第655話 「可愛くない王子には旅をさせよ!③」
ラニエロとロディオンは朝食を食べ終わった。
直ぐに仕事をするので、満腹状態にはせず腹6分目という感じである。
「さあ、出掛けるぞ」
「はいっ! ラニエロ……さん」
ロディオンは元気良く返事をしてから、ラニエロの名を遠慮がちに呼んだ。
しかし『さん』付けで呼んだロディオンに対してラニエロは手を左右にひらひらと動かした。
呼び方を変えろという意思表示であろう。
「ああ、ロディ。俺の事を『さん付け』をするのは、身内のお前はやめてくれないか」
「身内!?」
ロディオンはラニエロから『身内』と言われて少し嬉しかった。
王族として育ったロディオンにとって、家族以外からそのように特別な存在として扱われるのが新鮮だったのだ。
そしてラニエロは新たな提案をしてくれたのである。
「ああ、お前は期間限定でしか、鋼商会で働かないが、身内である事に変わりはない。幸い俺が年も上だし……兄貴、で良いぜ」
「え? あ、兄貴?」
兄貴!
本当の兄が居ないロディオンにとって何と甘美な響きなのであろう。
「ああ、そうさ。嫌か?」
「い、いいえっ! 兄貴!」
他の呼び方が良いのか?と聞かれたロディオンはぶるぶると首を左右に振る。
当然、ロディオンの了解の証だ。
こうなると話は早い。
「おう! 行くぞ、ロディ!」
「はいっ! 兄貴!」
こうしてロディオンとラニエロは仕事へ出掛ける事になったのである。
しかし商会の前に出てみると、『居るべき存在』が見当たらない。
「あ、兄貴! う、馬は使わないのかい?」
「馬ぁ!? そんなの居ないぞ。自分の足で歩いて行くんだ」
「居ない!? 馬が? 自分の足で……歩く……」
徒歩で街中を移動する。
ロディオンにとっては初めての経験であった
ラニエロはそんなロディオンの心中を直ぐ見抜いたらしい。
「ははは、やっぱりお前は貴族のお坊ちゃんなんだなぁ」
「うぐぐ……」
悔しそうに歯噛みするロディオンであったが仕方なくラニエロの後について行ったのである。
セントヘレナの街中はロディオンにとっては新鮮であった。
先程、メイスンこと悪魔シメイスと共に走った時は景観を気にする余裕などなかったから、今度は歩く事も楽しかった。
暫し歩いてロディオンとラニエロがやって来たのは、セントヘレナの中央広場に隣接する中央市場である。
時刻は午前4時少し前……
この市場の警備等を取り仕切る鋼商会の責任者がこのラニエロ・バルディなのだ。
市場の入り口にたむろしている男がいきなり声を掛けて来る。
金髪で長身の男はくたびれた茶色の革鎧を身に纏い、ショートソードを腰から吊っていた。
年齢は20代後半くらいであろう。
「おはようございます! ラニエロ兄貴! おっと! こいつですかい?」
その瞬間であった。
がん!
頭に拳骨を貰ったニーノが悶絶する。
「あがが! 痛たたたた……兄貴ぃ……」
そんなニーノに対して、ラニエロは厳しい表情で注意する。
鋼商会には、ニーノのように、鉄刃団時代の癖が抜けていないものがまだ多いのだ。
「ニーノ! 何度言ったら分かる? まだお前は礼儀を覚えないのか? まず相手へ挨拶してから、自分の名前を名乗るんだ」
「あわわ……済まない、兄貴! おう、おはよう! 俺はニーノ・カピッツィだ、宜しくな!」
「は、はいっ! おはようございます! 私はロディです、今後とも宜しくお願い致します」
ロディオンに丁寧な挨拶をされてニーノは苦笑いしてしまう。
「おお、俺に敬語とはくすぐったい! ロディよぉ! 俺もラニエロ兄貴ともども兄貴と呼んでくれや」
「あ、兄貴!」
思わず兄貴と呼んだロディオンに対して、ニーノの教育的指導が入った。
「馬鹿野郎! それじゃあ、どっちを呼んでいるのか分からないじゃないか! ラニエロ兄貴、ニーノ兄貴と呼び分けるんだ!」
「ははは、ロディ! ニーノの言う通りだ。そう呼んでくれ」
「ラニエロ兄貴、ニーノ兄貴」
「「おう!」」
3人は顔を見合わせる。
そして何となく可笑しくなったのか、大声で笑い合ったのだ。
「ははははは」
男達の笑い声は暫く夜明け前の市場の前に響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午前4時過ぎ……
まだ市場は客の姿がなく、閑散としている。
ラニエロによると午前4時30分から一般の客をいれるのだそうだ。
市場取り締まり担当官の腕章を付けたラニエロとニーノはロディを引き連れ、市場内に入る。
同時に様々な人間がラニエロとニーノに対して挨拶をして来た。
どうやら2人は市場の人間達とすっかり顔馴染みらしい。
「ラニエロ、ニーノ! おはよう! 今日も頼むぜ!」
「ラニエロ、ニーノ! お疲れさん! やる事が一杯あって大変だろうが頼りにしているぜ」
「おう! 俺達、鋼商会に任せておけ!」
ラニエロは彼等に対して大きな声で言い放った。
市場の人間の指摘通り、鋼商会の担う業務は多い。
大きく分けると業務としては4つである。
客同士のトラブルの収束。
店同士のトラブルの収束。
客と店のトラブルの収束
それ以外のトラブルの収束。
こうしたものには些細な口喧嘩から、死や大怪我を誘発しかねない暴力沙汰、窃盗や詐欺、恐喝、誘拐などの犯罪行為の解決も含まれている。
本来なら、セントヘレナの衛兵隊もしくは騎士隊が取り締まる案件ではあるが、頻発する数の多さに対して対処する人数が絶対的に足りない為、当事者同士で解決せざるを得なかった。
しかし当事者同士ではお互いが正当性を主張する為に折り合わない場合が殆どであり、事態が更に泥沼化してしまう事も多く、死者が出る事もざらであったのだ。
このような業務の場合はその場所ごとに鋼商会に対しては事件解決の為に大きな権限が持たされている。
衛兵隊の持つ捜査権、逮捕権に近いものであり、ここでは市場内だけで有効なローカルルールではあったが、そうしないと鋼商会の担当者自身の命に係わる事になってしまうからだ。
そのような仕事なので勤務自体は厳しく、辛い。
一方から罵声を浴びせられるなど日常茶飯事であり、暴力行為を受ける場合も多かったからである。
ただ、ひとつ決められているのは命の危険に晒されても、出来る限り相手を無傷で取り押さえる事だ。
被害が拡大しそうな時でもその規則を必ず守るというわけではないが、後々非難されない為には適切な判断も求められたのである。
3人が巡回を始めて、早速『事件』は起きた。
隣の店同士の中傷合戦である。
どちらの店の商品が優れているかという、傍から見たら他愛も無い物なのだが、店の主人にとっては真剣だ。
簡単に認めてしまえば、店の信用そのものも貶められかねないからである。
ロディオンが見ている前で、ラニエロとニーノは宥めたり、すかしたりして根気良く両者を説得した。
基本的には理性に訴えるような説得方法だ。
概して感情的になっているのでクールダウンすれば、何の事はないという結果になると。
暫しのやりとりの後、店主同士は納得したようだ。
ぎこちないながらも笑顔を見せて、握手したのである。
「す、凄いですね! 兄貴達は!」
感動したロディオンが、思わず賞賛の声を発するとラニエロとニーノは照れた。
その表情が幼い少年のように無邪気だったので、ロディオンも微笑ましくなる。
ラニエロが遠い目をしてぽつりと呟いた。
「最初は大変だった……だけど所詮は積み重ねよぉ……」
「そうだな……兄貴の言う通りだ」
ニーノも同意してうんうんと頷いた。
「積み重ね?」
聞き返すロディオンに対してラニエロも頷く。
「ああ、地道な積み重ねによる信用よ。信用があるからあの店主達は納得してくれたんだ」
信用……
ロディオンは魂の中でもう1度繰り返した。
あのルウは両親や騎士団長の信用をあっさりと得てしまった。
地道に積み重ねて初めて得る信用を……一体、何故なんだろう?
ロディオンが自問自答しているとラニエロが口を開く。
「相手を良く見るんだ。そして何を考えているか、求めているか見極めるんだ。俺達がこの商売を始める時にルウの兄貴から徹底的に教えて貰った基本なのさ」
ええっ!?
あのルウが……この『兄貴達』に信用を得る方法を教えたのか?
それも基本だと!?
相手を……良く見る。
何を求めているか、見極める……か。
それを私に教える為にあいつ……このセントヘレナへ送ってくれたのか……
ロドニアの誰にも知られず、私が存分に学ぶ為に……
その瞬間、ロディオンの胸の中には爽やかな一陣の風が吹いていたのであった。
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