現実の異世界
PV一〇万アクセス突破。
ブックマーク一〇〇件突破(割と前)。
……なかなかのものなのでは? と調子に乗ってみる。
現実は理想とも虚構とも違う。しかしいざ非日常的な事態に直面した時、本当の意味でそれを理解して行動できる人間はまずいない。それどころか現実的かつ日常的な事態に直面した時でさえ理想や虚構が実現すると錯覚してしまう。人間にはそういう自分に都合の良い展開を妄信してしまうところがある。
例えば自ら変わる気はないくせに高校進学を機に何かが勝手に変わり、物語のような慌ただしい青春の日々を過ごせるようになると夢想するように。
その例えに比べれば、多少なりとも根拠のある屑ニートの考えはまだまともなのかもしれない。少なくとも妄信でも夢想でもないのだから。
屑ニートにしてみれば実に腹立たしいことではあるが、目の前のウサギに触れることは『異世界転生無双チーレム主人公様』である自分であっても困難であるという点は受け入れていた。いくら叩き潰そうとしても上手く逃げ回る蚊のようなものとしてだが。
だとしても問題はなかった。持久戦など最強主人公様らしくはないが、最終的に勝つのは自分だという点さえ変わらないのであれば、多少のストレスはあとの二人を殺して晴らせばいいと考えていたから。
確かに攻撃はウサギ相手に触れることさえ叶わないが、一度も触れられてはならないからか向こうからの攻撃の二割弱は回避できているし、三割弱はガードできている。残る五割強の攻撃にしても直撃しているにも関わらず大したダメージを受けてはいない。単純な威力で言えば空気塊での殴りの方が上であった。
そして最強主人公様らしくタフな身体は、どれだけダメージを積み重ねたところで漫画でよくある『あばら骨が折られる』ような展開にもならない。つまり戦闘不能になる恐れはほとんどない。ならば最後に笑うのは自分であると。
途中式に間違いこそあるが、結論から言えば屑ニートの考えはあながち間違いとは言えない。直接蹴るより遥かに威力の低い衝撃波では屑ニートの身体にろくな外傷を負わせられないのは事実であるし、持久戦になれば先に体力が尽きるのはピーター達なのだから、そうなる前にまた空間跳躍で逃げなければならない。また逃げられる可能性を考慮していない詰めの甘さなどはあるが、本当にあながち間違いとは言えないのである。
――ただしそれは、ここが現実の異世界であるという認識を欠いた、机上の空論としての話でしかないのだが。
忘れているかもしれない誰かのために今一度説明するが、現実は理想とも虚構とも違う。この異世界もまた、どこかの誰かが頭の中だけで軽く思い描いただけの空虚な物語の世界とは違う。ゲームのように戦闘能力を数値化しておきながらダメージ計算式もなければ、特に主人公様側はHPのような数値が表記さえされない。そんな物語に慣れ親しんでいる者ほど忘れているかもしれないが、この異世界には尽きてしまえば命を落とすゲームのHPにも似た生命力というものが存在する。
そう、たとえかすり傷にさえならないダメージであったとしても、この異世界においては積み重ねれば死に至る。極論、体力さえ持つなら子供の駄々っ子パンチでも人を殺せる。地球はもちろんどこぞの世界とも違う、そういう異世界なのである。
しかし多くの者はそんな考えには至れない。むしろ一度説明されていたとしても、いつの間にか自分の常識に塗り潰され忘れてしまうだろう。
まして屑ニートはそんな説明など誰にもされてはいない。自身が滅ぼした村で聞く機会はあったかもしれないが、前世の常識という先入観があっては確認しようと思う者の方が稀だろう。むしろ実在しうるのか疑わしい。
だから屑ニートが現状に気付いたのは、あと数回もダメージを受ければ生命力が尽きて命を落とすと生存本能が全力で警鐘を鳴らした時だった。もちろんこの時も前世の常識という先入観は消えていない。だから何がどうなっているのか理解できなかった。理解はできなかったが、頭ではなくより生命の根源的な部分で事実だと受け入れていた。
死
あらゆる生物が抱く逃れることのできない根源的な恐怖を前に、屑ニートの精神力が耐えられるわけがなかった。
「あ、あああ、ああああああああああああああああああ!! 来るなああああああああああああ!!!! 寄るなああああああああああああ!!!!」
身体が覚えているはずの武術ではなく、駄々をこねる子供のようにがむしゃらに両腕を振るうだけの無様な悪足掻き。未だ少年に口を押さえられたままの無能は内心その姿を馬鹿にしているが、少年の方は有能なので何となくではあるが察している。その無様なまでに必死な悪足掻きこそが、現状の最善手であると。
対戦格闘ゲームで言うところのレバガチャプレイ。先読みも駆け引きも何もあったものではない、偶然に全てを委ねる行為。だからこそ素人が玄人に一矢報いることができる可能性がある。
ゲームに限らず現実の格闘技においても、型が身についていない素人の技の方が正確に読めない分だけ玄人には扱いづらいことはある。運任せでもあるが理に適った手でもある。
だとしても、一つで一羽の最強に届きはしないのだが。
全てが遅すぎた。それが屑ニートの敗因である。
前世の常識という先入観に囚われて、生命力が尽きるという形での死が近付いていると気付くのが遅すぎた。
異世界に転生したことで自分こそが最強主人公様だと勘違いして、目の前の敵が自分を殺せる格上の存在だと理解するのが遅すぎた。
そして何より前世を含めても初めてな、必死に何かをするという経験があまりにも遅すぎた。
努力すれば必ず報われる。そんな夢物語はこの異世界にもありはしない。
そして努力しなくとも勝手に良い結果が出る。そんな馬鹿げた夢物語もまたこの異世界にありはしない。むしろほんの数日だけでもやりたい放題できたのだから、屑ニートはまだ幸運な方だと言えるのではないだろうか。
しかしそれも終わりである。前世の永眠から始まった夢の時間から覚めなければならない時がきた。ただそれだけのことである。
「嫌だ!! 嫌だあああああああああああああああああああ!!!!」
夢の終わり。覚めても目覚めることのない、夢の時間の終わりの時。頬を一抓りする程度のダメージで迎えることになるその瞬間を前に、もはや悪足掻きも忘れてただ叫ぶことしかできずにいる。
「この人殺しがあああああああああああああああああああ!!!!」
仮に言われたのが日本人であれば、少しは動揺して致命的な隙を見せていたかもしれない。あるいは『お前が言うな』と一蹴していたかもしれない。
そんな言葉に一つで一羽の最強が何を思うかと言えば――何もない。
今さら人殺し程度のことで何かを思えるほど、生易しい世界で生きてきたわけではいないのだから。
無情な一撃により締めくくられた殺し合いの結末は、敗者の死というどこまでも現実的なものだった。




