第650話 「友情の回復⑤」
「バルおじ様。私、今度結婚する事になったのよ」
リーリャのいきなりの告白により、虚をつかれる形になったバルタザール・フェレは呆然としていた。
「リーリャ様……」
掠れた声でリーリャの名前を呼んだバルタザールは、今の状況を漸く現実として受け止めたらしく、大きな溜息を吐いた。
「華やかなお式はしませんけど、近いうちに内輪で簡単なお祝いをしようと思うの。バルおじ様にはぜひ出席して頂きたいわ」
リーリャが改めてバルタザールを誘うと、彼は漸く安堵の表情を見せる。
「……ははは、リーリャ様。貴女様がお幸せそうでなによりです。私はホッとしましたよ」
「では、出席して頂けますね?」
リーリャが勢い込んで聞くと、バルタザールは力なく首を横に振った。
「出席したいのは、やまやまですが、私は貴女のお父上に蟄居を命じられています。出仕したくても出来ないのですよ」
苦笑したバルタザールはそう言うと、一転して真剣な表情でリーリャをじっと見詰めた。
「そして私の身体も酷く弱り、大いなる声がお前は天に召されると伝えて来ました」
バルタザールの反応を見たリーリャは「ふう」と小さな溜息を吐いたが、首を左右に振ったのである。
「バルおじ様、大丈夫です! お父様は……変わりました! というより元の優しいお父様に戻ったのです……その証拠が……彼です」
リーリャはバルタザールを安心させるようにそう言うと、ルウを指し示した。
バルタザールの視線は自然にルウへ注がれる。
「ルウ・ブランデル様といいましたな……彼はヴァレンタイン王国貴族のご子息ですかな?」
ルウを貴族の子弟と聞くバルタザールの感覚は至極真っ当であった。
それほどこの世界で身分の差は大きいのだ。
「うふふ、バルおじ様。彼は平民の魔法使いですよ」
「平民!?」
驚くバルタザールを尻目に、リーリャは柔らかな笑顔を見せた。
「ええ、先程私の記憶を見たでしょう? 彼こそが私を、お父様を、そしてロドニアを救ってくれた魔法使いなのです」
先程、リーリャの記憶にあった魔法使いがまさか目の前の男とは思えなかったのでバルタザールは思わず驚きの声を洩らす。
「な、何と!?」
「バルおじ様、良く聞いて下さい。お父様は私とルウ……旦那様との結婚を喜んで許してくれたのです」
「何と! お父上様が!?」
リーリャの話はバルタザールにとっていちいち衝撃的であった。
「はい! 家族全員で楽しく話もしました。お兄様だけは不満そうでしたけど……」
「そ、そうですか!」
「ええ、今回、旦那様はヴァレンタイン王国の公使としてロドニアへ参りました。これからロドニアとヴァレンタインは更に仲良く手を取り合って歩んで行くのですよ」
「何と! 私が蟄居を命じられた時と状況は大きく変わったのですな。良かった! 本当に良かった」
ロドニアとヴァレンタインが戦争にならずに済む。
バルタザールが進退をかけて、上申した事がやっと実を結んだのだ。
これほど喜ばしい事は彼にとってなかったのである。
しかしリーリャの話はこれで終わらなかった。
「ふふふ、もっと驚く事があるわ。今回、旦那様が来た案件とはヴァレンタイン王国の援助により、ロドニアに魔法学校が創設される事なのよ」
「えええっ!? そ、それは!」
「確かにそのような申し入れをして来たヴァレンタインには思惑がある。だけど今回の件は大きな前進であり、友好国としての絆をお互いに深める大きな機会でもあるわ」
「リーリャ様!」
「だけどこの案件も含めて、これからやる事は山積みなの。はっきり言いましょう! 貴方が必要なのです、バルおじ様。リーリャは待っています……貴方がお戻りになる事を……」
ここでリーリャはルウに向き直ると、ぺこりと頭を下げた。
「旦那様、後は宜しくお願い致します」
リーリャはそう言うと、かき消すようにこの場から居なくなったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
天の使徒イルーミノが創りし、異界……
リーリャが去り、残ったルウとバルタザールは対峙している。
「貴方は……本当にロドニアを救ったようだ。今の私には……分かるんだ。そして貴方は……ああ、駄目だ! き、急に! み、見えなくなった!」
この異界で魂が聖人へと昇華したバルタザールはルウの出自さえも垣間見えたようだ。
しかし、直ぐにその視点は遮られてしまったらしい。
ルウはバルタザールに対してきっぱりと言い放つ。
「……貴方は今迄の善行により聖人になる。遥かなる時を経て、天の啓示により貴方の名は後の世で称えられるだろう」
「私が……聖人」
ルウの言葉を聞いたバルタザールは呆然としていた。
自分が聖人になるなど想像も出来なかったのであろう。
清廉潔白にロドニアの為に邁進して来たバルタザールを天が評価したのである。
「私は……これから……どうなるのです……」
「貴方と俺が今居るこの世界は、ある者が創り出した異界だが、貴方がこれから赴く場所に近いんだ」
「え!?」
「貴方はその地にありて、常に穏やかな心持ちで生きて行く事になる」
「…………」
暫し、考え込んでいたバルタザールであったが、何かを急に思い出したようにハッとする。
「ルウ様! 陛下は!? ボリス陛下はどうなるのです!?」
バルタザールは必死の面持ちで問い質すが、ルウは黙って首を横に振った。
「…………そうなのですか……そ、その事を本人とリーリャ様は?」
バルタザールの再度の問い掛けにもルウは黙って首を横に振る。
「俺は前向きな人の希望や志を壊す事など出来ない。それにボリス王は俺の父親になる人だ。彼の魂が少しでも救われるように、俺は尽力するつもりさ」
ルウの決意を聞いたバルタザールは大きな溜息を吐いた。
そして苦悩する気持ちを辛そうに語ったのである。
「……ルウ様、分からない、私には! どうして良いのか? お願いだ、教えてくれ!」
しかしルウの答えは彼の意に沿うものではない。
「貴方が聖人になるのは天が定めた理からだ。それをもし変えるのならば、改めて扉を選び、開けて示された道を進むのは貴方さ。残念ながら俺が道を示す事は出来ない」
「…………」
「ただこれだけは言っておこう。貴方が茨の道を進むのなら、俺は貴方と共にあるだろう」
ルウの言葉を聞いたバルタザールはじっと彼の顔を見詰めている。
そしていきなり大声で笑い出したのだ。
「ははははは! 私は……馬鹿だな! 自分の魂に対して素直になれば、答えは自ずと決まっているだろうに!」
バルタザールはそう言うと大きく頷いたのである。
「私の魂はボリス陛下、グレーブと共にある。彼等が茨の道を歩むのであれば、当然一緒に歩む!」
爽やかな風が相変わらずバルタザールを包んでいる。
この世界での暮らしは決して悪くなかった。
そして偉大なる聖人になったら、過ごす日々はさぞ心安らかであろう。
だが……
バルタザールの居る場所はここではないのだ。
「よっし、バルタザールさん、戻るよ!」
ルウが帰還を促す明るい声が響く中、バルタザールは改めて頷いた。
その瞬間、ルウとバルタザールの姿はこの異界から消えていたのであった。
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