(三)今日からはじまる……
この巻『境海大紀行:蒸気機関の文化で巡る境海の国々』には、多次元管理局がある第零次元の周辺世界を訪れた見聞録が収録されている。
多くの世界は船で渡航が可能だが、残念ながら第七階梯世界で知られた時空よりもずれた時空間に位置する地球には、海にも空にも定期便が存在しない。
地球への渡航には、境海世界でも極めて特殊な魔法が必要とされている。
その習得は並大抵ではない。
境海世界ではごく一握りの優れた魔法使いだけが、その境となる歪んだ時空を越える魔法を持つ。
境海世界の偉大な魔法使いピリオリアン・ペリアンダーストン著〈多次元旅行記・境海世界の物語〉第二六巻『地球という世界』より抜粋
* * *
その夜、僕は考えに考えた。
白く寂しい通りのお祭りが開催されるのは明後日からの四日間。
リリィーナ教官がローズマリーに掛けた禁足令は三日間。
ということは、もしも僕らが魔法使いの探索に失敗しても、フェスティバル四日目の最終日だけなら、ローズマリーもお祭り見物に行ける……?
僕は一瞬だけど、安心しかけて、すぐ自制した。
はじめから失敗を考えてどうするんだ。
ローズマリーだって四日間楽しみたいに決まってる。
――なにか、落とし穴があるような気がする……。
僕は自分の直感を信じ、フェスティバルのパンフレットの小冊子をめくった。
四日目の最終日は――商店街の閉店時間がふだんより早いな……。
午後三時から街の公園広場でなにやらイベントが行われるらしく、商店街でそのイベントの委員を請け負っている人は、その準備のためにいつもより早めに閉店するんだ。
そんな店の特別メニューが購入できるのは午後十四時までだ。
つまり、ローズマリーがフェスティバル限定の見物ができるのは、実質、朝の十時から午後十四時までの四時間のみ!?
僕らだって楽しくないし、なにより寮から出られないローズマリーが不憫すぎる……。
万が一にそなえて、初日にテイクアウト出来るものはぜんぶ買って…………でも、けっきょくフェスティバル見物ができなければ、がっかりするだろう。
なにか良い方法は……禁足令の魔法の抜け道はないだろうか?
僕はパンフレットをさらにめくった。
【白く寂しい通りフェスティバル三日間だけの特別サービス】
三日間?
なにやらキイワード的なひびきだな。
『☆喫茶エクメーネ提供メニュー
〈日本風大盛り牛丼〉
近江牛肉と淡路島産タマネギを使用
1杯・・・¥3,000円
〈日本風塩ラーメン〉
地球産もやし、チャーシューはイベリコ豚、スープにはホロホロ鳥モドキを使用
1杯・・・¥2,500円
※スペシャルテイクアウトメニュー
タコ焼き
明石産蛸(※クラーケンサイズ)・フェニックスもどきの卵・を使用
1舟8個入り・・・¥10,000円
他にも期間限定メニュー多数あり。』
僕は静かにパンフレットを閉じた。
なんなんだ、この超ぼったくりメニュー一覧は。
フェニックスもどきって、宅配便の社員をやっている大型鳥じゃなかったのか。社員の卵を食用にするなんて、人権、いや鳥権? とかは考えなくていいのかな……。
いや、問題はそこじゃない。
こんな価格設定ばかりじゃ、僕らがフェスティバルで買い食いなんてとてもできない。
なにか救いはないのか?
たとえば、同じ街の学生への特別割引サービスとか……。
それは小冊子の最後のページにあった。
『初日からの三日間のみ魔法大学付属学院生の学割有効【全商品十分の一価格で購入可】』
四日目は正規の価格でしか購入できない!?
瞬間、ぶわっと涙が出た。
しばらく涙で曇った目で、机に置いたパンフレットを見下ろしていたが、ふいにたまらなくなって、右拳で殴りつけた。
「いやがらせにもほどがあるッ」
リリィーナ教官がローズマリーに課した三日という期限の理由は、これだったんだ……。
僕は右手の痛みに耐えながら考えた。
ローズマリーをそっちのけにしてフェスティバル見物なんてできやしない。
もしも僕らが失敗すれば、それはあまりにも悲惨な結末だと……!!!
かわいそうなローズマリーのことで悩んでばかりはいられない。
僕らは、ほかにもやることが山ほどある。授業の合間の休み時間に集まるだけでは解決策は見えてこないのだ。それぞれに課外授業がある僕らは、放課後の課外授業を終えてから喫茶エクメーネに再集合することにした。
今日もローズマリーはエリカに慰められながら寮へ帰った。
僕は校内の片隅にある道場へ急いだ。
課外授業で日本の剣道の稽古を選択しているのだ。
指導員は滝田J教官。紹介された初めは『ジェイ』という珍しい名前だと思ったが、これはアルファベットの『J』そのままで、名前の頭文字だそうだ。本名が古風で長いため、呼びやすい頭文字を通り名にしているそうだ。
好奇心でその名前をストレートに訊ねてみたら、滝田J教官はニヤッとして「自分で見つけてみたまえ」と謎々にされた。
でも、フェスティバル期間中に当てたら、期間限定メニューの和菓子をご馳走してくれるそうだ。偉大な魔法使い捜しのかたわら、調べるつもりである。
今日は掛かり稽古の日だ。滝田教官以外にも剣術の心得があるという指導員が参加すると聞いている。
ふだんは指導員の補助としてリリィーナ教官が来たりするが、誰だろう?
僕が稽古着に着替えて道場へ入ると、滝田先生の横に、初めて見る指導員が正座していた。
真っ白な総髪、ピンと伸びた背筋に逞しい肩。彫りが深い顔立ちは、僕からしたらいかにも外国人という感じなのに、純和風の稽古着がやけによく似合う、不思議な雰囲気の持ち主だ。
「やあ、はじめまして。きみがサー・トールだね。今日はよろしく頼むよ」
よく響く声は穏やかで、大人の男という貫禄に満ちている。滝田教官が忍の頭領風なら、この人はまさに剣客という風情の持ち主だ。多次元管理局の関係者には違いない。現役か予備役かはわからないけど――しかし、なにゆえこんないろいろと凄そうな人が、僕の個人授業の時間に招かれてたのだろう?
僕が初めて目にする剣客の迫力に呑まれて突っ立っていたら、指導員はやおら竹刀を持って立ち上がった。
僕がハッとして竹刀を構えた直後、
「では、はじめ!」
滝田教官の合図がとぶや、指導員が打ちかかってきた!
掛かり稽古というのは、ようするに打ち合いだ。対戦相手に、隙あらば打ち込みまくるのだ。
そう聞けば誰でも剣道らしい闊達さにあふれた稽古風景をイメージするだろう。
しかし、対戦相手が先生だと、隙だらけの生徒にとっては地獄の特訓に他ならない。
僕はすばやく後退し、間合いを取ってから攻撃に転じた。だが、相手はプロフェッショナル、僕の攻撃はことごとくかわされる。
バンバンバンと竹刀で胴着を叩く音が道場にこだまして……。
十分後。
良いように竹刀で打ちのめされた僕は、床に転がっていた。
「ハッハッハ、良い試合だった! 最近の若者にしては、なかなか鍛えているじゃないか」
指導員は疲れのカケラも見せず、滝田J教官と楽しそうに談笑していた。
「ええ、スジの良い子です。普段はリリィーナに鍛えられていますから」
滝田J教官の態度がとても丁寧だ。ということは、あのご年配の指導員は、滝田教官よりもうんと目上の方なんだろうな……。何者だろう?
僕は好奇心を刺激された。
強い魔法使いぞろいの多次元管理局員は、容姿では年齢を判断できない。強い魔法使いになればなるほど、歳を取るのがゆっくりになるらしい。
滝田J教官の見た目は二十代半ばのスリムな美丈夫だが、年齢は『明治時代になったころの日本で生まれた』というヒントをいただいたから、おそらく百五十歳はゆうに越えているはずだ。
初対面の剣客っぽい指導員は、若く見積もって六十代半ばのおじさんである。だが、僕にはなんとなく……そう、なんとなくだけど、もっと、すごーく長く、生きている人みたいに感じるのだ。
この指導員はどういう経歴の持ち主なんだろう?
夏休みの課外研修でお世話になったフレミング教官とはまたタイプが違うワイルドな紳士だ。じつは元は本物の武士だとか? いや、どう見ても外国人だよな。じつはフレミング教官みたいに元はどこかの国の本物の軍人だったとか……?
「きみ、頑張りなさい。このままいけば魔法剣士にもなれるぞ」
ものすごく褒めてもらっているのはわかるが、僕はへろへろ。
でも、なんとか立ち上がって礼を取った。
「はいッ! ご指導、ありがとうございました!」
このあと僕らは喫茶エクメーネに集合して、偉大な魔法使いの探索方法を相談する予定だから、急がないと……。
「おお、そうだ。わしがここに居る間は毎日稽古をつけてやろう。どうかね滝田くん?」
毎日これが続くって?
しかも相手は滝田J教官のほかにも、リリィーナ教官並みのバケモノ級剣士……。
「それはありがたい。いい訓練になるでしょう。ぜひともお願いします」
大人二人で楽しそうに勝手なことを言っている。
いや、べつに嫌じゃないよ。稽古をつけてもらうのは。僕としても大歓迎だ。筋肉は、鍛えれば鍛えるほど強くなるから。
最近は自分でも、少しは鍛えられたと自負できるようになっているし。ちょっと疲れ切った足が筋肉痛でプルプルするけど。
ただ、こんな体力の限界まであと一歩みたいな放課後が毎日つづくとなると……。
ローズマリーたちが待つ喫茶店〈エクメーネ〉へいく気力が残っているかなあ……。
このすごいお客人がいつまでこの学院に滞在されるのかは知らないが、その間、僕の体力がもつかどうかが心配だ……。




