3 歴史における法則
「ところでラシアス。帝国の現状を総括した年次報告書の草案はもう出来ているのか」
「うむ、すでに内務省から参政院にまわってきている。二日前に読んだ」
「何か気になることはあったか」
「三つある」
「ほう」
「ひとつは前から言っているが、草原の状勢だ。今まで草原の状勢については、かの地には監視官もおらぬことだから、ほとんどふれられることはなかったが、今年度はある程度の頁がさかれていた」
「やはりお前が言うとおりになってきているのか」
「うむ、草原はついにふたつの勢力にまとまったと、今年度の報告書にはそう明記してあった。とはいえ、帝国で草原に最も近いノイエストの総督府が、草原に通う商人からの話を聞き取ったことを報告してきているにすぎぬようだが」
「お前がこれまで常々注意を喚起していたことが、とうとう帝国の公文書に明記されたわけか」
「うむ、いささか遅きに失したかも判らぬがな」
「何故。その言い方だと草原の状勢の推移が帝国に直接的に係わってくる、という風にきこえるぞ。一応どういう状勢にあるかだけが判っていればそれで充分だろう」
「係わってくると考えている。そのことについてはあとで話す」
「まあ、お前は草原に関しては特別な情報のルートを持っているからな。何かあったのか。その後ルーレアート殿から手紙が来たのか」
ルーレアート。
ラシアスと同郷で、ラシアスと同年齢である。
ラシアスと同時に高等官任用試験を受験したが、不合格であった。
その後、草原の部族、アルーサの汗、エルラスに招かれ、エルラス汗の一子、エルラシオンの教師となった。
今ではエルラシオンに限らず、アルーサの将来を嘱望された子弟がその門下に集っている。帝国と草原に別れてからもラシアスとルーレアートのふたりは手紙のやりとりを続けていた。
「来た。二日前に届いた。今日はそれもあってお前を訪ねたのだ」
「読ませてくれるか」
ラシアスは袂から手紙を取り出した。
アル・ラーサはそれに目を通した。読み終わった。
「そうか、まもなくアルーサとテグリの間に会戦が行われるのは必至ということか。帝国が平和を謳歌している間、草原では大変なことになっているな。しかし、そのことを意識している者はこの帝国においてはほとんどいない」
「草原の状勢など帝国には何の関係もない、みなそう考えているからな」
「さて、この会戦どちらが勝つかだが、ルーレアート殿は、やはり仕えているアルーサのエルラス汗の勝利を疑ってはおらぬようだな」
「アル・ラーサ、お前はどう考えるのだ」
「言うまでもない。ルーレアート殿の言うとおりだ。エルラス汗が勝つよ」
「が、今度の相手は草原最大の部族テグリだ。多くの部族が自らの盟主と認めている部族だぞ。これまで、次々に周辺の部族を切り従えてきたエルラス汗にとっても今度ばかりはそう簡単にはいくまい。動員可能な兵力もテグリ側の半分程度だろう。テグリの族長スクタイ汗もなかなかの人物のようだしな」
「それでもアルーサが勝つ」
「根拠は何だ」
「エルラス汗は戦争の天才だ。それに尽きる」
「そんなにすごい男か」
「ああ、すごいな。エルラス汗の戦い方には三つの特長がある。兵力の高速移動。兵力の集中。そして敵の想像外の行動をとることだ。口で言うのはたやすいがこれを行うには将兵ともに極めて高いレベルの能力が必要だ。エルラス汗は相当に兵を鍛え上げているぞ。汗は今何歳なのだ」
「たしか、三十六歳のはずだ」
「まだまだ若いな。俺も草原に生まれたかった。あのような天才と戦ってみたいものだ」
「いずれ、戦うことがあるかもしれんぞ」
「帝国と草原が戦うというのか。帝国と草原は別の世界だ。相争うというようなことはこれまでなかったぞ」
アル・ラーサはラシアスの顔を見つめた。
「ふむ、何か考えているようだな。聴かせてもらおうか」
「その前に気になる点が三つあると言った残りの二点についてしゃべらせてくれ」
「おお、そうだったな。続けてくれ」
「ひとつはアルトハープ地方からの報告だ。」
「うむ」
「この地にひとつの思想が広まっている。人間は皆平等であり、貴族、騎士、一般民、奴隷といった身分上の区別は廃止されなければならない、という思想だ」
「それでは世の中は成り立つまい」
「いや、人の心の在り方が変われば、成り立つと主張しているな。まあ、歴史上そういう国家が、過去になかったわけではないしな。主唱者はアインセーラという二十八歳の男だ」
「その男は今、どうなっている」
「一度、投獄された。しかし、出獄して後は再び同じ主張を繰り返しているそうだ」
帝国では原則として思想の自由は保証されていた。人に直接的な害を与えない限り死刑に処せられることはなかった。
あまりに危険な思想であれば、今回のように投獄されることもあるが、思想を唱えるだけであればその罪は軽微なものでしかない。
「賛同者はいるのか」
「うむ、かなりの賛同者がいる。アルトハープ地方においては、ひとつのあなどりがたい勢力となっている」
「しかし、ある程度以上の勢力となればその地の帝国方面軍が簡単に鎮圧するだろう。さほど大きな心配事とは思えないがな。もうひとつは何だ」
「アイラン地方からの報告だ」
「ほう、東方の中でも最東端の地方ではないか。何だ」
「ルーラという、二十五歳の貴族階級の男が、新たな教団を作っている。教団が誕生したのは三年近く前のことだが、ここにきて急激に信者が増加している。教義は主にふたつ。帝国の国教をはじめとする既存の宗教の否定。そして彼岸に思いをはせることなく、この現実の世界、此岸の美しさを讃えよう、というものだ。前者はもちろん後者も、帝国の国教の教義とは相容れない。」
「国教の否定だと。貴族として生まれながらそのような教義を唱えているのか。その教団が気になるのか」
「うむ、ただ近年、国教をはじめとして既成宗教への批判の姿勢はなくなり、それを切っ掛けに信徒数が飛躍的に増えた、との報告もある。」
「そうか。なぜ、気になるのだ」
「全てがあるひとつの方向を指し示しているように感じるからだ」
「ほう」
「蘊蓄を傾けたい。良いか」
「おお、久しぶりだな。頼む」
ラシアスは古今の重要な書物に通暁している。特に先賢の著したもの、いわゆる古典に対する造詣の深さは瞠目するべきものがあった。
アル・ラーサと座談している際の話題からの関連、あるいはアル・ラーサの求めに応じて、ラシアスは時に古典の内容をアル・ラーサに解説する。解説を始める時には
「蘊蓄を傾けるぞ」
と言うのが合図だ。
「帝国が草原を除く世界の全土を領土として三百年たつ。以後、帝国の領域に変更はない。しかし、それ以前においては世界に複数の国家が存在した訳だし、ラグーンを除いて、かつてあった国家はすべて滅んだことになる。ラグーン以前には全世界を領土とした国家は存在しなかったが、世界のかなりの部分を領土とした国家は存在した。そしてそれらの国家もまた滅んでいる。忘れてはならないのは世界がひとつではなく複数の国家が世界に存在した時代の方が歴史的に見てはるかに長いということだ」
「ふむ」
「そのまだ国家が興亡を繰り返していた時代、ツインビーという歴史家がある著作を著した。著作の名は「歴史における法則」だ」
「ほう、その著作名は聴いたことがあるような気がする。しかし内容は知らぬ。教えてくれ」
「国家、それも歴史上に大きな名前を残すような大国家が誕生して、そして滅んでいくには同様のパターンがあるというのだ。国家が誕生し、そして発展していくためには、それまでその領域に住む民が、従来のやり方ではどうしようもないような環境の変化がおこり、その環境上の挑戦に対して、国家を維持するために何らかの応戦をすることによる。
環境の変化は自然がもたらす場合もあれば、政治的な変化による場合もあり様々だ。その応戦を行い勝利した国家が発展を遂げる。この応戦を成功させた人々は創造的個人と定義づけられ、国家を指導する」
「どういう場合にその応戦は勝利するのだ」
「それも様々だ。必要に応じて何らかの新たな技術を生む場合、何らかの新たな制度を生む場合などだな。
そして発展した国家は世界国家となる。これはラグーンのように文字通り全世界を領土とする場合のみをいうのではない。その国家に住む住民が自分たちの国家と世界が同義であると意識している国家のことだ。
その意味で言えば草原という帝国外の領域がありながら、帝国と世界を意識の上で同義と考えているラグーンもその例に漏れないことになる。
そしてその世界国家はやがて変質する。
応戦の際に成功の要因となったこと。新たな技術、新たな制度などは偶像化され、進取の気風は薄れ、国家の指導者は支配的少数者となる。単に支配するだけのひとびとで、創造的な部分を喪失するということだ。
次に国家の内外にその世界国家の支配を良しとしない階層が生まれる。世界国家内部のそれらの人は内的プロレタリアートと総称され、内的プロレタリアートは世界宗教を生む。
世界国家外部には外的プロレタリアートが生まれる。国家内部の人々からみれば、それらの人々は蛮族、あるいはその類の言葉で総称される。
進取の気性を失った世界国家は、この野性の力を止めることは難しい。外的プロレタリアートは世界国家に侵攻し、世界国家を滅ぼす。
この世界国家を滅ぼす蛮族の活動は後世から英雄時代と見られ、伝説的英雄を主人公とする物語の源泉となる。
以上が、ツインビーが著した「歴史における法則」の内容だ」
「ふむ」
アル・ラーサはしばし瞑目した。 その目が開いた。
「そうか、ラシアス。お前はこのラグーンを世界国家。草原を外的プロレタリアート。アルトハープ、アイランで起こっていることを内的プロレタリアートであると想定しているのだな。それゆえ、やがて帝国と草原が戦うことになる、と考えているわけか。で、ラグーンは滅びると思うのか。あるいは今回の立太子問題も滅亡の予兆とでも考えているのか」
「滅びない国家は無い。ラグーンもやがて滅亡することは間違いない。しかし、その時期は判らぬ。俺達が生きている内に起こるか。百年、五百年あるいは千年ののちになるかは判らぬ。今、内外のプロレタリアートの胎動が見られるからといって、そのまますぐに帝国に取って代わるとは限らぬ。むしろ歴史的に見れば、何度かの争いを長期的に繰り返す場合の方が多い」
「成る程、判った。俺の将来にそのような面白い時代がやってくるとは考えていなかったぞ。これはいい話を聴かせてもらった。だがそうなるとひとつ気になることがあるぞ。」
「何だ」
「帝国と草原がやがて戦うというのなら、エルラス汗に仕えるルーレアート殿と手紙のやりとりをすることはお互いに利敵行為にならぬか。お前も帝国の現状をかなりの部分まで書き送っているのだろう」
「実は俺も帝国と草原が戦う可能性があるということに思い至ったのは二日前、年次報告書の草案を読んだときが初めてなのだ。アルトハープとアイランの状勢を読んだときに突然気がついたのだ。ラグーンも歴史上の世界国家と同じ道を歩もうとしている、ということにな。
帝国の民が全てこのラグーンを永遠に繁栄を続ける国家と考えていても、この俺だけはラグーンを歴史の中における一国家として客観的に見てきたつもりだったが、俺も自らが育った環境を特別に考えるということから無縁ではなかったようだ。情けないことだ。
が、ひとたびそのことに気がつき、あらためてルーレアートのこれまでの手紙を読み返して見た。
昨日一日、エルラス汗の行動、言動を特に注意して分析してみた。汗は草原を統一したのち、帝国と干戈を交えるつもりだと思う。だから、今日お前を訪ねた。するといきなり立太子問題だ。こういう問題が存在すれば、帝国が一丸となって、草原に対処するという訳にもいくまい。予断を許さない状況だぞ。だが、まだ時間はある。何と言ってもアルーサはこれからテグリとの会戦を控えているのだから」
「しかし、ルーレアート殿はエルラス汗の軍略まで書き送ってきているではないか。ルーレアート殿の立場なら、汗の思惑はわかっていように。あるいは元々帝国の出身者だけに気持ちは帝国の上にあり、あえて書き送ってきているということか。だが、そんなことを書いているとエルラス汗に知られればルーレアート殿もただではすむまい」
「いや、エルラス汗はルーレアートと俺が手紙のやりとりを続けていることは知っている。自らの軍略を書き送っていることもエルラス汗は了解の上だ」
「何だと、そんなことは聴いていなかったぞ」
「将来戦うことになるとは気づかなくとも、俺もそのことは気になったのでな。一度それとなく問い合わせの手紙を書き送ったのだ。その返事にそうしたためられていた。その時の手紙はそれ以外に特にめぼしい内容はなかったからお前にも教えなかった。まあ、今にして思えば、エルラス汗が了解の上、というのは、それこそ重大な情報であったな。すまん」
「まあ、それは仕方あるまい。しかし、であればエルラス汗は帝国と戦うことは考えていないということにならぬか。だが不思議だ。エルラス汗ほどの男がありえるかも知れない未来を想定せずに行動するとも思えないがな」
アル・ラーサは考え込んだ。
そしてひとつの結論に達した。
「将来戦うことになる相手と意識していて、それでもあえて自らの軍略を明かしているとしたら、エルラス汗という男、とんでもない人物だぞ」
「やはりお前もその結論に達したか」
ラシアスは言葉を継いだ。
「俺もそう考えた。実は、将来、帝国は草原と戦うことになるのではないか、と一昨日、最初にその考えが芽生えた時、俺は、帝国の禄をはむひとりとして、ルーレアートとの手紙にも以後はあたりさわりのないことのみを書こうと一旦はそう思った。しかし、考え直した。
俺が書き送っている程度のことは、エルラス汗は既につかんでいるに違いないと思う。かりに帝国の間者を草原に送っても人口の希薄なかの地で有効な活動を行うことは難しい。またすぐに見破られてしまうだろう。だが、草原から帝国内に間者を送ることはたやすいことだ。第一、今、帝国と草原は戦闘状態にある訳ではないから、そのことをとがめることはできない。エルラス汗であれば、そういう将来の布石も既に打っていよう。
そうすると、この手紙のやり取りは、俺の方にはるかに得るものが大きいと思うのだ。なぜ、そのようなやり取りを汗は許しているのか疑問だったのだが、お前が今たどりついたのと同じ答えを見出した時、俺も空恐ろしくなったよ」
「しかし、判らん。エルラス汗にとって帝国と戦うことに何の意味がある。帝国と草原では生活様式も全く違う。草原の生活を続ける限り帝国の領土を奪っても仕方なかろう」
「ルーレアートの手紙から類推するに汗は、戦いに勝利するということ自体が目的なのではないかと思う。そういう人物にとって、帝国の征服者という称号ほど魅力的な響きの言葉はあるまい」
「そうか。たしかにそのとおりだ。そういう人物がこの同じ時代にいると思えばこころが踊るぞ」
アル・ラーサはラシアスに訊ねた。
「草原地帯の全人口はどれくらいなのだ」
「二百万人を超える程度であると想定されている」
「帝国全土の百分の一をやや超えるくらいか、では戦力的に帝国とは比べるべくもない。国力が違いすぎる。
いや待て、そうか、草原の場合、成年男子は全て戦士となる。そういう民族だ。すると五十万人か。しかも全て騎士だ。帝国の職業軍人は帝国全土で三百万人。そのうち、騎士は七十万人といったところか、それも帝国全土に散らばっている。
ラシアス、俺にも判ったぞ。草原がひとつにまとまる、ということの恐ろしい意味が。いままで草原は多くの部族に別れていて統一行動をとることなどなかったから、誰もその意味に気がつかなかった。
これはたしかに早急に手を打つ必要があるな。きたるべき、突蕨とテグリの戦いもお前の言うとおりだ。手を拱いて見ている訳にはいかぬ。立太子問題などにかまけていて良い状勢ではない」
翌日、アル・ラーサはただちにこのことを近衛師団長グリウス・シューター子爵に伝えた。
そして軍令の最高職である参謀総長オッテンスタイン男爵にこの件を報告したい希望を述べた。
だが、立太子問題に悩むシューターは
「今はそれどころではない」
としてこの希望を却下した。




