英雄の本質
ホーム画面を開く。今日も感想が書かれたという赤字表示はなし。
まぁ気にせず続きを書こうとしたところで感想の通知とは違う薄い赤字に気付く。
レビューが書かれました。
…………………………マジかよ。
虚木 翠さん、ありがとうございます。
殴られた。
ただそれだけのことではあるが、屑ニートにしてみれば前世を含めてなお初めての経験のため、前世の死因が死因だけに、その衝撃は物理的にも精神的にも前例がないほど大きなものとなった。
そのため動揺も大きく、身体こそ意識と無関係に武術の体捌きで追撃から逃れ続けているが、屑ニートの意識は追撃を認識してさえいない。無意識に身体が動いているのとは少し違う。武神オレツェエの目的である武術革命のために用意された器には、本来宿すはずであった異世界の武人の魂に刻み込まれた武術とこの異世界の武術を融和させるための細工が施されていた。この挙動はあくまでその細工の副産物にすぎない。
【破砕皮装甲】の効果は能力者が認めた物以外が皮膚に触れると問答無用で破砕されてしまうという凶悪なものである。言い換えれば能力者が認めてさえいれば皮膚に触れたところで破砕されることはない。そうでなければ力で脅したところで物理的に女を抱くことはできなかった。被害者の無念を思えばその方がマシだったかもしれないが、とにかく凶悪な【破砕皮装甲】にも抜け道は存在する。
その代表とも言えるものこそが空気。空気に触れる、と言われれば分かりづらいかもしれないが、逆にこの場合は分からないからこその抜け道とも言える。要するに触れた物に対して発揮される効果が、空気は触れられるものではないという屑ニートの感覚や価値観により無意識に発揮されなくなっているのである。
しかし抜け道と言えども戦闘という意味では大した問題にはならない。地球でも竜巻などの言わば風属性に分類される自然災害は存在する。そして質量だけで考えても牛だろうが鮫だろうが車だろうが家屋の屋根や壁だろうが吹き飛ばす暴風の猛威を前に、人の身で抗う術などあるわけがない。
だが人の身では抗えない力ということは、それだけ人の身では模倣することも再現することも難しいということでもある。バラエティ番組に出てくるような風速三〇メートルの突風を起こせる巨大扇風機なども現代地球の科学技術あっての代物であり、このレベルの物でもこの異世界では魔法を使いでもしなければ再現は不可能である。そして屑ニートに魔法は通じない。
つまり空気という抜け道では屑ニートを攻撃することはできない。
本来であれば。
当然のことだがこの異世界は地球ではない。たとえどれだけ地球と共通する点があろうとも、生態系も法則も元素も、全てが文字通り異なる世界である。
もちろん地球と共通する点があることには変わりないし、そもそも地球のそれとは違うというだけで、この異世界にはこの異世界の法則がある。魔法や固有能力といった地球人にしてみれば超常の力とて、現代地球で言えばパソコンのようなものでしかない。研究者や技術者により、詳しい理論や法則を知らなくても使い方さえ知っていれば誰にでも使える、あって当然と思われているものでしか。
もっとも、正確には『固有能力の効果なら何ができてもおかしくはない』という諦観にも似た扱いをされているだけであるが。
話を戻そう。
確かに地球の科学知識を基にすれば、空気で敵を攻撃することは難しい。だがこの異世界には固有能力という物理法則や魔法法則より上の力が存在する。
少年の固有能力の名は【求心力】と言い、地球とは逆に人を魅了し引き付けるカリスマ性こそが本来の効果であるところを、円運動中の物体に働く力のように対象に一点に向かう力を加えるよう応用することができる。無能を助けたのもこの応用技である。
そしてこの応用技を使えば、時間こそかかるが手のひらに空気を集めて人を殴れるほどの高密度の塊を作り出すことも可能となる。
この空気塊越しであれば掌底打ちの要領で屑ニートを殴ることも、屑ニートがまだ動揺しているため使っていないが、屑ニートからの攻撃に対しても避けるだけでなく受け流す選択肢が増える。
手のひらの空気塊越しでなければならない少年と、空気塊越し以外ならどこで触れても殺せる屑ニート。どちらが優勢かなど説明するまでもないが、それでも少年に勝ち目のない一方的な戦いからどちらも確実に勝てるとは言えない勝負へと変わった――
――そう、確かに変わりはした。
どちらも確実に勝てるとは言えない。そこに嘘偽りはない。しいて言えば具体性に欠けているというだけで。
一・三パーセント。それが具体的な少年が勝てる可能性である。〇・一パーセントの勝機を必ず掴み取らせてもらえる主人公様のための世界であれば、必勝どころか都合よく圧勝させてもらえるほどの高確率だろう。
しかしこの異世界にそんな都合の良い話はない。あるとしてもそれは誰か人の子にとっての都合の良い話ではなく、どこかの神様の都合によって歪められた結果の副産物として運よくその恩恵に浴しただけのことでしかない。
そもそもまともに戦ったところで少年は屑ニートに勝てはしない。
少年が手のひらの空気塊越しにしか攻撃も防御もできないのに対して屑ニートは空気塊越しでさえなければ攻撃し放題である、という点もある。
少年が未成年ということもあって天賦の才により高い戦闘能力を有していようとも武神オレツェエが作り上げた屑ニートの身体のように一つの完成形に至っているわけではない、という点もある。
強い魔物が現れないからこそ武神オレツェエが武術革命の試験場として選んだこの地では強敵との戦闘経験が積めない、という点もある。
しかしそうした点が問題にならないほどの最大最悪の問題点は、少年が小さな村だろうと誰かを守る立場に相応しい人間であるのに対して屑ニートは他人を傷付け迷惑をかけている自覚さえ持とうとしない自己中心的な人間の見本のような屑である、という点である。
本当にそれだけで済んでいれば圧倒的な不利にはならなかっただろう。しかし忘れたくても忘れてはならない。これは少年と屑ニートの決闘ではない。
「隙ありぃぃぃいいいああああああああああああ!!」
散々偉そうに語っていた貴族かつ騎士としてのプライドはどこにようやく捨ててきたのやら。奇声によりできてはいないが屑ニートの背後から奇襲を仕掛けた無能は、この期に及んでまだ実力の差を理解していないらしい。
無自覚な自殺行為に及ぼうとしている無能など《ラピッドステップ》の面々ならフロウでさえ見捨てる。自業自得なのだから危険を冒してまで助ける義理も道理もありはしない。
「危ないっ!」
だが未成年にして村人たちの命を預かる立場にあり、誰かを守る者として実に申し分ない性格をしている少年は違う。まるで物語に登場する弱きを助け強きを挫く英雄のように、自分の手の届く場所で危機に瀕している誰かを見捨てることを良しとしない。
たとえその結果、自らが犠牲になると頭の片隅で理解していても。
昨今のなろう系主人公。
彼らはただ最強無敵なだけで、主人公なだけで、決して英雄ではありません。
それが悪いというわけではありませんが。




