未来のお母さんと文通
桜花はクラウスと直接話をすることができません。でも、運命の糸はしっかりとつながっています。
同封されたドイツ語の手紙はクラウスのお母さんが書いたものだった。絵も色もない便箋にびっしりと書き込まれていた。私にはまだ一人でドイツ語を読むことができない。まず左門さんが訳してくれた文章を読み、お母さんの手紙に戻り、単語の意味を一つ一つ辞書で調べながら書き込んでいった。動詞などもちろん変化するので、辞書で調べきれない部分も多くあった。でも、左門さんの文章と合わせて自分なりに意味を読み取ろうとすると、お母さんの気持ちがよく伝わってきた。
クラウスの両親は二人が結婚したいと思っていることを、心から嬉しく思っていること。三日間しか一緒にいなかったけれど、私のことはもう家族の一員のように思っていること。クラウスは私と会っている間、両親がずっと見られなかった生命力と喜びにあふれた様子だったこと。
そして、私のことを心配して、結婚の約束にとらわれなくていい、とも書いてあった。どれだけ待たせるかわからないし、迷惑をかけ、不幸せになるかもしれないから、とあった。
長い時間をかけてどうにか読み終えた後、私の気持ちは固まっていた。ドイツへ行って、クラウスのそばで生きていく。
クラウスのお母さんへ自分でドイツ語で返事を書こうと思った。単語の羅列になっていても、きっと意味は察してくれるだろうと楽観的に考えた。左門さんにはそのことをお礼とともに手紙で伝えた。
私の両親と祖父母はすでに亡くなっていて、きょうだいもいないこと。私の財産と言えるものは相続した土地と家だけで、その評価額はとても低いこと。それでもその両方を売って、ドイツでクラウスの近くで暮らしたいこと。結婚しなくても、ただそばにいたいこと。クラウスと両親に迷惑にならないようにするつもりであること。
何日もかけて、文章にもなっていない単語を並べていった。手紙を投函した時、一緒に航空便で体ごと運んでほしいと思ってしまった。冷静にならなくては。
クラウスのお母さんからの返事にも、冷静になるように、優しく諭してあった。今回は左門さん経由ではなく、直接うちに届いた。お母さんの手紙は前回とは違って、手紙は優しい単語を選んで使って、短い文章で書いてあった。
たくさんの感謝の言葉。ドイツに来てくれるのは嬉しいが、それがクラウスの病気に良い結果をもたらすとは限らない。逆にストレスになる可能性もある。オーカはまだ若いから、後々のことまで考えた方がいい。とあった。
でもそれから何回も手紙のやり取りをして私の決心が固いことを理解してくれた。そしてお母さんの考えも変わってきた。
思い切って同居してみよう。ドイツでは部屋を借りなくても、うちに住んでくれればいい。日本の不動産は売らずに貸した方がいいと思う。帰る場所は残しておいた方がいい。と言ってくれた。
私は行動した。私の計画を話すと、職場の人も春風さんも近所の人も不動産屋も、皆驚きあきれたけれど。それでも私には迷いひとつなかった。
お読みいただきまして、ありがとうございました。




