徊していた。彼は紙コップを持ち歩いており、その中には何枚かの小銭が入っている。
「ギルバートさん……今日はいないのかな……」
タケオはまだ知らない。ギルバートが死んだことなど、知る由もない。彼は見つかるはずのない故人を探し、辺りを見回すばかりだ。
「ワン!」
突如、シロが鳴いた。それからシロはすぐに走り出し、タケオの方へと振り向いた。タケオは後を追い、街を駆け抜けていく。
タケオはある場所にたどり着き、驚きの声をあげた。
「え⁉ これって……まさか……!」
彼の目の前に飛び込んできたものは、巻物の形をした石像であった。シロはその石像の臭いを嗅ぎ、何やらそわそわしている様子だ。タケオはその意味を理解したのか、落胆するように膝をついた。
「ギルバートさんの嘘つき。ぼくとシロを安全な国に連れていってくれるって、約束したのに」
彼は泣き崩れ、シロを抱き寄せた。戦災孤児であるタケオには、もう頼れる大人など一人もいない。
一方、いつもの地下放水路には、いつもの五人が集まっていた。天音は優しく微笑み、守にはオートパイロットを、愛海にはトリプレイを手渡した。
「ほら。これで盗られた巻物は、二本とも回収できたよ」
相変わらず頼もしい女である。
「ありがとうございます……天音さん!」
「ありがとッス! やっぱり天音様は凄いッス!」
二人は天音に礼を言い、深々と頭を下げた。彼女の身にあったことを知らない守たちは、無邪気な笑みを浮かべている。そんな光景を前にして、柳は天音のことを気に掛けていた。
(天音の奴……本当はつらいくせに、愛想笑いなんかしやがって。人を二人も殺しちまったんだ……昨日の今日で、立ち直れるわけねぇだろうよ)
彼女はそう思ったが、あえて何も言わなかった。
*
その日の晩、夢玄はとある宇宙船基地を訪れた。彼は目の前の無人ロケットを見上げ、黒縁眼鏡とワイシャツを着用した科学者と話をする。
「Splendid, David. I was sure you would complete the "Satellite Messiah." (流石ですね……デビッドさん。アナタなら『人工衛星メサイア』を完成させてくれると信じていましたよ)」
「Uhh, Mr. Mukuro, thanks to you provoking people all over the world, my crowdfunding was a huge success! Uhh, I've raised more than enough money! (んー……夢玄様が世界中の人々の怒りを買ったおかげで、クラウドファンディングは大成功でしたからね! んー……有り余るほどの資金が集まりましたよ!)」
何やらデビッドは、夢玄の協力者だったらしい。彼が金を集めていた目的は、バリアブルに打ち勝つ巻物を作ることではなかったのだ。それは即ち――世界中の人々が、霊峰夢玄の掌の上で踊らされていたということだ。
メサイアが開発されていた最中、夢玄は裏で色々と手を回していた。彼はデビッドの方へと目を遣り、その詳細を語る。
「For this day, I bribed advertising agencies and the media to spread the Ami's accusation and Tetra's music. All it takes to "unite" a crowd of people is a common enemy and a charismatic leader. (私はこの日のために広告代理店やマスコミを買収し、愛海さんの告発やテトラの音楽を広めていきました。烏合の衆を束ねるのに必要なものは、共通の敵とカリスマ性のあるリーダーです)」
なんとも狡猾な男である。そしてどういうわけか、デビッドはそんな彼に心酔している。
「Uhh, the common enemy and the charismatic leader's position will be switched overnight! Uhh, because the radio wave Messiah emits toward the Earth will rewrite the thoughts of all mankind! (んー……その共通の敵とカリスマ性のあるリーダーの立場が、一夜にして引っくり返ることになりますよ! んー……メサイアが地球に向かって放つ電波は、全人類の思考を書き換えますから!)」
デビッドは指先で眼鏡の位置を正し、不気味な微笑みを浮かべた。
基地に設置されている音響機器から、カウントダウンが流れる。
『10, 9, 8, 7, 6, 5, 4, 3, 2, 1... 0』
無人ロケットは轟音を響かせ、火を噴射しながら上昇し始めた。宇宙船基地は煙に包まれ、強い風が二人の髪をなびかせていく。ロケットが空の彼方へと消えていくのを見送り、夢玄は言う。
「David, we are about to fulfill the wishes of mankind. We are about to end up a task that has never been accomplished before, not even by God. We can do it. We are going to build a utopia and achieve world peace. (デビッドさん……我々は今まさに、人類の望みを叶えようとしています。それはいまだかつて、神にさえ成し得なかった所業です。それが我々には実現できるのです。我々は理想郷を築き上げ、世界平和を実現するのです)」
彼の目には一切の迷いがない。彼は真剣そのものだ。
こうして、世界はたったの一夜にして塗り替えられた。




