03 愛を聴く竜。(紅牙視点)
歌が聴こえたのは、数年前。いや、違う。
それは、六年前だと記憶している。
夜になると、囁きかけるような歌が聴こえた。
それは、人間が作った魔法の歌のものだ。
運命の相手に愛が届く。なんて、おかしな魔法の歌
その名も『愛の歌』。
まだ出逢っていなくても、その歌が届き、そして引き合わせる。
運命の相手の存在を信じる人間が、好んで歌っていた。
それはもう古い話とばかり思っていたし、何よりドラゴンである自分には関係ない。そう思っていた。
しかし、俺の頭に響いたのは、まぎれもなくその歌。
毎晩毎晩、幼さのある歌声が響く。
愛を歌うには、あまりにも悲しい声。
胸が痛むほどだった。
何故、俺に届く。
何故、悲し気なんだ。
何故、囁くようなか細い声で歌う。
言いたいことは、山ほど募った。
愛を歌うなら、はっきりと歌え。
運命の糸とやらで結ばれているなら、手繰り寄せられるくらい。
引き合わせる魔法の歌なら、早く。
早く引き合わせろ。
この消えそうな歌声の主が、本当に消えてしまわないうちにーー……。
数ヶ月で、歌はぱったりと届かなくなった。
消えてしまったのだろうか。
今度は、そんな不安が募る。
皆に聞いたところ、『愛の歌』には条件が必要だという。
先ずは、人間であること。そして、婚期の年齢。
間違いなく、歌った者は人間のはず。
人間の作った魔法だ。ドラゴンである俺が歌っても、届きはしない。
会えない理由は幾つか挙がった。
一つは、歌った者がまだ婚期を迎えていないから。
もう一つは、俺が他種族だから。人間ではない故に、魔法の効力が満足に発揮されていない。
そもそも、人間が人間の伴侶を見付けるためだけの歌だ。
ドラゴンである俺に届いたのは、おかしい。
原因は、運命の相手を強く強く願ったからかもしれない、という意見があった。
心の底から会いたいと願い、届いたのは他種族である俺か。
この俺にやっと番が現れたと喜ぶ者達がいたが、現れてなどいない。
会ってなどいないのだ。
そして、歌は届かなくなった。
単に歌うことをやめてしまったか、あるいは……。
あんな悲し気な歌声。悪い想像しか浮かばなかった。
何故、会ってもいない者のために、こんなにも心を乱されなくていけないんだ。
何故、もしものことがあったら、と不安と悲しみに襲われなくてはいけないんだ。
何故、この俺なんだ。
俺は、何をすればよかったんだろう。
何を、どうすれば、あの歌声に応えられたのだろうか。
どうしたら、見つけ出せたのだろう。
悲しみに溺れず、まだ息をしているのならば、どうかまた歌ってほしい。
俺は願っていた。
もう一度、歌を歌うことを。
顔も名前も誰かも知らない。
けれども、はっきりと届く『愛の歌』を歌ったのならば。
迎えに行こう。
俺への愛を歌うそなたの元へ、飛んでいく。
だから、どうか歌っておくれ。
六年なんて、あっという間だった。
そう。あっという間だ。
ドラゴンである俺にとっては、瞬きをするような時間。
しかし、人間なら、どんなに長いだろう。
その間、悲しみに溺れ続けていないことを願った。
歌が止んだ理由が、救われたからだと思いたかった。
竜王。炎の支配者なんて呼ばれているのに、俺に出来ることはひたすら待つだけ。
そうして、聴こえてきた。
「ーーあなたに届ける愛の歌」
記憶に残っている声と、一致している。
俺は迷うことなく、城を飛び出した。
ドラゴンの姿に変え、空を行く。
「この指先から赤い糸を伝って届いて」
届いている。
「この鼓動までもあなたに響いて」
そう鼓動までも、はっきりと響いているぞ。
「我はあなたを想う運命の人。聴こえるなら、糸を手繰り寄せて」
手繰り寄せるように、俺は引き付けられる方へ、迷わず行く。
「どうか会いに来ておくれ」
ああ。今、会いに行く。
「あなたも会いたいと願うなら。出逢い、愛し合いましょう」
待て。まだだ。もう少しだ。
「あなたに届け、この愛の歌ーー」
ーー見付けた。
とある屋敷の庭。数人の少女がいた。
「俺への愛を歌うのは、そなたか?」
不思議なことに、一目でわかった。
赤い糸が見えたわけでもないのに。
彼女だとわかった。
目元まで隠す前髪も、伸ばされた長い髪も、俺が起こした風に揺れている。
黒髪の少女は、この大きな屋敷には不似合いと思えるほど、古びた着物を纏っていた。
彼女しか、視界に入らない。
「そなただな」
俺は逃げもしない少女を、連れ去った。
城まで少女は何も言わない。悲鳴さえも上げなかった。
俺の部屋に置いて、人の姿に戻る。
鼓動は、まだ届いていた。
婚期を迎えた少女だとは思えないほど、小柄。やややつれた頬と手先。
前髪の隙間から見える大きな黒い瞳。
ーーきっと。
悲しみから、救われてなどいなかったのだろう。
俺は無様にも、声を上げてしまった。
俺の頭に響く鼓動を、止めてほしかったのだ。
音は、ぴたりと止まった。
無性に苛立つ。俺は、何に怒っているのだろう。
ぶつけてはいけない。
そう自分を律しながら、俺は彼女について問う。
みすぼらしい着物。使用人でももっとまともな着物を着るはずだが、少女は答えを迷う。
落ち着け、と俺は息を吐いた。
遠回りをしつつも、名前を尋ねる。
美しい愛と書いて、ミエと読む。
母親がいないと聞いた。もしや、それは六年前の話だろうか。
俯いてばかりで、なかなか顔を上げないため、怖がっているのかと尋ねた。
しかし、人の姿で話す俺に、恐怖は感じなくなったらしい。
それなのに、また頭を下げ、謝罪を口にする。
もう顔を下げさせないために、顎を掴んだ。
うつろ気な瞳。
心が見えない。
不愉快だ。
何故歌ったのか。もう一度問うと、妹に言われたからと答えた。
面白半分で、歌われたのか。
ますます不愉快だ。
うつろ気な黒い瞳は、俺から逸らされた。
苦痛そうに眉が寄ったが、抵抗をしようともしない。
六年前に歌った理由。
それを問うと、俺を見ない瞳が潤んだ。
そして、答えない。
これ以上は、無理か。
俺は手を離して、猫又の藍太丸を呼び、着替えを頼んだ。
彼女がいなくなった部屋で、尻尾を乱暴に振る。
「はぁー……」
重たい息を深く吐く。
彼女が、息をしていてよかった。
だが、全然よくない。
「美愛、か」
彼女の名前を口にしてみる。
「……」
しばらく藍太丸の戻りを待っていれば、襖を開けて入ってきた。
「美愛様は入浴中です。髪にゃどが傷んでいるのでお手入れにしばらくかかります。お着物は手配済みです」
「そうか。……岡芽丘家という屋敷に猫をもぐりこませて、美愛について調べろ。美愛に関わる全てを調べてこい」
あの悲しい歌声の理由も、憐れみを覚えるほどの姿の理由も。
言えぬほどの苦痛を、俺は知らなければいけない。
「かしこまりました」
一礼をした藍太丸は、ニコニコした笑みで俺を見る。
「……なんだ」
「お赤飯を焚きますか?」
「余計なことはいらん」
「紅牙様が慌てた様子で飛んでいく様子を、風華が見ております。そして、人間のおんにゃの子を連れて戻ってきて、我々に世話を任せたとにゃると……例の『愛の歌』を歌った人の子ですね?」
「……」
藍太丸が、ニコニコした笑みを深めた。
「今晩は、お赤飯ですね」
「勝手にしろ」
「見つかってにゃによりです。何年も気掛かりでため息を溢されていましたから、我々も安堵が出来ます」
「……」
「よかったですね」
藍太丸は、一つ大きく頷く。
「藍太丸は知っております。歌が聴こえている間も、聴こえなくなった間も、まともに眠れる夜が少なかったことを。美愛様と温かな愛で満たされた時間を過ごされることを、皆一同願っております」
「……」
温かな愛で、満たされた時間か。
藍太丸がまた一礼をすると、部屋をあとにした。
箱から煙管を取り出して、花咲きの茶葉を詰める。
フッと火を灯して、煙を吸う。一度止めて、吐いた。
ふわりと白い煙は真っ赤な花びらが溢れるように零れ落ちる。
誰が花咲き煙草と名付けたのだろう。
どう見ても、花が散る煙じゃないか。
そう思ってしまう俺は、きっと、優しい愛で彼女を満たせることは出来ないのだろう。
「でも……まぁ……」
ふぅ、ともうひと煙、吐いて呟いた。
「美しい愛の歌だった」
俺を導かせた歌を、もう一度聴きたいものだ。
名前の通り。美しい愛を、与えたいものだ。
ぼんやり、煙と散りゆく花びらを眺めて思った。
20210918