13 エルラシオン
ルーレアートはその日の講義を終えた。
講義を聴く者はエルラス汗と正妻ラルフィンとの間に生まれた王子エルラシオン十一歳。
既に故人となっている愛妾セルとの間に生まれた、エルラシオンの異母姉セレナ十五歳。
さらに草原の部族アルーサにおいて、その将来を嘱望されているアールショー、ラスティー、アンリュー、ラルの計六人であった。
アールショーはエルラシオンと同年の十一歳。
ラスティーは一六歳。アンリューは十五歳。ラルは十三歳である。
講義が終わり、講義の行われたゲルを少年たちとセレナが去る中、エルラシオンはひとり残った。
五年前、ルーレアートが草原にやってきて最初の講義を行ったとき、受講者はエルラシオンとセレナのふたりだったが、三年前、エルラス汗の命により四人の少年が加わった。
最初の講義からエルラシオンは熱心な生徒であった。
その驚嘆すべき頭脳はルーレアートの教えをどんどん吸収していった。
やがてその講義の中で時にエルラシオンは宗教において、哲学において、歴史においてルーレアートとは違う観点からの解釈を試みるようになった。
師に対して反論するというのではない。こういう観点からも解釈できるのでは、との論を提起するのだったが、
その解釈は正鵠を得ていた。
エルラシオンのもつ天分、資質はあるいはその父を凌駕しているのではないか、ルーレアートはそう感じていた。
ルーレアートが日常接する時間はもちろんエルラス汗よりもエルラシオンのほうがはるかに多い。
が、エルラス汗が考えていることは概ねルーレアートの想像の範囲内であったが、この十一歳の少年がいったい何を考えているのか、その内面にある理想は何なのか、ルーレアートには分からなかった。
「王子、今日の講義で何かお訊きになりたいことがあるのですか」
ルーレアートが講義の後ゲル内に残り、その日の講義についてさらに論を深めることは常のことであったからルーレアートはそう訊ねた。
この講義後の二人の時間は慣例となっており、そこにはエルラシオンの要請がない限り他の受講者は立ち入らない。
異母姉であるセレナは、エルラシオンにも劣らない頭脳の明晰さを持っていたが、いわゆる天才肌で直感的な理解力に秀でており、余程興味をもった講義のとき以外に居残ることはなかった。
「今日は講義のことではありません」
「そうですか」
「父に聴きました。先生はこの草原が統一されたあと、ラグーンにお帰りになるそうですね」
「はい」
「草原と帝国が干戈を交えるとき、先生は帝国の側につかれるのですね」
一瞬の沈黙が流れた。
「草原が統一されたあと、帝国と事を構える。王子も汗から聴かれたのですか」
「父から聴いたわけではありません。
父が帝国の征服者という栄光を求めていることは何年も前から気が付いていました」
自分がごく最近分かったことをこの少年は数年前から気付いていたというのか。父子だから分かるということか。いや、それだけではないだろう。
ルーレアートはあらためてエルラシオンの器量の大きさを思い知らされた。
また、気付きながら、そのことを父にも師である自分にも告げることのなかった、少年とは思えない自制力にも驚いた。
いや、あるいは……、ルーレアートは思う。
この少年にとっては、父が求める栄光も、やがてくる草原と帝国の戦いもさして大きな関心事ではないのかもしれない。そこまで考えてルーレアートは五年という時間をもってしてもこの少年を理解することができなかった自分を感じた。
「そうですか。王子には分かっていらっしゃったのですか。私が帝国の側に立つことにつきましては、草原の禄を食ませていただきながら申し訳なく思っています」
「そのようなことを恩義に感じていただくことはありません。この何もない草原で、五年もの間、私をはじめ、草原の子弟に先生のおもちになっている全てを教えていただきました。感謝しなければいけないのは我々の方です。ありがとうございました」
「何故、私が帝国の側につくと思われますか」
「はい、ひとつは草原以上に帝国を愛されているから。そしてそれ以上に父と戦ってみたいと思われたからでしょう」
ルーレアートはぞっとした。そこまでこの俺のことが分かっているというのか。
さらにルーレアートは、さっき、エルラシオンが言ったことにもひっかかった。
「先生のおもちになっている全てを教えていただいた」
エルラシオンはそう言った。
この少年は既にこの俺の全てを吸収したと言っているのか。
もうこの俺には学ぶべきものはない、と言っているのか。
俺が本当に戦わなければいけないのは、戦うべき相手は……。
しかし、本当に戦わなければいけない相手なのだろうか。
「先生は父にこう言われたようですね。草原が統一されるのを見届けてから帝国に帰ると」
「そうです」
「父はこうも言っておりました。どうやらルーレアートには俺がどうやって草原における最後の戦いに勝とうとしているのか分かっているようだ、と」
「……」
「先生、帝国に帰られてから、ラシアス殿、アル・ラーサ殿とともに草原の侵攻に対する備えを行おうと思われているのでしょうが、草原の統一を見届けてからでは間に合いませんよ」
どういう意味か、ルーレアートにはすぐには分からなかった。数瞬後、ルーレアートの頭脳に閃くものがあった。そうか、そういうことか。
「王子、分かりました」
「そうですか。さすがに先生です。あれだけのことばでお分かりになるとは」
「しかし、王子。何故、帝国に去ろうとしている私に教えて下さったのです」
「先生には帝国の側に立って、草原の侵攻に備えていただきたいと考えたからです。来るべき戦いを最少の犠牲ですませるために」
「最少の犠牲ですませるために……ですか」
「はい」
「……王子」
「はい」
「あなたこそ、この世界を統治されるべき方だ。ナル・アレフローザ陛下ではなく、エルラス汗でもなく。
戦いが終わったあと、草原と帝国が統一された世界を治めるべきはあなたです」
「先生、その前に私には逢わなければならない人がいます」
「……」
「先ずはラシアス殿。アル・ラーサ殿。ナル・アレフローザ陛下。そして……」
「……」
「ルーラ殿とアインセーラ殿です」
「ルーラとアインセーラですって」
「はい」
「王子、王子。あなたはそんなことまで考えておられたのですか」
エルラシオンはにっこりと笑った。その笑顔は例えようもなく美しかった。
ルーレアートは膝を折った。右膝を地につけ、頭を垂れた。
「私、ルーレアートはエルラシオン王子に忠誠を誓います。来るべき戦いを最少の犠牲で済ませるために。さらにそのあとに来る世界を最も素晴らしい世界とするために」
この日、二人だけの誓約が交わされた。
数日後、ルーレアートは草原を出立した。
先ず、エルラス汗のゲルを訪れ別れを告げた。
「そうか、もう行くのか」
「はい」
「草原における最後の戦いを見る前に去るのか」
「はい、ラグーンにてお待ちしております」
エルラス汗はじっとルーレアートの目を見つめた。
「そうか。俺と戦いたいのであれば、たしかに帰国しなければならないのは今だ。さすがだな、ルーレアート」
最後にルーレアートはおのれの六人の生徒に別れを告げた。
セレナがルーレアートに話しかけた。
「先生、お願いがあるのです」
「何でしょう、セレナ様」
「私、帝国の英雄、アル・ラーサ様の妻になりたいのです。そのことをアル・ラーサ様にお伝え下さい」
ルーレアートは思った。セレナ様がお好きなのは、やはりこの俺ではなかったか。まあ、ラシアスに、何度も何度もルーセイラ様のことを聞かされ続けてきたせいで、俺は美女というのには、辟易しているから、別に構わないが。
セレナ様よりは、そのお世話をしているマンドハイ殿のような女性が俺はいいな。
それにしてもアル・ラーサ殿とはな。
居並ぶ少年達の間にどっと落胆したかのようなどよめきが流れた。
セレナは聡明で、何より既に故人となっている草原一の美女とうたわれた母セルに似た、この世の者とは思えないほどの美少女であったから、草原の全ての若者はセレナに憧れ、恋していたのだ。
そのセレナの意中の人が、今、明かされたのだ。
「そうですか。セレナ様は、アル・ラーサ殿を思っておられたのですか。分かりました。私はアル・ラーサ殿とは面識がありませんが、親友であるラシアスを通してすぐに逢うことになるでしょう。セレナ様のこと、必ず、お伝えいたします」
たしかに伝え聞くアル・ラーサの信条を考えれば、帝国とは違って、純潔を重んじる草原の、この十五歳の王女と結ばれるということは、それほど突拍子もないことではない。
それは、草原と帝国の最初の強い絆ともなろう。
そこまで考えて、ルーレアートは思い至った。
あるいは、このセレナの想い、アル・ラーサに憧れるようになったその想いのうらにはエルラシオンの意向が働いているのでは……。
アル・ラーサは帝国において、群を抜いて名高く、人気の高い英雄である。
その英雄の妻が、草原の王、エルラス汗の娘であり、世にも稀な美少女ということになれば、帝国はあげてこの話題で持ちきりとなろう。草原と帝国の絨帯として、これほど効果の大きいことはあるまい。
ルーレアートはエルラシオンを見た。
エルラシオンは静かな微笑みを返した。
「先生、それではお元気で」
「はい、エルラシオン王子。セレナ様。アールショー、ラスティー、アンリュー、ラル。さようなら」
最後にルーレアートはエルラシオンともう一度微笑みを交わして草原を去った。




