七日目・希望、もしくは叶わない夢
兄弟喧嘩以外では初めて人を殴った気がする。
前原さんの肩をグーパンした。
さすがに顔だと後々の報復が怖い気がしたので。
たたらを踏み、肩を押さえて前原さんは驚いた顔をする。
僕はといえばダメージが思いのほか大きくて手が痛い。どんな体しているんだこの人は。
「えっ、岡崎、だよな」
「どうも岡崎美波です」
「……。寝ていたんじゃなかったのか」
「なんか妙に寒いなぁと思って起きたら誰もいないんですもん。あ、ブルータスはいましたが」
少し身体をずらし、僕の後ろから機嫌が悪そうについてきたブルータスを見せる。
明日香ちゃんと離れると途端に気性が荒くなる気がするんだよねこの子。怖い。
「ってこたぁ、明日香はまた勝手にどこか行ったんだな」
その言い方から察するに僕が加わる前にもあったらしい。
別段困った様子もなく、呆れたようにため息をこぼす。
その動作に信頼しているのだなと思う。ちゃんと帰ってくることが分かっているからこその余裕だ。
「…言っておきますが前原さんも人のこと言えないですからね」
あ、そっぽ向いた。
「それにしても驚きましたよ、ぼーっと立ち尽くしてたんですから」
「そっか――俺、なんか言ってたか?」
「? いいえ、特に何も」
独り言らしいことも言ってなかったし。
無言で立っていたから最初は何事だと思った。
何かをしている人より何もしていない人のほうが怖い。
「なあ岡崎」
「なんですか?」
「誰も――いないよな。俺のそばに」
何を言い出しているんだ。
もしやここで心霊現象でも起きたのか。
答えようとしたところでふといたずら心がのぞいた。
「はい、髪の長い女の人が」
ふむ と前原さんは頷いた。
あれ驚かないんだ。冗談だってばれていたのかな。
ここまで反応がないと少しだけ残念な気分になる。
「実は岡崎の後ろにも落ち武者が」
「ギャアアアアアアア!?」
自分でも驚くほどに素早く後ろを見る。
犬!?
なんで犬いるの! あっブルータスか!
「落ち着け。お前、冗談返しされてそんなにビビるなよ」
スパンコと頭を叩かれた。
我に返り、息を何度か繰り返していると落ち着いてきた。
「ひ、ひどいですよ!」
「おいなんで俺が責められないといけないんだ」
まあよく考えればその通りではある。
額を押さえて前原さんは深々と息を吐いた。
それからすぐに顔をあげて僕の顔を見る。
「探しに行くか」
「誰をです?」
「明日香」
「あ、はい」
「あいつが来ないとここから動けないっつーのに」
言い訳がましく付け足しながら前原さんはポケットに手を突っ込み踵を返す。
その顔には疲労が浮かんでいて少し心配だったけど、触れてほしくはなさそうだった。
僕は階段を一瞥して彼の後を追う。
なんだか異様な雰囲気だから近寄ろうとは思えなかった。
「いきなりで悪いんだが」
「なんですか?」
「俺はお前がクリアすればいいと思うんだ」
クリア。――このゲームの勝者となること。
「どういう、ことですか?」
「お前は生きるべきなんだってことだ。俺らと違って」
表情を見せず、低い声で彼は言う。
僕には突然それを言い出した理由は分からないけど、きっとさっきぼんやり立ってた時に考えていたのかもしれない。
「どうして……」
「お前はまだ人だからだ」
「意味が分かりませんよ」
前原さんだって、明日香ちゃんだって、人間だ。
どうしてこの人たちはこうも死にたがるのか。
「僕は、三人でクリアしたいです」
希望だった。かなうはずのない願いだ。
その証拠に前原さんは小さく笑ったのが分かった。そんなこと出来ないだろうと。
最後に残るのは一人なんだから、と。
このゲームが終わるのはあと何日なのだろう。