第656話 「可愛くない王子には旅をさせよ!④」
こうして……
ロドニアの第一王子ロディオンの修行の日々が始まった。
夜も明け切らぬうちに起床して、メイスンこと悪魔シメイスと基礎体力つくりに始まり、剣と体術の訓練……
朝食を摂った後は、ラニエロ・バルディ、ニーノ・カピッツィと共に中央市場警備の仕事に就くのだ。
昼食を挟んで市場の仕事を夕方までこなすと、ロディオンに体力は残っていなかった。
何とか夕食を摂るのが精一杯で、死んだように爆睡してしまうのだ。
初日は仕事自体が辛かったのは勿論、初めて会う相手との会話もぎこちなかったし、気後れした。
しかし2日目からは徐々にペースを掴んで来た。
身体を鍛えるのは元々好きであったし、市場警備の仕事も新鮮であったからだ。
気さくに接してくれるセントヘレナの市井の人々の中で、ロディオンは彼等の暮らしぶり、そして世間のしきたりや仕組み、物価など多くを学んで行ったのである。
決して気を抜けない仕事ではあったが、騎士であるロディオンは緊張感の中に身を置くのはさほど苦にならなかった。
3日目が過ぎ、4日目に入るとまだまだ拙い部分はあるが、トラブル処理にも対処出来るようになって来たのだ。
当然の事ながら、ラニエロやニーノの仕事振りをじっくり観察して、自分のものにしたのは言うまでもない。
こうなるとロディオンは今の仕事が楽しくなって来る。
実の所、このまま彼等と暮らして行く方が自分らしいし、やりがいがあると感じてもいた。
妹リーリャの夫であるルウが考えた上で、自分を鍛える為にこの地へ送ってくれた思い遣りは感じていたが、ロディオンにもプライドがある。
今更、どの面下げてロドニアへ戻れるのだろう……
自分から軽はずみな勝負をしかけたばかりに第一王子の座を奪われてしまっているのだ。
ロディオンは、既にこのセントヘレナで鋼商会の『ロディ』として生きて行く事を決めていたのであった。
4日目の仕事が終わり、中央広場の居酒屋でラニエロ達と夕食を摂った後、ロディオンは1人戻って来た。
現在、彼が住んでいるのは鋼商会が、訓練施設と同じ敷地内に建てた宿屋風の社員寮である。
1階のカウンターに管理人の老婦人が居て、荒くれたちが多い鋼商会の社員の面倒を見ているのだ。
「ああ、ロディ、お帰り! お疲れ様だったね。まだ慣れないから大変だろう?」
「大丈夫! メリザンドさんの顔を見れば直ぐ復活するから!」
「あら、まあ! 口が上手くなったねぇ! 私が30歳若けりゃ、あんたを絶対彼氏にするのにね」
「ははは、残念だ!」
ロディオンはこんな他愛もない会話をすることさえ、幸せを感じている。
彼はルウとの会話の際に見せた険が一切無くなっている事に気付いていない。
「さあ、寝るか!」
明日も朝が早い……
師匠のメイスンは容赦なく自分を鍛えるだろうし、兄貴分達も仕事を容赦なく振って来るに違いない。
顔も知られたので、市場の人達からは気さくに声をかけられるだろう。
口笛を吹きながら、ロディオンが自分の部屋の扉のノブに手を掛けた瞬間であった。
誰かが……部屋の中に居る!
ちなみに、この寮の部屋は全て個室で貸し出されている。
赤の他人が居るなど、ありえないのだ。
「だ、誰だ!? な、中に居るのは?」
ロディオンは緊張しながら、声を掛ける。
無論、扉は閉めたままだ。
果たして……
「ははっ、俺さ! ロディ」
それは忘れもしない……自分の身も心も完膚なきまでに打ち倒した男の声である。
「ルウ!」
ロディオンはノブを回し、扉を開け放つと、部屋の中に入って行ったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「久し振りだな、ロディ」
「…………」
ルウは部屋の中にある粗末な椅子に座っていた。
だが、ルウの顔を見たロディオンの表情は複雑だ。
自分を追い落とした男……同時に自分をこの地に送って『変えてくれた』男でもあるのだから。
それにしても……
「どうして、俺がここに? って顔をしているな」
ルウはロディオンの胸中を見抜いたようにずばりと指摘した。
ずっと先手を取られっ放しのロディオンはまたもや、だんまりである。
「…………」
「まあ、俺がここに居る事自体は大した問題じゃあない。それよりお前の方さ」
ルウの表情はずっと穏やかであり、口調は相変わらず屈託が無い。
相変わらず無言のロディオンを、ルウはじっと眺める。
口を真一文字に結んだロディオンの目付きは鋭い。
「……ふむ、良い顔付きになったな」
どうやらルウから見ても、以前会った時のロディオンとは違うようだ。
ここで漸くロディオンが口を開いた。
「ルウ、お前の意図は理解したぞ」
「おお、さすがにボリス王の息子だ。なら、話は早い。これから巻き返しに期待だな」
「巻き返し?」
ルウの悪戯っぽい笑みの意図が分からず、ロディオンは怪訝な表情で首を傾げる。
そんなロディオンに対して、ルウはきっぱりと言い放った。
「ああ、巻き返しだ。お前はボリスの親父さんの跡を継いで、ロドニアを引っ張って行く立場なのだからな」
「な、何!?」
「まあ、紅茶でも飲みながら話そうぜ。美味い焼き菓子もあるぞ」
いつの間にか取り出したティーカップを見せて、ルウは微笑む。
しかしロディオンにとってはそれどころではない。
「紅茶など要らん! それよりお前が今言った意味は何だ!?」
「言った意味? 言葉通りさ。お前はロドニアの王となるのだから」
「えええっ!? 俺が……王!? だったら勝負に負けて、お前に渡した第一王子の座は!?」
「ははっ! 勿論、ノーカウントだよ、ロディ」
先程から話が噛み合わないのも当然であった。
進退を賭けたアームレスリングの勝負をルウが無効と言い切ったのだから。
呆気に取られたロディオンに対してルウは更に言葉を続ける。
「今のお前なら、あんな勝負がとても馬鹿げたものだったと分かるだろう?」
「ぐぐ……」
馬鹿げた勝負……
確かにここセントヘレナに来て何度も考え、後悔した黒歴史である。
「図星……だな。だったらお前が以前も今も変わらず第一王子さ」
ルウは事も無げにしれっと言う。
ロディオンにとってはありがたい話なのだが、ルウに負けっ放しの、このままでは彼の男としての誇りはどうなるのか?
「……うう、納得したいが……納得出来ない!」
ロディオンが苦し紛れにそう言うと、ルウは交換条件を出して来た。
「だったら、貸しひとつだな。いや3つくらいか?」
「な!?」
ルウの軽口に唖然とするロディオンであったが、またもやルウは彼の胸中をずばりと指摘したのである。
「お前、ここの暮らしも結構気に入って、このまま鋼商会の一員になっても良いと思っただろう? 良い先輩にも恵まれてさ」
「ぐぐ……」
確かにロディオンは、ルウの掌の上で遊ばれていた。
それが彼自身分かるだけにとても悔しい。
「図星だろう? 顔にはっきり出ているぜ。将来、王になるならもう少し腹芸を使ってくれ。さあ、それより折角淹れたんだ。紅茶くらい飲んでくれよ」
ルウがカップを差し出すと、ロディオンは引っ手繰るように掴んで、一気に紅茶を飲み干した。
「う、美味い!」
「だろう?」
答えを求めるルウの顔は相変わらずの笑顔である。
「ああ、美味い! 美味いな! 当然、お代わりだ!」
ロディオンも思わず笑顔で返す。
異国の地に送られた王子は、この時初めてルウの思い遣りを受け入れる事が出来たのであった。
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