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第921話 「アドリーヌの帰郷《59》」

 思わず、フェルナンは走り出す。

 愛しいタチアナへ向かって一直線に。


 しかし、タチアナは動かない。

 最初にフェルナンを大声で呼んだのに、呆然と立ち尽くしているのだ。

 タチアナの胸には、様々な思いが去来していた。


 走るフェルナンは、あっという間にタチアナの目前に迫った。

 が、しかし!


 急にタチアナが、開いた両手を前に突き出した。

 いわゆる制止のポーズである。

 まるで自分の下へ来ようとするフェルナンを、きっぱり拒絶するようだ。


「タ、タチアナ!? な、何故?」


 フェルナンは不可解な行動をとったタチアナを問い質そうとして、思わず言葉を飲み込んでしまった。


 タチアナは目を真っ赤にして泣いていたからだ。

 悲しそうに、顔をくしゃくしゃにして。


「タチアナ……」


「フェルナン……私、貴方を裏切ったわ。父の言いつけとはいえ……他の男の妻になったのよ」


「あ?」


 フェルナンの脳裏にも、様々な記憶が甦った。

 運命的なタチアナとの出会い……甘く楽しい恋の始まりと終わり……

 そして……悪夢も浮かんで来る。

 そう、悪魔シトリーに見せられた悪夢である。


 脳裏に浮かぶタチアナの愛し、愛されて幸福そうな顔が……変わった。

 快楽に顔を歪ませる女となっている。

 聞こえないが嬌声をあげているのが分かる。

 いつの間にか、フェルナンの知らない男がタチアナに覆いかぶさり執拗に愛撫を与えているのだ。

 フェルナンの脳裏に浮かぶ幻のタチアナはまたも全裸になっていた。


 既に居ない筈のシトリーの声が、木霊こだまのように響いている。


『タチアナはでかい胸に、くびれた腰、そして締まった尻をしたとても素敵な女だったじゃないか? お前を虜にした素晴らしい身体だ、それを今や他の男が愛撫しているのだぞ』


「ややや、やめろっ! これ以上、見たくないっ、聞きたくないっ」


 フェルナンは思わず声に出して叫んだ。

 

 しかし!


 みだらな映像——幻覚、そしてシトリーの声——幻聴は止まらない。


『タチアナはとても男好きな女だ、吸い付くような肌をした、いやらしい好色な女なのだ。お前の愛などとうに忘れ、別の男の舌に全身を舐められるのが大好きだとさ』


 頭を抱えたフェルナンは、目を固く閉じた。

 思わずがくりと膝を突いてしまった。


 と、その時!


『惑わされるな!』


 フェルナンの魂へ鋭く響いた声。

 先程までフェルナンと話していた男の声。


『ル、ルウ!?』


 瞬間、今迄フェルナンが見ていた幻は一切が消え去った。


 驚いたフェルナンは男の名を呼ぶ。

 いつの間にか、気持ちも落ち着いていた。


『そのままで聞いてくれ。お前にまだ僅かに残る悪魔から付けられた傷が、幻覚を見せ幻聴を聞かせているんだ』


『これは幻覚、幻聴?』


『ああ、ここは夢の世界、異界だがお前にとっての現実はすぐ目の前にある』


『現実はすぐ目の前?』


『そうさ! フェルナン、しっかり聞いてくれ。タチアナさんはもう他人の妻ではない』


 タチアナが!?

 もう他人の妻ではない?

 どういう事だろう。


 フェルナンは吃驚する。


『え?』


『親が決めた結婚に先日終止符をうった。その原因はフェルナン、お前さ』


『結婚を? ……俺が原因?』


『タチアナさんはお前の事を忘れる事は出来なかった。夫となった他の男を結局は拒絶したのだ……それで離婚された』


『…………』


 フェルナンは言葉が出ない。

 タチアナの気持ちが……伝わって来るからだ。

 彼女が「ぷいっ」ときつく去る態度を取ったのは……フェルナンに追っかけて来て欲しかったのだ。


 そしてルウがはっきりと真実を告げてくれる。


『彼女が本当に愛しているのはフェルナン、お前なのだから』


「あ! あうあうあううううう……」


 言葉にならない声が出る。

 フェルナンの目から涙が溢れて来る。

 自分は何て愚かだったとも思う。 


『さあ、顔を上げろ、そして目をしっかり開けろ』 


 フェルナンはゆっくりと顔を上げた。

 勇気が出た。

 少しずつだが、瞼を開いて行く。

 

 タチアナの顔が見えて来た。

 やはり目が潤んでいる。

 大粒の涙も溢れていた。

 とても悲しそうな表情である。


 ここでルウがまた衝撃の事実を告げる。


『フェルナン、お前が今迄やって来た事を全てタチアナさんは知っている』


「俺の事を!? す、全て」


『悪いが、俺の嫁が教えた。お前が荒んだ生活をしていた事、そして心の隙を衝かれ怖ろしい悪魔に見込まれ起こしてしまった事を……だがタチアナさんはお前の全てを受け入れると言ってくれたんだ』


 ルウの命を受けた悪魔従士アスモデウスはシトリーの部下である夢魔共を退けた後、王都のカントルーヴ子爵邸に潜んでいた。

 タチアナへ更なる害が及ばないように、陰ながら見守っていたのだ。

 そこへフェルナンを送った後のモーラルが赴き、タチアナを転移魔法で強引に連れて来た。

 

 ルウが異界楽園(エデン)へ戻るまでの間、モーラルは今回の経緯を全て魔法で見せた。

 タチアナは、自分の目の前に寝かされたフェルナンを見てモーラルの話を信じる気持ちとなった。

 異界へ連れて来られるまでは、半信半疑だったタチアナ。

 モーラルの真剣さに話を聞いて事実を受け入れ、結局は意気投合したのである。

 即座にモーラルが、ルウへ報告したのは言うまでもない。


 フェルナンは複雑だった。

 ルウが大丈夫だと言っても、タチアナが自分をどう思うのかと不安だったからだ。

 悪魔に身を任せた自分を…… 


『…………』


 黙り込んだフェルナンへ、ルウは言う。


『回り道をしたお前の事を許してくれてはいる。だが……タチアナさんの心も傷ついている。逆に固く思い込んでいるんだ……お前が許さないと……裏切った自分を絶対に許してくれないのではと』


 フェルナンは驚いた。

 まさかタチアナが彼女自身を責めているなど、夢にも思っていなかったから。


「俺が!? タチアナを許さない? ば、馬鹿な!」 


『そうさ、彼女が他の男の妻になった事実を、お前が受け入れられないと思っている』


「そ、そんなの! 俺が悪いんだ、煮え切らず勇気を出さなかった俺が全て悪いんだ!」


 そうだ!

 大事な答えを、つい先送りしてしまった自分が全部悪い。

 フェルナンの中には、あの時の後悔の念が過った。


『そうか! ならばフェルナン、自分の心に対して素直になれ。強くなって、つまらない過去など振り切るんだ。お前はタチアナさんからやり直すチャンスを貰ったんだ、違うか?』


「違わないっ!」


 フェルナンは叫び、すっくと立ちあがった。

 今迄のフェルナンとは思えないほど力強く立ち上がった。


 驚いて目を丸くしたタチアナは思わず声が出そうになって、手を口を押えていた。

 そのタチアナを、慈愛を籠めて見つめながらフェルナンは思う。


 そうだ!

 タチアナが俺を許してくれたとすれば……

 勇気を出して歩み寄ってくれたとすれば……

 今度は……俺がもっと大きな勇気を出す番だ。


 その強い思いをルウは後押ししてくれる。


『フェルナン、今度こそ勇気を出してタチアナさんへ自分の気持ちを告げろ。己の手で幸せを掴め』


「ルウ……」


 フェルナンは背後のルウを振り返った。

 そして……


「ありがとう!」


 強い意思の力が宿ったフェルナンの瞳に、長身痩躯の魔法使いの姿がはっきりと映っていたのであった。

いつもお読み頂きありがとうございます。


お知らせです。 

東導の活動報告を更新致しました。

『魔法女子学園の助っ人教師』第2巻の情報をたっぷり盛り込みましたので、ぜひぜひご覧下さい。


http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/418248/blogkey/1800267/

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