5月1日、1‐A
『5月1日、1-A』
佐藤八雲の前に少女が立ったのは突然のことだった。
スカートがひらめき、真新しいニーソックスと上靴に包まれた足が床を踏み鳴らす。紺色のブレザーの裾は浅い軌道を描き、中央の青いリボンが眼前まで迫る。勢い良く振り上げた両手がバンザイのように見えた。
直後、ホームルームが終わった教室に、突然の音が鳴り響く。
目の前に立った女子が、八雲の机に両手を叩きつけた音だった。
「キミ、ABAに興味ない!?」
“ラノベのヒロインが現れた”
涙をにじませ、耳まで真っ赤になった八雲の脳裏には、そんな一文が流れ、そして消えていった。
●
話は数分前にさかのぼる。
「――だぁからな、休み中はサボっていい時間じゃあないんだぞー。直後に中間テストがあるんだからさ。課題もやってこない、その上にテストも赤点、なんてことになったら、ゴウちゃん先生、お家まで押しかけちゃ・う・か・も(はあと)」
八雲のクラス、1-Aの教室では担任のゴウちゃん先生からゴールデンウィーク中の諸注意が伝えられていた。
ゴツい見た目の中年男性教諭が教壇の上でくねくねしながら頬に手を当てている。
「ヤダー」、「キショい」などと半笑いの声が教室のあちこちから聞こえてきた。当然といえば当然の反応だが、八雲はそれをすごいと思う。
(ゴウちゃん先生、あんたすげえよ。冗談とは言えこれを耐えるとは、なんて過酷な職業なんだ、高校教師……)
はっきり言って、いかつい顔のオッサンがくねくねしてるのはかなり気持ち悪い。でもそれは、教室の空気を和ませるための冗談で作っているキャラなのだ。多分。
隠し切れない威圧感(主に見た目に起因する)には苦手意識もある。だがそれをおいても、この教師が感じさせる安定感のある雰囲気は八雲を安心させた。
「ま、あれだ。マジで点数も態度も悪かったら面談するから、そこんとこヨロシク」
「ええー」
「マジかよー」
「それきついわ」
しっかりと釘を刺された生徒たちは教壇に向かってブーイングをするが、殺伐とした雰囲気にまではならない。ごく普通の、いや、結構うまく行っている、居心地のいいクラスだった。
それからしばらく、課題プリントの配布やら、なんやかんやと連休中の諸注意やらを経て、話の流れはまとめに入っていた。窓際の席に座る八雲はひと時の物思いにふける。
(いい感じのクラスに入れて、面白い先生に出会えて、特に問題なく生活を送れている。なのに、なんでかなあ)
はあ、と誰にも聞こえないため息を小さくついた。
(なんで、友達ができないんだろう)
友達ができない。それはこの数週間の間、八雲の頭を悩ませ続けている懸案だった。
周りを見渡せばわずか一月のあいだに友人グループを作ってしまったクラスメート達がいる。八雲にしてみればそれは瞬く間の出来事で、理解の範疇を超えていた。
途方にくれて天井を仰ぐ。
(日常系のマンガとか、ラノベの主人公みたいにしてれば、自然と仲のいい友達が向こうから寄ってくると思ってたんだけど……)
元・ひきこもりの八雲には絶望的にコミュニケーション能力がなかった。強いて言うならアニメとラノベが友達。家族を除いて、三次元で関わりのある生物は家に生息するハエ、蚊、ゴキブリだった。
(いきなり人間と心を通わすのは、僕には荷が重すぎたのかなあ)
これまでロクに学校生活というものを送ってこなかった八雲は、人の話を長時間集中して聴き続けることができない。すぐに集中を切らして話を聞き逃す。
今もまた、いつものようにボーっとして、周りの情報を受け流す網と化す。この網には本当にどうでもいいことしか引っかからない。
たとえばあの子の髪に枝毛がある、とか。
なんかノートにラクガキしてるやつがいる、とか。
右前方に蚊が飛んでいる、とか。
反射的に手が出た。
――ばあん!
机を思いっきり叩いた音が教室に響き渡る。それまで教室内に聞こえていた音より、数段大きな音量で。
教室中の視線がこちらに向けられた。
一瞬の沈黙の後、教壇の髭面が八雲に不審げな声をかけた。
「おい、どうした?……なんか気に入らんことでもあったか?」
突然机を叩いた音。蚊が飛んでいたことなど知らない人がそれを聞けば、何か暴力的な感情がこめられた行動だと解釈するだろう。
「あっ……あ、えと……蚊、なんか……あの……」
「はあ?」
「か、蚊……えーと……なんでも、ないです」
八雲はあらゆる方向から視線が突き刺さるのを感じた。顔がほてり、耳の先まで真っ赤になっているのがわかった。自分がやったこと、周囲が注目していること、教師が自分に向けた言葉、それら全てがぐるぐると脳内を駆け巡り、思考がめちゃくちゃになっている。
完全に思考停止した八雲に不審な目を向けたまま「なんでもないならいいけどよ」と、いかつい髭面が話を切り上げた。
もし、ここで「いや、蚊ですよ先生! 叩き潰しちゃったほら」と笑いながら手のひらを見せられたなら、彼が中学三年間の七割を自室で過ごすようなことはなかったのだ。
八雲が一番苦手な“周囲から向けられる奇異の視線”。よりにもよって最悪な形で、それを自ら呼び込んでしまった。
最初に中学で登校を拒否した日がフラッシュバックする。
この高校に入学を果たすため費やした努力と奮起が、波にさらされた砂の城のように、崩れていくのを感じた。
赤面のままうつむき、茫然自失となっていた八雲は、チャイムで我に返った。
涙でにじんだ視界の隅、机の右端に、潰れた蚊の死体がこびりついていた。
●
そして、風と衝撃が八雲の涙を吹き飛ばす。
ラノベのヒロインっぽい、劇的な登場でもって。
輝きに満ちた両目が八雲の視線を受け止めた。
「やろう、ABA!」
こんにちは、裸地栄太です。なろうには初投稿となります。
本作ではおもしろいキャラ、好きになれるキャラをどんどん登場させていきたいと思ってます。
執筆中、登場させたキャラが自分のお気に入りになってしまい、自分はこういうキャラ好きだったっけ?となることがよくありますははは。
読者の方々におかれましても、お気に入りのキャラを探しながら読んでいただければ、これ幸いでございます。
それでは。




