七日目・「君を信じている」
前原さんなら大丈夫――とお兄さんは言った。
その言葉は確かにあっているだろう。
私を撃退したところから始まって、今まで。
おじさんなしでは生き残れなかったところだってあるぐらいだ。
だが、精神はどうなのだろうか。
どこか精神的に脆いおじさんがあの男を前にしていると思うと、不安で仕方ない。
お兄さんの胸を押して間を取る。
どうして最近抱きしめられることが多いのだろう。ひそかなブームなのか。
「…あの男は、人をコントロールするのが上手いんです」
「……?」
意味が分かりかねる、といった顔をするお兄さん。
「あの男の話ですから、脚色も交えているでしょうから定かではありませんが。――間接的にとはいえ人を殺していたと」
言ってて吹き出しそうになった。
まったく場にそぐわない行為なのは重々承知だが、笑わずにはいられない。
だって、私のほうがあの男より多く人を殺しているのだから。しかも直接的にだ。
どちらが脅威なのか分からない。
「間接的に、って?」
お兄さんは生真面目な顔で問う。少し申し訳ない気分になった。
「言葉巧みに人を動かして殺しを働かせていたようです」
「…自分の手は汚さないってわけか…」
「抵抗した人には、やっぱり別の人を使って始末させたとか」
「……」
お兄さんの顔が険しくなる。
あらかじめ云った通り、私は実際に見ていたわけではない。
もしかしたらそれは私たちに対して逃げ場がないということを遠まわしに言っていただけなのかもしれない。
そんなことしなくても、私たちには逃げ場などなかったけど。死すら選べず、土くれのように日々を生きてい――
「ッ!」
手の甲をつねって痛さで現実に無事帰還できた。
パンドラの箱は開けたら最後だ。特にあの男と過ごした日々はなかったものにしたい。
「あ、明日香ちゃん?」
「なんでもないです。母親があの男から逃げられたものだといまだに感心しますよ」
「あ、ああそうなの…」
お兄さんは私の奇行に慣れてもいいと思うのだが。
もともと話したかったことを思い出しながら言葉を紡いでいく。
「おじさんがもしあいつに殺されていたら、というのも怖いです」
「うん」
「でも、もっともっと怖いのは……あの男がおじさんに、私に対して懐疑心を抱くようなこと言っていたらって…思って…」
おじさんが私から離れていくことを考えるのは、どうしてかひどく恐ろしいことのように思えてならない。
おじさんも、お兄さんも、私を人として扱ってくれた。
あれこれ世話を焼いてもらったりして時には大丈夫なのかとか思ったりもしたけど。
うれしかった。失うのが恐ろしくなるぐらいに。
「あいつは人の心を抉るのが、本当に上手なんです。…どうしよう。私を見る目が変わっていたら、私はどうすればいいんでしょう」
「……」
「おじさんにもお兄さんにも拒否されてしまったら、私は――」
「明日香ちゃん」
お兄さんが腕を上げたので反射的に体をこわばらせて目をつぶった。
男の人にしては華奢な手が私の頭を撫でる。
「僕は、『今』の君を信頼しているよ。ここにいる明日香ちゃんはこんな異常な状況下でも僕を殺さないから」
「…甘い人ですね」
私が言うとお兄さんはそうだねと苦笑いして同意した。
自覚はしていたらしい。
ひとしきり私を撫でた後、お兄さんは真剣そのものの顔で言った。
「きっと前原さんも君を信じている。君が前原さんを信じているならね」




