第648話 「友情の回復③」
イルーミノの忍耐も限界を超えていたようであるが、ルウの怒りはそれ以上であった。
いつもの穏やかなルウの面影は微塵もない。
先程もそうであったが、怒りから来るルウの気迫はイルーミノを遥かに上回っていたのである。
「やってみろ!」
ルウは厳しい表情で言い放った。
自分を敬い、へりくだっていた筈の人の子が、いきなり豹変した事にイルーミノは面食らっている。
「な、何!?」
「俺が誤った事をしようとしているのなら、貴様の使う浄化の炎で一瞬にして焼き尽くされる筈……だが、貴様が間違っているのなら、創世神が与えた浄化の炎は逆に貴様自身を焼き尽くすぞ」
イルーミノにいくら叱責されようが、ルウは自分が間違った事をしているとは一切思っていない。
邪悪な存在を浄化する灼熱の炎を浴びせられても、平気だと言い放ったのである。
「ななな、何だと!」
驚くイルーミノに対してルウは腕を振りかざした。
すると拳から黄金に輝く魔力波が一直線に伸び、剣の様な形状となったのである。
かつて悪魔ネビロスに抜き身の剣と呼ばれた恐るべき剣であった。
ルウは抜き身の剣をひと振りすると、イルーミノをキッと睨みつける。
「やれるものなら、やってみろ! 貴様の放った浄化の炎はお前に対して瞬時に返って来るだろう。俺は貴様の身体が炭化し滅びた瞬間に、抜け出た魂をこの剣で斬る。そのまま貴様は未来永劫消滅する事になるのだ!」
今度はルウの挑発が終わらない。
こうなると、人の子の上に立つイルーミノも一歩も引けなくなる。
「お、おのれ! やってやる! お前を塵にしてやるぞぉ!」
「おう、やってみろ!」
売り言葉に、買い言葉。
さあ、開戦という時であった。
2人の魂に突然厳かな声が響いたのである。
『やめい! 愚か者共!』
「ててて、天使長!」
「…………」
イルーミノはハッと我に返り、ルウは目を瞑って黙り込んだ。
間を置かず天使長と呼ばれた声はイルーミノを嗜める。
『照らす者よ! 私は先程からお前達の会話を聞いていたが……ルウが怒ったのはお前に原因があるぞ!』
「な!? わ、私に……原因が!? ですか?」
思わぬ天使長の指摘にイルーミノは気色ばむ。
絶対に納得できないと言う表情がありありだ。
しかし天使長はイルーミノの暴言を全て覚えていたのである。
『もしお前が下劣な不良品だの、最低の虫けらだの、彼に言われてみろ! そんなに平静でいられない筈だ』
「…………」
天使長の指摘に黙り込んだイルーミノ。
だが天使長は次にルウを嗜めたのだ。
『ルウ、お前もそうだ! 大天使の中でも最高位の熾天使を殺すなど、大罪である。お前だけでなく家族、縁者、知人にまでその罪が問われる事になるのだ。短慮はいけないぞ!』
「はい! 申し訳ありませんでした!」
ルウは深く頭を下げ、更に黙り込んだイルーミノに対しても素直に謝罪したのである。
その様子を見た天使長は話がついたと見て、ルウとイルーミノに対して一時休戦を打診したのだ。
『この場は私が預かる! 良いな?』
これ以上イルーミノと争う理由はない。
ルウはすかさずOKする。
背中の巨大な羽と抜き身の剣はいつの間にか消えていた。
「ああ、俺は構わないですよ。どうせ父は自分の力で救おうと思っていましたから」
「照らす者! お前もだぞ! 良いな?」
天使長に念を押されたイルーミノであったが、ルウに謝罪されたせいもあって、少しクールダウンしたようである。
「……分かった、天使長! 私も熱くなり過ぎた。そして言い過ぎた……済まなかったな、ルウよ」
先に謝罪されていたので、誇り高いイルーミノも素直に謝る事が出来たようだ。
こうなればルウも、いつもの穏やかなルウに戻る事が出来る。
「俺も……言い過ぎました! 本当に申し訳ありません!」
再度、謝罪したルウを見た天使長はてきぱきと指示を下す。
「よし! 照らす者! これで手討ちは済んだ。お前はさっさと撤収しろ! ルウ、バルタザールが聖人になる予定だったのは事実だ。天の理を変えるというのなら、お前自身の力でやってみせよ!」
天使長の厳かな声が響き渡ると、ルウはまた深く頭を下げた。
「はいっ! 分かりました!」
「ちょっと待って下さい!」
ここで手を挙げたのはイルーミノである。
『どうした、照らす者?』
訝しげに問い掛ける天使長に対してイルーミノは笑顔を見せる。
それはルウがこの異界で彼に会ってから初めて見る笑顔であった。
「私も改めて考えました、天使長……人の子の可能性とは何か、そしてそれ以上に、この男のお人好しさが気になるのです」
『ははは、確かにそうだな』
「ルウは妻の父という深い縁があったとはいえ、赤の他人の為にこの私を殺そうとまでした。そこまでして断たれそうになった人の子の可能性を繋ごうとした」
『ふうむ……』
「天使長、貴方の仰る通り、今回は彼に手助けをしません。だが、見届けたい! ただそれだけです。お願い致します! この場に残る許可を……ぜひ、頂きたい!」
どうやらイルーミノの中で何かが変わったようである。
イルーミノの言葉を聞いた天使長はよほど面白かったらしく、弾けるように笑い出したのだ。
『ははははは! どうした事だ! 我々天の御使いは未来永劫その本質は変わらぬ筈なのに……照らす者、お前は従来の厳格で公正な性格の中に新たな寛容性を見い出し始めたようだ、……羨ましいぞ!』
「で、では!」
『ははははは! 当然! ……許可をしよう!』
「あ、ありがとうございます!」
イルーミノは天界に居るであろう天使長に向って深々と頭を下げる。
彼は今迄に経験した事の無い不思議な気分を体感していたのだ。
何故か気持ちが高揚し、浮き浮きして来たのである。
そこにルウの手が差し伸べられた。
イルーミノが振り返ると魂の底から嬉しそうな笑顔を浮かべたルウが居る。
「イルーミノさん……もしよかったら握手して欲しいんだ。ええと、俺みたいな奴なんかじゃ、駄目かな?」
「馬鹿言うな! 大歓迎だ!」
イルーミノは躊躇うことなく、ルウと同じくらいの笑顔を浮かべ、力強く彼の手を握っていたのであった。
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