第534話 「ランディ・バッカスの侠気」
ここは王都セントヘレナからロドニア王国へ向う北の街道の途中……
徒歩で約5時間の距離にある楓村の手前であった。
「命の理を司る大いなる存在よ! 彼等の魂は天空の貴方のもとに旅立った。残された肉体の器を母なる大地に返す御業を我に与えたまえ! 母なる大地も我に力を! 貴女のもとに帰る為の道標を我に示せ! 我は天空の御業を使おう、その道に貴女の子等を送る為に!」
ルウの言霊が辺りに朗々と響いている。
創世神の司祭や僧侶が行使する葬送魔法の一種、『鎮魂歌』が詠唱されていた。
そもそも葬送魔法とは現世から解き放たれた魂を向うべき異界へ正しく導く魔法である。
だがルウの発動するこの魔法の効力は半端ではない。
下手な司祭よりも効果効能が確実といえる。
フランがオルトロスと共に掃討したゴブリン達はもう影も形も無い。
しかし肉体は消滅しても彼等の魂の残滓が残り、地縛の霊となって災いを為す事もあり得るのだ。
ランディ・バッカスは、ぽかんとしてルウ達を見詰めている。
父や娘、村民達から以前、ルウやモーラルが獅子奮迅の活躍をして村を救ってくれた話だけは聞いていた。
しかしランディはその場に居らず、当時の様子を目撃していない為、実感が湧かなかったのだ。
それが目の前でフランの圧倒的な魔法を見せつけられ、改めて村が救われた事を現実として受け止めたのである。
葬送魔法の発動が終わるとルウはランディの方へ振向いて笑顔を見せた。
「これで大丈夫。この場所は浄化され、邪な魂の残滓も取り除かれたからな」
屈託の無い笑顔を見せるルウに対してランディは不思議そうに尋ねる。
「ルウ……もしやお前って司祭も兼ねているのか?」
ランディの問いにルウは敢えて否定はしなかった。
「ははっ、俺は司祭ではないが、何とか代理は務められるかもな」
否定をせず頷くルウにランディは呆れ顔だが、村民の1人が彼の服の袖を引っ張った。
「おいおいランディ! 以前、村を助けて貰った恩も含めて、まずはこの方々へ礼を言わないと不味くないか?」
村民から言われてランディは「しまった!」という表情をした。
前回も今回の事もだが、ランディは楓村の人間としては、ルウへ礼のひと言も伝えてはいなかったのである。
「う! あ、ああ……そうだったな。今回もお前達のお陰でゴブリンは掃討出来た。村への脅威も無くなった訳だ。感謝するぞ」
ランディの感謝の言葉にルウはゆっくりと首を横に振った。
いつもの穏やかな表情は変わらない。
「ははっ、大した事じゃあない」
ルウの表情を見てランディはホッとした表情に変わる。
元々、彼は義理人情に厚い男なのだ。
ルウ達との距離が縮まったかと思ったのか、話題は愛娘エミリーの事となった。
「そういえば、あんたは娘のエミリーを知っているんだったな。王都でよ……娘に男が出来たと聞いて会いに行ったんだ」
ランディは遠い目をして話している。
彼の娘エミリーは未だ若い。
ヴァレンタイン魔法女子学園の生徒で言えば1年生くらいの年齢だ。
それが自分の手を離れて行く事が少し寂しいのであろう。
「笑っちゃうぜ! 何とお相手は伯爵様のご子息だと!」
いかに冒険者出身のバートクリードが建国した国とはいえ、他国同様この国も王、貴族、騎士という戦う者という上流階級とそれ以外の働く者という身分差は存在する。
通常貴族と平民の結婚はありえないのだ。
その意味ルウは特例中の特例で魔法使いという才能がそれを生み出したとも言えよう。
ランディは最初の呆れたような顔付きが嬉しそうな顔付きに変わる。
彼は喜怒哀楽が激しい性格のようであり、それは父親のアンセルム譲りでもあった。
「だけどよ……そいつがやけに男らしかったのさ。餓鬼の癖にエミリーの事をしっかり守ると誓った上で将来は騎士としてこの楓村に骨を埋めたいときやがった。俺は恥ずかしながら涙が出ちまったのよ」
「素晴らしいじゃあないか」
ルウの合いの手にランディも頷く。
「そいつの親父も親父さ。何と只の貴族じゃねぇ。英雄に付き従った円卓騎士の血を継ぐ名門伯爵家なんだ。その跡取り息子の嫁がだよ。エミリーみたいな平民の女でも構わない。その上、可愛いしっかり者の嫁で嬉しいと仰ってくれたんだ」
どうやらランディはライアン伯爵家を訪れ、『エミリーの父親』として話をしたらしい。
その際に愛娘やジョナサン・ライアンから楓村での事件を詳しく聞いたという。
「でもよ……俺は村がこんな状態になっているなんて、知りもしなかった」
あのように危険な街道をどうして幼い姉弟のみで帰したのか、ルウやモーラルから見て、どうしても事情が理解出来なかった。
もしライアン伯爵の子息ジョナサンの件が無ければ、エミリー姉弟の命は現在無かった可能性も大ありなのだ。
「あの時、俺は冒険者として引っ切り無しに来る依頼をこなしていたんだ。金を稼がなくちゃならないからな。……でもよ、王都に訪ねて来た娘と息子を適当にあしらって村に帰したのが、今でも悔やまれる」
ランディは娘へ剣を教えていた。
彼の経験上、王都から楓村までで出没する魔物は強くて、数匹からなるオークの小規模な群れくらいであった。
父である自分が鍛えたエミリーの腕なら容易に排除できると思い込んでしまったようなのである。
しかし現実は更に凶悪になった大型ゴブリンが頻繁に出没し、それも今のような規模の大きい群れが徘徊しているようなものであったのだ。
ルウはここで少し話題を変える。
それは楓村の現状についての質問だ。
「大体想像はつくが……一応聞いておこう。王国の地方管理官は何をしている」
ルウの質問を聞いたランディは予想通りしかめっ面をする。
地方管理官である施政者がしっかりしていれば、彼は別として農民である村民が範疇外の仕事をする必要は無いのだ。
「楓村は王都セントヘレナから直ぐの距離と名産のメイプルシロップの兼ね合いもあって王都のある有力貴族の直轄地なのさ」
「ある貴族?」
「俺が言わなくても調べれば分かるんでとりあえず言っておこう。リシャール王さ……正確に言えば楓村は王家の直轄領で直接の管理官はこの前に汚職が元でお亡くなりになったマチュー・トルイユとかいう子爵様だ」
地方管理官がマチュー・トルイユと聞いて今度はルウが苦笑した。
王家直轄領の管理官も兼任していた彼は立場を利用して私腹を肥やす事しかしてこなかった。
彼の為に現在の地方の荒廃を招いたのであれば許されざる行為であり、役人の風上にもおけない輩である。
結果、因果応報の諺通りにマチューは顎で使っているつもりであった愚連隊につけ込まれ、挙句の果てに殺されてしまったのだ。
「直ぐ後任の管理官が対応してくれると思ったが、駄目みたいでな。……だから俺が冒険者をやめて村へ戻り、冒険者で稼いだ金を使って自警団を組んだって事なんだ」
今度はランディが大きく溜息を吐いた。
だが気を取り直したように言う。
「お前さんが村民に自分の村は自分で守ろう! と言ってくれたらしいな」
ルウはランディの言葉を聞いて小さく頷いた。
それを見たランディはルウに対して深々と頭を下げる。
「だから皆も協力してくれる。改めて礼を言う。ルウよ、本当にありがとう」
「お安い御用さ、ランディ。では改めて俺からもあんたの娘の婚約祝いを贈ろう」
ルウがランディの目の前に右手を差し出す。
一瞬の間を置いて手の上に小さな4つの水晶が突如出現した。
それらはルウの収納の腕輪の中にあった魔道具である。
「うおっ! 吃驚した! それは手品か?」
「ははっ、手品か? まあそんな物かもな」
驚くランディ達は目を見開き、大きく口を開けたままだ。
そんな彼等を尻目にして、意味深に言うルウの手の平の上で水晶は眩しく輝いている。
「これは4大精霊……地・水・風・火の力を込めた魔法水晶さ。村の東西南北3km四方に散って結界を形成し、大抵の魔物から楓村を守ってくれる」
ルウはそう言うと僅かに手を上に動かす。
すると乾いた音を立てて水晶は大空高く飛んで行ったのであった。
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