第600話 「ザハール・ヴァロフの贖罪」
ルウの膝の上に乗せて貰ったリーリャは嬉しそうに微笑んでいる。
彼女の表情に最早怯えの色は無い。
愛する夫の手を確りと握り、視線は真っ直ぐザハール・ヴァロフに向けられていた。
会話はルウからのさりげない話題で始まった。
「ザハール、ロドニアの景気はどうだ?」
「とてもようございます! 我がヴァロフ商会が中心になり、各国との交易も好調ですね」
ヴァレンタイン王国に居る時でも商家の主人とこのように実務に関して話す機会など滅多に無い。
特に隣国であるロドニアの商業の概況だ。
どのような話が聞けるのか、妻達も興味津々であった。
「好調か……具体的にはどうだ?」
「はい! 隣国ヴァレンタイン王国との交易は今回のリーリャ王女留学におけるボリス王の大幅譲歩により、鉱物資源や木材の取引量は著しく増えました。だがボリス王の指示とはいえ、ヴァレンタイン側に圧倒的に有利な値付けで利益はとても薄い。いわゆる薄利多売状態となっております。まあヴァレンタインから購入する大量の食料品や酒の方できっちりと稼がせて貰いますよ」
ザハールの言う通り、リーリャの留学許可を貰う為の戦略としてボリスは交易条件の大幅譲歩をヴァレンタイン国王リシャールへ申し入れている。
ザハールは商人として利益の薄さを愚痴るが、結果的にそれが両国の交易を一段と活発化させているのだ。
「他には?」
「バートルガーの港湾都市ファロールを経由して様々な海産物は勿論、南方各地の商品を大量に仕入れています。また北東のアールヴの国イェーラからはハーブと獣の皮を、ドヴェルグの国ウルズからは武器防具や細工物を仕入れております。更に東方への販路開拓も予定しており、取引量はどんどん増えそうですな」
「ここノースヘヴンに世界中から物が集って来るという訳だな」
「はい! 只今、リーパ村の配送所を大きく増設しております。そうなればガラヴォーグ川の水運によって得られる物資の扱い量が飛躍的に増えますよ」
ザハールは商会の順調な業績に胸を張る。
そして彼の説明を聞いていたリーリャも納得したように大きく頷いた。
ロドニアの公人として割り切れる状況ではあるからだ。
ルウが話を一時中断し、リーリャに説明してくれる。
「リーリャ……こうやって商業が盛んになると取引に応じて王国も潤う、分かるな?」
「はい! ザハール達商人から売上げに比例して税金が入るからですね」
リーリャも王国が国民から得る税金で運営される事は理解をしていたが、具体的な仕組みまでは把握していなかった。
ここでルウは更に説明をしてくれた。
「ザハールとフィストから聞いたが、ロドニアは最初に規定の税金を払えば後はどんなに利益を得ても支払わなくて良い仕組みだったらしい」
「そうなのですか……でも、それって……」
リーリャには詳しく理解する事が出来なかったが、ロドニア王国にとってどうなのかと考えるとあまり良いものには思えなかった。
「商人は助かるが、それでは王国の税収は上がらない。それをザハールの進言で利益に応じて納税するという形に変えた。実際に王国へ納金するというやり方で既成事実を作って行ったのだ」
「でも……他の商人達からよく非難されませんでしたね?」
リーリャが驚いたように言う。
商人が自ら既得権利を壊す――それも利益獲得に直接結びつく重要なものをだ。
ここで苦笑しながら答えたのがザハールである。
だいぶ酷い目にあったようだ。
「はい! 非難どころか最初は商人仲間に蛇蝎の如く嫌われ、挙句の果てに殺されそうになったのも1回や2回では済みませんでしたな」
「まあ! 大変でしたね!」
「ふふふ、そのような時には私が役に立ちましたから」
メフィストフェレスがにやりと笑う。
しかしルウの命令により、暗殺を指示した商人達は「始末」などはしていない。
非合法なやり方に対して糾弾し、反省させた後は、最終的に説得する方法で対応したのだ。
こうして商人仲間を許し、業務に邁進させる事でザハールのネットワークはより強固になって行った。
「ルウ様の深謀遠慮です。そうやって王国と深く結びついた方が様々な国家的援助をして貰い、最終的には大きな得をする。いわば共存共栄でございます」
「ははっ、ザハール。もう少し付け加える事があるだろう?」
ルウにもう少し説明をするように促されたザハールは満足そうな笑みを浮かべる。
「まあいわば損して得取れ……ですな。それに私は我が商会の従業員達にも充分な給料を与えています。王家や貴族、そして金持ち連中だけ金を持っていてもいずれ国が立ち行かなくなる。一般市民や農民が自由に使えるくらい金を貰えなければいけません。それでこそ物が回り、国が繁栄するのです」
リーリャは素直に驚いていた。
ザハールに私利私欲を超えた素晴らしい商人魂を見たからだ。
商人が皆、同じ考えならばどれだけ素晴らしいだろう。
今迄の話を聞いて、リーリャのザハールに対する嫌悪感や恐怖心は完全に払拭されたようだ。
ルウの顔をじっと見詰めると、握っていた手に強く力を篭めたのである。
それはこのような処置をしてくれた夫に対する感謝の気持ちの表れであった。
「了解だ。では例の話に入ろうか?」
ここから話は肝心の本題に移るようだ。
ザハールはメフィストフェレス経由で既にその話を知っていた。
「分かりました! ルウ様がこれからボリス王へ提案なさる魔法学校創立の件ですな」
衝撃的なザハールの言葉に対して妻達には驚いた様子が無い。
これは馬車の中でザハールの話をした直後にルウが妻達へ伝えてあったからである。
ルウが話す内容に妻達は吃驚していたが、ルウがロドニアへは絶対に赴任しないという事実を知るとやっと落ち着いたのだ。
ザハールは自信満々という笑顔を浮かべている。
ルウの依頼に対して準備万端という面持ちだ。
「資金と用地は私にお任せ下さい。既に目星をつけてあります」
「分かった。資料と説明を頼む」
ザハールはルウ達に詳細な内容を記した資料を渡し、熱心に説明をしたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ではルウ様、また王宮で……皆様、失礼致します。御呼び立てなどしまして申し訳ありませんでした」
ザハールとの接見は終了した。
彼とは後日、ロドニア王国王都ロフスキの王宮で会う事になる。
「ああ、またな」
ザハールの手配も完了しているようなので、リーリャの父ボリス・アレフィエフにルウが謁見した際、彼女との結婚話と魔法学校創立の話が具体的に話せる事となった。
当然、リーリャの表情も明るい。
色々な意味でザハールとの接見は彼女にプラスになったからである。
そして接見がプラスになったのはリーリャだけではなかった。
「私にとっては凄く有意義な時間でしたわ!」
ジョゼフィーヌは将来の事を考えると迷ってしまう。
彼女は進路相談で教師志望、すなわち魔法女子学園の先生になりたいと明かしている。
しかし、店を経営してみたいという希望も捨て難いのだ。
ザハールの話は世界レベルの商売の話であった。
個人経営の店も確かに素敵である。
しかし世界を股にかけるという表現がぴったりな、スケールの大きな話にジョゼフィーヌはとても刺激されたのだ。
「ええっ!? ジョゼは私と一緒に先生になるのでは?」
親友であるオレリーが心配そうに尋ねるが、ジョゼフィーヌは明言を避けている。
「ううう……私、迷っていますの……」
悩むジョゼフィーヌをじっと見詰めたナディアが何かイメージを持ったようだ。
「ジョゼはゴージャスなマダムという感じだから、宝石店の女主人というのも良いかもね……ボク、そう思うよ」
ナディアの呟きを聞いたオレリーははたと手を叩いた。
「宝石店の女主人? 確かにジョゼにぴったりかもね。嫌味なマノンなんか目じゃないわ」
「わぁお! オレリー姉はマノンさんをぎゃふんと言わせたいのですね」
「リーリャもでしょう? ようし! そうなったら凄く面白いわ」
どんどん盛り上がるオレリーとリーリャの会話……
普段から高飛車なマノン・カルリエの態度に、2人ともカチンと来ていた事から盛り上がったのである。
当のジョゼフィーヌは自分を差し置いてどんどん進む話に到底ついていけなかったのであった。
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