36 間に合え
昼食を終え、シェーンとクィチュセアの二人は鍛冶区画へもどる石畳を並んで歩いていた。
「なあ、シェーン」
豪快に笑いながら、クィチュセアはふと思い出したように口を開いた。
「お前、本当に面白い奴だよな。強ぇし、よく食うし、変に偉ぶらねぇ」
そういうと、クィチュセアは悪戯っぽく唇の端をきゅっとあげた。
「会わせたい奴がいる」
「会わせたい、奴?」
「ああ、うちの親父だ」
シェーンはわずかに首をかしげた。
「クィチュセアの親父さん?」
「そう。武器職人なんだ。昔は戦士でさ、今でもその辺の若い連中じゃ相手にならねぇ。腕は王国一なんていわれてる」
クィチュセアはいった。その声音には娘らしい誇らしさがにじんでいる。
「親父ならお前のこと絶対気にいるぜ」
「そうかな?」
「間違いねえ。強い奴と、努力する奴が大好きだからな」
そういうクィチュセアの笑う横顔は、門番としてみせていた豪胆さとはどこか違っていた。柔らかく穏やかな、年相応の少女の表情である。
その笑顔につられるように、シェーンもまた自然と頬をゆるめた。
仲のいい親子なんだな。
少しだけ羨ましい。そうシェーンは思った。
日本において、自分は両親を残したまま死んでしまった。思い返せば、胸の奥がわずかに痛む。だからこそ──。
家族を大切に想う姿を見ると、不思議と心が温かくなるのだった。
やがて二人は鍛冶区画へ足を踏み入れた。
絶え間なく響く金槌の音がする。赤く焼けた鉄が火花を散らし、屈強なドワーフたちが忙しそうに武器や鉱石を運んでいた。
いつもなら活気に満ちたその一角で、クィチュセアは足をとめた。
「あれ?」
訝しげにクィチュセアは目を眇めた。父親の工房の扉が開け放たれているからだ。中には誰の姿もなかった。
「親父?」
クィチュセアが声をかけた。が、返事はない。
その時だ。若い職人が血相を変えて駆け寄ってきた。
「クィチュセア!」
「どうした?」
不穏なものを感じ取ってクィチュセアは眉をひそめた。
「ヴンガさんなら」
いいよどむ職人の表情は暗い。クィチュセアの胸騒ぎが一気に膨らんだ。
「ズオジガさんが新しい鉱床を見つけたかもしれないって北の岩山にむかったんです。でも」
「でも?」
「オーガが出たそうです」
職人は硬い声で告げた。その一言でクィチュセアの胸騒ぎは確信に変わった。
「な、なんだって!?」
「逃げ延びたスィロスが知らせにもどってきました。それでヴンガさん、一人で助けにむかって」
「馬鹿野郎!」
クィチュセアの怒声が工房街に響き渡った。
「一人でオーガ相手に勝てるわけねぇだろ!」
「止めたんです。でも」
職人は悔しそうに拳を握った。
「きいてくれなくて」
「ちっ」
クィチュセアは小さく舌打ちした。
親父らしい。誰かを見捨てられる男ではない。だからこそ危ない。
「北の岩山だな」
問うと、返事を最後まで聞くより早くクィチュセアは地を蹴って駆け出した。
「俺もいく」
クィチュセアの背を追ってシェーンもまた駆け出した。
石畳を駆け抜ける。市場を横切り、人混みを縫うように疾駆。門を飛び出すと、そのまま山道へむかった。
「ほっ」
シェーンは息をもらした。クィチュセアの走りっぷりに感心して。
クィチュセアの脚は驚くほど速かった。普通の人間なら、とっくに置き去りになっている。
「お前、速ぇな」
感心してクィチュセアは目を見開かせた。
彼女は自身の脚に自信をもっていた。同等に走りことのできる者などざらにはいないと。
が、隣を走るシェーンはどうだ。同じ速さで走っていながら息一つ乱していないではないか。
「親父」
想いをクィチュセアは父親にむけた。
父は強い。それは誰よりも自分が知っている。
幼い頃、何度挑んでも勝てなかった。転んでは立ち上がり、泣いては剣をふる。ただ、あの背中に追いつきたくて。
「力ってのはな」
不意に幼かった頃に聞いた父の声が蘇った。
「守るためにつかえ」
父はそういった。
ぶっきらぼうで、滅多に褒めることなどなかった父である。それでも怪我をした時など不器用な手で必死に傷の手当をしてくれた。
熱をだした夜には一睡もせずに傍にいてくれた。
豪快な職人であり、不器用な父親。それでも──。
世界で一番尊敬している男だった。
死ぬなよ、親父。
クィチュセアは心中で叫んだ。
胸が締めつけられる。嫌な予感だけが膨らんでいった。
洞穴に足を踏み入れたとたん、空気が変わった。生臭い血の匂いが混じっているのだ。
やはり──。
クィチュセアの表情が険しくなった。
その時だ。
ドォンッ!
腹の底まで響く衝撃が洞穴を震わせた。続いて轟く咆哮。
「グオォォォ!」
オーガだ。聞き間違えるはずもなかった。
はじかれたように奥にむかって二人は駆けた。
光る苔があるせいか、洞穴内部は真闇ではない。とはいえ、暗いには違いなかった。クィチュセアの疾走速度も落ちる。
が、薄闇などシェーンには関係なかった。夜目がきくからだ。
「あっ」
突然クィチュセアの足がとまった。眼前に最悪の光景が広がっていたからだ。
ヴンガが膝をついていた。怪我を負って動けないようだ。それでも必死になって立ち上がろうともがいていた。
その背後では若いドワーフ──ズオジガが、これもまた怪我を負っているのだろう、苦痛に顔をゆがめていた。そして──。
二人を見下ろすように巨躯が立っていた。鋼なような筋肉に覆われた魔物。オーガだ。
オーガがゆっくりと腕を振り上げた。あれが振り下ろされればすべてが終わるだろう。誰の目にもそれは明らかだった。
「親父ぃ!」
クィチュセアの絶叫が洞穴に木霊した。
助けるため。クィチュセアは動こうとした。が、遠い。この距離では──。
届かない!
そうクィチュセアが思った。その時だった。
ふっ、と、
シェーンの姿が彼女の視界から消えた。
「えっ」
戸惑った声をクィチュセアがもらした。何がおこったのか、よくわからない。
一歩だ。ただ、それだけ。
シェーンが踏み込んだ地面が爆ぜ、衝撃だけが遅れて辺りの空気を震わせた。
次の瞬間だ。シェーンはオーガの眼前に立っていた。
刹那である。オーガの巨腕が振り下ろされた。
ガシィ!
まるで岩と岩がぶつかりあったような重く硬い音が響いた。衝撃が洞穴を揺らす。
鉄塊のようなオーガの巨腕がとまっていた。それから見れば細枝のような腕によって。──シェーンの腕だ。
腕と腕の激突の衝撃で土砂が舞い上がった。が、巨腕は少しも動かない。
かっ、とオーガの目が見開かれた。信じられないものを見たように。
ふるったのは全力だ。人間など紙切れのように叩き潰せるはずの一撃である。それが──。
眼の前のちっぽけな人間の片腕一本で完全にとめられていた。
静寂が訪れた。ただ風だけが洞穴の中を吹きすぎていく。
「間に合った」
シェーンの口から声がもれた。静かな声が。眼の前のオーガなど恐れることのない者だけが発しうる、それは他者の無事を知った安堵の響きがにじんだ声音だった。
「な、なんだ?」
クィチュセアは息をのんだ。ヴンガも。ズオジガも。
誰一人、目の前の光景を理解できなかった。当然だ。
あれほど圧倒的であった怪物が、たった一人の若者によって動きを封じられている。まるで夢を見ているようであった。
「な、なんなんだ、彼は?」
ヴンガがクィチュセアに目をむけた。その想いはクィチュセアにしても同じである。が、それよりも先に違う感情が彼女の胸にこみ上げてきていた。
助かった。
その想いである。
クィチュセアの全身から一気に力が抜けた。張りつめていた緊張がほどけ、今頃になって膝がわずかに震える。熱いものが喉の奥からこみ上げてきた。
間に合った。
涙が零れそうになるのをクィチュセアは必死になってこらえた。ぎゅっと唇を噛んで。
彼女の視界は涙ににじんでいた。が、そこに映っているのは、もはや絶望ではない。
目の前には、大切な人たちを守るように立つ、小さな背中があった。その背中が、クィチュセアには不思議なくらい大きく見えるのである。
「もう大丈夫です」
振り返ることなく、シェーンはそう告げた。
その一言。そう、たった一言だけで、その場にいるクィチュセアたちが抱いていた恐怖が静かに溶けていった。




