おやごろし 前半
尊属殺人が普通の殺人よりも重罪だった時代があったという。
育てられた恩を仇で返すということがいけないのか、目上の者に手をあげてはならないということなのか。両方かもしれない。
いつから親殺し子殺しが『当たり前』となったのだろう。
テレビでだってくだらないことは延々と流すくせにそういうことは一週間持てばいいほうだ。
時折凶悪なものが起きると専門家が訳の分からない理論を振りまいてなにかのせいにして。
今や殺人なんてものはただのエンターティメントと化しているのだろうか。
私が今やっていることも誰かにとってのエンターティメントとして終わるのか。
そう考えると少し胸糞が悪くなるが、他人の興味や感情は変えられない。
私も私のためにやっているのだから文句なんて言えないし。言える立場でもない。
そんなことをつらつら考えながら現在時刻を見る。
夜の八時。
まだ八時なのか、もう八時なのかはともあれ。
「……」
今、右手には血の付いたガラスの灰皿。かつて私の手の甲にヒビをいれたやつだ。あれは痛かった。
確かにこの威力はミステリーに使われるだけある。
感心しながら足元にうずくまるオトウサンを見下ろした。
「痛いですか?」
「な…なにをするんだオマエぇ!」
元気だったのでもう一回振り下ろす。なにか割れた感触。
汚らしい悲鳴が上がったが私の心にはなんの達成感も生まれなかった。
蹴ってやろうかとも思ったが今は靴下だ。こっちにダメージが来る。
「叫ぶだけ叫んでくださいよ。どうせ、誰も来ない」
私たちの悲鳴が誰にも届かなかったように。
それに、こんなのここでは日常茶飯事。今更誰が気に掛けるというのか。
せいぜい「珍しく男の声だな」ぐらいだろう。
「ま、舞香! なにをしている! 助けろッ!」
必死の形相をしたオトウサンとは対照的に平然とした表情でテレビを見続ける母親。
芸能人が笑いながらご飯を食べていた。この状況とはあまりに不釣り合いな光景だ。
「助けろ、ねえ」
テレビからは目を離さず気だるげに母親は言う。
「どうせ後であたしも殺されるんだから無駄なことはしたくないの」
「………」
愕然とする父親に灰皿を先ほどより強く叩きつけながら内心驚いていた。
殺されることを分かってここにいるのか。
ならどうして逃げないのだろう。今ならチャンスはあるのに。
「さっさとやんなさいよクズ。うるさいったらないわ」
いつも通り。いつも通りではあるけれど。
あんまりにも冷静で逆に怖い。
「この――ガキがァー!」
敗者復活戦を目論んだと見えるオトウサンは突然立ち上がり私の首を掴んだ。
ぎり、と気管が圧縮される。苦しい。
私の表情が歪んだことが自信を取り戻させたらしく、血まみれになりながら彼は怒鳴る。
「てめーは奴隷なんだよ! 奴隷は奴隷らしくご主人様に――」
最後までオトウサンは言えなかった。
「うっさいわね」
母親が転がっていたワイン瓶で殴りつけたからだ。
私は解放されフローリングに尻から落ち、オトウサンも頭から落ちた。
どうして手助けなんてしてきたのか理解が出来ない。
だって、私が死ねばこの人は生き残れるはずなのだから。
「さっさと始末しちゃいなさいよノロマ」
「……」
返事はしない。
これじゃまるで母親に命令されてやったみたいじゃないか。
だから無言で、倒れるオトウサンの首をひたすら灰皿で打った。
打って、打って、打って、打って、打った。
ばきん、とか ぼきん、とかいろんな音がして次第に肉が柔らくなっていって。
気が付いたら首はぐしゃぐしゃになっていて、オトウサンは脂肪多めの肉と成り果てていた。
額に汗をかきながら顔をあげると母親はすでに先ほどと同じ場所でテレビを見ていた。
「…終わりました」
報告すると、母親はこちらを振り向かずに「そう」とだけ返した。
そして続ける。
「殺したいんでしょ? 殺しなさいよ」