おやごろし 後半
私は、絶句した。
何度か口をパクパクとさせた後にどうにか声を絞り出す。
「……おかあさん…」
「なに?」
長い髪をかき上げ、だるそうに私を見上げる。
息苦しい。
母親の目は苦手だ。ずっと慣れない。
京香は――私と違いひどく熱望していたけれど。
わたしを視界に入れてほしい。居ない者扱いしないでくれと。
「どうして逃げなかったんですか」
「…さあ?」
再びテレビに目を向ける。
今の距離が話すのにちょうどいい。
「私がオトウサンを相手にしているあいだ、逃げられたし警察にも行けたはずです。なのに、なんで」
「なんでどうしてって、いちいちうっさいガキね」
「……」
怖い。
怖くてしかたがない。
私と京香の最大の違いは、母親に寄せる感情だろう。
私は、怖くて。
京香は、憎んで、愛していた。
「…疲れたのよ」
ぽつりと母親は言う。
「なにもかも。家を出た時から――出る前から。わたしは死んでいるの」
「死んで、いる」
「おかしな話だわ…死んだ人間が子供なんて育てられるわけじゃないのに」
「殺せばよかったじゃないですか」
気づくと口をついていた。
母親は黙る。
「どうして私たちを殺さなかったんです」
母親は、言葉の暴力こそしたが殴りはしなかった。
しかし逆にオトウサンやカレシのすることは黙認していた。
助けもせず、加わりもしない。
無干渉。
それが母親だった。
「わからない。もしかしたら母性とかいうもんがあったからかもしれない」
彼女はせせら笑う。
自分の口から母性なんてワードが出たことが笑えたのだろう。
いつの間にかテレビは消され、部屋には私たちの声だけが響いていた。
「…おかあさんは明日香と京香を愛していました、か?」
「――愛したかった」
わずかに寂寥が含まれた言い方だった。
気のせいかもしれないが。
私はその言葉を口の中で転がす。愛したかった。
「でも出来なかった。なんでかは知らない」
なんと言えばいいのか分からずに私はただ黙るしかない。
というよりここまで会話したのは初めてだった。
だから緊張してところどころ声も掠れている。
「……」
オトウサンの死体を跨ぎ、母親に近づく。
こんなに髪の長い人だったか。知らなかった。
「京香は死んだのね」
母親が聞いてきた。今までよりもとても静かな声。
そういえば彼女は死んだということを聞いているのだろうか。死体は回収されて見ていないはずだろうし。
口止め料を払われていたとしても、それは「存在をなかったことにしてほしい」という頼みだっただろうし。
今まで私に京香の生死について問うてきたことはなかった。
「はい、死にました」
言葉を選ぶまでもなくストレートに答える。
「ああ――そう。そう、どおりで静かだと思った」
「……」
なんだか母親はこの数分間で一気にやつれた気がする。
風船がしぼんだように。
ためていたものが抜けたような、そんな。
ポケットに入れておいたナイフを取り出す。さや付きで良かった、さっきので太もも切っていたかも。
母親が鼻で小さく笑う。
「あら、わたしはそれ? てっきり父親と同じ死に方だと思ったわ」
どうして私のほうを見ていないのに分かるのだろうと思ったが、なんのことはない。電源の入っていないテレビが鏡の役割を果たし、私の挙動を余さず映していただけだ。
ナイフを逆手に持ち握りしめる。
「あいつは痛いことしてきましたが、おかあさんは痛いことしなかったから」
「ふぅん」
興味がないと言わんばかりだ。
最後までこのスタンスを崩さないというのは逆に尊敬する。
母親の後ろで屈み、左のほうの背中に狙いを定める。
一発で殺せるとは思えないが、何回か突き刺せばいけるだろう。
こんなに近くにいるのに母親は抵抗はしなかった。
「なんだ」
刺す直前、母親が声をあげた。
「あんたたち、けっこう綺麗な顔立ちなのね」
―――。
三回目で母親はこと切れた。
呻いたけれど悲鳴は上げなかった。最後までよく分からない女だ。
立ち上がり、さっき作った死体をみて、今作った死体を見て。
「う、ぇぇ」
吐いた。
私は親を殺した。
好きでもなかったし大切でもなかったが、確かに今。
私と直接の血がつながる人間は消えた。
しばらく三人ローテーション体制に戻ります
過去話がなげぇ




