第4話「傾奇者の刺繍と漆黒のふんどし」
第4話「傾奇者の刺繍と漆黒のふんどし」
第1場:信長の第二の矢と「槍の又左」のカルテ
東暦一五七三年、秋の終わり。
夕暮れの三河開発・代表室。
本日も蛍光灯を半分だけ消し、薄暗い室内で家康はカタカタと電卓を叩いていた。
机の上には、1杯800円の無農薬ケール青汁の瓶と、スーパーの見切り品である1パック30円のうどん玉が並んでいる。
「社長、本日の節約実績です。昼食は素うどん、お茶は出がらしの緑茶。……そして、靴下に穴が空いたのを捨てずに、事務所の裁縫セットで黒い糸を使って縫い直しましたね」
「うむ! 穴を塞ぐことで靴下1足分の買い替え費用・約百円を先送りしつつ、細かな指先作業で脳も刺激できる! 健康寿命の延伸に役立つ可能性まである、極めて合理的な一石二鳥じゃ!」
「見た目はツギハギだらけで完全に貧乏長屋の浪人ですけどね」
元忠が冷ややかにペンを走らせた、その時だった。
内線電話がけたたましく鳴り響いた。
元忠が受話器を取る。
「はい、三河開発……あ、信長社長ですか。……え? 『滝川の次はあのバカだ』? ……はい、カルテを確認します」
元忠は受話器を置き、机の上に置かれていた【本能寺スタッフ家計カルテ】の2枚目をめくった。
「社長、信長社長からのご指名です。100万円のコンサル契約の対象、第2号が決まりましたよ」
「ふむ。滝川殿の次か。次は柴田殿あたりかと思っておったが……」
「いえ、ホール兼外回り担当の【前田利家】さんです」
元忠はカルテに添付された写真と支出明細を指さした。
「信長社長曰く、『利家の奴、給料の大半をド派手な服や特注の刺繍に注ぎ込みおって、見た目ばかりがクソ派手な傾奇者になっておる! 華美な装いも傾奇の気概も結構だが、中身が伴わぬ単なる布切れのコレクターになるなら本末転倒だ! 貴様のドケチ理論で一度アイツの化けの皮を剥ぎ取ってこい!』とのことです」
「……被服費の暴走か」
家康は老眼鏡を押し上げ、利家の被服関連支出明細に目を落とした。
そこに並ぶ数字を見た瞬間、家康の喉がゴクリと鳴った。
【前田利家・被服関連の月平均支出(購入費は過去1年間の総額を月割りし、毎月の維持費を加算)】
特注・総手刺繍サテンブルゾン(年間購入額を月割り):月平均38万円
限定コラボ・スニーカー(鑑賞用と実着用):月平均16万円
特注シルクシャツ・金糸ストール等:月平均12万円
アクセサリー等のメンテナンス費:月4万円
クリーニング&特殊保管サービス代:月3万円
【月間平均被服費:約73万円】
「な……月平均で73万円じゃと……!?」
家康の額に、ピシリと青筋が浮かんだ。
「布きれじゃぞ!? 身体を寒暖から守るためのただの繊維に、毎月73万円もの大金を溶かしておるのかッ!?」
第2場:傾奇者の城と「黄金のクローゼット」
翌日の夜。
清須市中心部のデザイナーズマンション。
家康と元忠が呼び鈴を鳴らすと、扉が開いた瞬間に強烈な香水の香りと、ギラギラとした色彩の嵐が目に飛び込んできた。
「よぉ、徳川の旦那! 信長社長から話は聞いてるッスよ!」
現れた前田利家は、蛍光ピンクのパイピングが施された深紅のセットアップに身を包み、胸元には大ぶりのシルバーチェーン、耳には虎の牙を模したピアスが揺れていた。
髪は見事にセットされ、どこからどう見ても戦国随一の伊達男である。
「……前田殿。目が痛い部屋ですな」
家康が眩しそうに目を細めると、利家は白い歯を見せて豪快に笑い、リビングへ招き入れた。
だが、リビングと呼べるスペースはほとんど存在しなかった。
部屋の両壁一面に備え付けられた巨大なパイプハンガーには、極彩色のジャケット、派手な刺繍の施されたスカジャン、原色の革ジャンが隙間なく敷き詰められ、床には限定スニーカーの箱がピラミッドのように積み上がっている。
「どうッスか旦那! これが俺の城、俺の命そのものである【傾奇コレクション】ッスよ!」
利家は黄金の龍が刺繍されたブルゾンを羽織り、バチッとポーズを決めた。
「男は見た目が命なんス! ド派手に着飾って、街行く連中の度肝を抜いてこそ『前田又左』! 購入費も日々のメンテ代も全部合わせて月平均73万円ッスけど、本能寺のホールに立つ時もこの気合入った格好でお客のテンション爆上げしてやってるんスから! 毎月これくらい使うのは、俺の存在感を誇示するための絶対の必要経費ッスよ!」
家康は眉間に深い皺を刻み、腕を組んだ。
「……前田殿。貴方の着ているその服、雨の日に泥水が跳ねたらどうします?」
「ああん!? 泥水ッスか!? 冗談じゃねえッス、即座に専門の高級クリーニング行きッスよ! 染み抜き一発で1万5,000円は軽く飛ぶッスね!」
「洗濯機で丸洗いは?」
「できるわけねえッスよ! 金糸銀糸の特注手刺繍ッスよ!? 水につけた瞬間に糸が縮んで死んじまうッス!」
家康は深くため息をつき、懐から算盤を取り出した。
「……やはりな。浅い。あまりにも浅薄の極みじゃ」 「あんだとコラァ!?」
第3場:家康の算盤――「布切れの減価償却と黒の絶対防壁」
「貴方は『着飾ること』に脳を支配され、【衣服という道具の本質】を完全に見失っておる!」
バシィィィンッ! と家康が算盤を机に叩きつけた。
「よく聞きなさい! 服とはそもそも何のためにある? 雨風をしのぎ、体温を保ち、外敵や汚れから皮膚を守るための【防具】じゃ! その防具が、泥水を恐れて縮み上がり、維持するために毎月数万円のクリーニング代を要求するなど、戦場で敵の刃を気にして動けない甲冑と同じ! 本末転倒の極みじゃッ!!」
「な、何だと……!?」
利家が気圧される。
「見なさい、このわしの姿を!」
家康はすっくと立ち上がり、自らの漆黒のスーツを両手で示した。
「このスーツを見よ! 色は完全なる【黒】! 生地はポリエステル混紡の超耐久撥水仕様! 軽い泥水なら濡れ雑巾でサッと拭き取れば元通り、シワにもならず家庭の洗濯機でネットに入れて丸洗い可能! 何度洗おうが型崩れせず、5年は平気で着回せる!」
元忠が横から「ちなみに就職活動用のリクルートスーツの型落ち品を、セールで9,800円で買ったやつです」と補足した。
「黙れ元忠! 9,800円のスーツを5年間着倒せば、1年あたりのコストはわずか1,960円! 1日あたり約5.3円じゃ! これぞ極限のコストパフォーマンス! 服とは、【汚れが目立たず、何度でも着倒せ、家庭で洗えるもの】こそが至高にして唯一の正解なのじゃッ!!」
「ご……5.3円……!?」
利家の顔が引きつる。
「然り! さらに見よ、この下着を!」
家康は自信満々にスラックスの腰元をパンパンと叩いた。
「わしが愛用しているのは、昔ながらの濃紺の【ふんどし】じゃ! ゴムを使わんゆえ経年劣化で伸びにくく、構造も単純で生地が傷みにくい! 複数枚の洗い替えを揃えて順番に回せば、長年にわたって買い替えを極限まで減らせる! しかも色が濃いゆえ、多少の色褪せも目立たん! 究極の長寿命アンダーウェアよッ!!」
「社長……今時ふんどしですか!? ていうか、色が目立たなくても洗濯は毎回ちゃんとしてくださいよ!」
元忠の魂のツッコミが炸裂した。
利家もドン引きしながら半歩後退する。
「ひ、引くわ……! 旦那、スーツの下にふんどし仕込んでたんスか……!?」
「笑うなッ!!」
家康はカッと目を見開いた。
「ふんどしを笑う者は、ふんどしに泣くのじゃ! 貴方が毎月被服関連に溶かしている【73万円】! これをもしオルカンに突っ込み、年利5%で30年間毎月積み立て運用できたと仮定すれば……税金や手数料を考慮しない机上計算でも、積立元本だけで2億6,280万円、将来【約6億円規模】の巨額資産になるのですよッ!!」
「ろ……6億……!?」
ドォォォンと雷鳴が轟いたかのように、利家の脳天に数字が突き刺さった。
「流行が過ぎれば値が落ちるものも多く、売れなければタンスの肥やしになる布切れに、貴方は将来の6億円をすり潰して注ぎ込んでいるのだ! 己の未来の自由をドブに捨ててどうするのじゃッ!!」
「ぐ……うぐぐぐっ……! 6億……俺のクローゼット、6億を食い潰してたってことッスか……ッ!?」
利家はその場に膝をつき、派手なサテンの胸元をかきむしった。
「分かりましたな、前田殿! 明日からその派手な羽織を封印し、濃紺と黒のポリエステルを着なさい! 汚れを恐れず、同じ服を徹底的に着倒すことこそ、真の倹約道じゃッ!!」
第4場:本能寺のフロアと「傾奇の魂」
翌日の昼下がり。
昨夜の家康の「6億円」という言葉が頭から離れず、利家は迷った末、試しに私物の黒いジャージを着て本能寺へ出勤していた。
だが、鏡に映る地味な自分の姿を見るたび、胸の奥が妙に落ち着かず、足取りも重い。
客席の間を、黒ジャージ姿の利家が、うつむき加減で注文を取って回っている。
「……いらっしゃいませ。日替わりランチでいいッスか……」
利家の声にはいつもの張りがなく、フロア全体の活気まで沈んでいた。
客の一人が、いつもと打って変わって陰鬱な利家を見て不思議そうに首を傾げている。
その様子を、視察に来ていた家康が腕を組んで見守っていた。
「……ふむ。客が静かなのは、落ち着いた接客ができている証拠か。やはり装飾を削ぎ落とすと、無駄な刺激も減るのじゃな。素晴らしいぞ元忠! 見なさい、前田殿のあの無駄のない装いを! 汚れの目立たぬ黒ジャージ、あれなら何度洗ってもビタ一文クリーニング代はかからん!」
元忠は客たちの困惑した顔を見て「いや、明らかに店内がお通夜ムードですけど……」と引き気味に呟いた。
その時だった。
「……おい、家康。利家」
背後の厨房から、地獄の底から響くような重低音が轟いた。
振り返ると、特注耐熱鉄板の前から、鬼のような形相の織田信長が歩み寄ってきたところだった。
その手には、焼き立ての熱気を放つ『極厚フレンチトースト』が握られている。
「し、信長社長……」
利家が力なく頭を下げると、信長は利家の黒ジャージをギロリと睨みつけ、唾を吐き捨てた。
「又左……貴様、何だその貧相で生気のないボロ雑巾のような姿は!」
「はっ……徳川の旦那から、服は汚れが目立たず、着回せる黒が至高だって教わったんスよ……」
信長は深いため息をつき、信じられないものを見る目で家康を睨み据えた。
「家康……貴様、俺の可愛い部下に何を吹き込んだ?」
「吹き込むとは心外な! 毎月73万円もの被服関連支出を削ぎ落とし、生涯で数億円の資産を守るための防衛策を伝授したまでです!」
「黙れッ!!」
信長の一喝が、ホール全体を震わせた。
「汚れが目立たない服を選ぶこと自体は悪くない! だが利家、貴様は服を長持ちさせることばかり考え、客の目にどう映るかを完全に忘れておる! 貴様自身が着ていて気分の上がらん死人のような服で、どうやって客の気分を上げられる! 客の目を引くだけで終わるな! その一声でおすすめを注文させ、その笑顔で次も来たいと思わせろ! 服に金をかけるなら、接客でその何倍もの価値を生み出せッ!!」
「ハッ……!?」
利家が顔を上げる。
「利家! 貴様のその傾奇の装いは、派手な羽織をなびかせ、ギラついた笑顔でフロアを照らし、客に『本能寺に来れば元気がもらえる』と思わせるための看板であろうがッ!!」
信長はフレンチトーストを利家の目の前に突きつけた。
「俺が貴様に求めているのは、小銭を惜しんで黒ずくめの影になることではない! 己の華やかさで店を牽引し、圧倒的な売上を叩き出す【本物の傾奇者】になることだ! 服に金をかけるなら、その服に負けないだけの働きをして、稼ぎで何倍にもして取り返せッ!!」
ドガァァァンッ……!!
利家の胸に、信長の覇気が真っ向から突き刺さった。
「しゃ、社長……ッ! そうだったッス……! 俺、ただ服を買い集めて汚れるのにビビってただけの腰抜けだったッス……! 汚れを恐れて縮こまるなんて、傾奇者でも何でもねえッスよ……ッ!」
利家の瞳に、炎のような輝きが戻った。
「徳川の旦那、悪ぃッスけど俺にその『黒ずくめふんどし生活』は無理ッス! 6億円の資産を作る可能性を捨てるわけじゃねえッスけど、俺の服はただの見栄じゃなく、仕事の現場で客を沸かせてこそ真の価値を発揮するんスよ! 派手に着飾って、そのぶんホールを縦横無尽に駆け回って、店の売上をバチバチに爆上げしてみせるッス!」
「な……前田殿! 6億円の複利が……!」
「社長! 俺、今すぐ着替えてくるッス! 一番ド派手な金龍のジャケット羽織って、フロア中のお客を気合入れて笑顔に巻き込んでみせるッスよ!」
「ガハハハ! よし、行け利家! 成果を出したら、特注の刺繍代を経費で一部持ってやる!」
「あざっス社長ーーッ!! 最高の看板になってみせるッス!!」
利家は風のように控室へと走っていった。
取り残された家康は、電卓を握りしめたまま、呆然と立ち尽くした。
(……ダメだ。この店の人種は、全員が『汚れを恐れぬコスト意識』よりも『己を燃え上がらせる虚栄心』を燃料にして生きている……!)
第5場:薄暗き部屋の勝者と「漆黒の美学」
3週間後。
三河開発の社長室。
本日も蛍光灯を半分消した薄暗い部屋で、家康は60万円の人間工学チェアに深々と腰掛けていた。
腰痛による稼働率低下を防ぐための必要経費であり、家康にとってそこに節約の余地は微塵もない。
元忠が、温かい番茶を差し出す。
「社長、本能寺の利家さんから報告書が届いてますよ」 画面には、威勢の良さが溢れ出る長文が並んでいた。
『徳川の旦那、信長社長!
お二人の言葉を受け、クローゼットと支出を総点検したッス!
見栄だけで集めてた鑑賞用スニーカーや着てないブランド品をフリマアプリで整理し、200万円以上の現金を回収できたッス!
さらに毎月の被服関連支出も、見栄だけで買い足すのをやめ、現場で真に客を魅了する勝負服3着に絞り込んだッス!
新しい服の衝動買いを大幅に減らし、クリーニングや保管も必要なものだけに見直した結果、月73万円かかってた支出を月15万円まで圧縮することに成功したッス!
勝負服を厳選したことで立ち居振る舞いにも自信が戻り、派手な刺繍をきっかけに常連客との会話も激増したッスよ!
そこから季節限定メニューや追加デザートを積極的におすすめ提案した結果、俺が担当したエリアの平均客単価が15%アップしたッス!』
家康は眼鏡をクイと押し上げ、フッと満足げに口元を歪めた。
「……ふん。口では反発しておきながら、結局は不要な見栄を捨てて月58万円もの支出を削ぎ落としたではないか。素直ではない男よ」
「まあ、利家さんにとっては『本当に魂の入った勝負服だけに投資する』というのが、信長社長の看板理論と、徳川社長のコスト削減を両立させた着地点だったんでしょうね。信長社長の言葉があったからこそ、ただのケチにならずに済んだんですよ」
元忠が苦笑いしながら、手元の集計表に目を落とす。
「で、信長社長からのコンサル料はとっくにオルカンに入金済みですが、本日の社長個人の節約実績はどうします?」
家康は手元の電卓をパチパチと叩いた。
「本日の実績は、会社のトイレットペーパーをシングルに統一して3円、昼食の見切り品うどんで40円、昨日縫い直した靴下の買い替えを先送りして20円! 合計【63円】じゃ!」
「トイレットペーパーのシングル化には社員全員から大ブーイングが起きてますよ! 会社の経費削減まで社長個人の実績に加算しないでください!」
家康は意に介さず、家計簿アプリに数字を打ち込んだ。
「細かいことを言うな! 毎日の小さな積み重ねこそが複利の源泉! この63円を毎日積み立てれば、月々1,890円! これを年率5%で30年間運用できたと仮定すれば、税・手数料を除く机上計算で、将来の積立資産は約157万円に達するのじゃ!」
「はいはい、157万円、157万円」
元忠の聞き流すような相槌を背に、家康は満足げに目を細め、机の上の青汁をゴクリと飲み干した。
その時、暗闇の中から元忠のボソリとした声が響いた。
「……社長。スラックスの下にふんどしを締め、ツギハギの靴下を履いて、薄暗い部屋で一人電卓叩いてる姿、人間としての尊厳はいくら減価償却されてるんですか?」
ピクリ、と家康の電卓を叩く指が止まった。
「……尊厳の摩耗は、健康寿命の損失につながるということか」
「いや、普通にちゃんとした服を着て明かりをつけてください」
カチカチカチカチッ――バチィィィィィンッッ!!
次の瞬間、社長室中のすべての蛍光灯が一斉に点灯し、昼間のような爆光が部屋を満たした!
「健康と自己肯定感は最優先じゃああああッ!! 照度を最大化し、網膜の稼働率を保つのじゃあああッ!!」
家康はそのまま電卓を引き寄せ、凄まじい勢いでキーを叩き始めた。
「よし、これで視力低下リスクは排除された! さあ元忠、今から先ほどの全点灯によって発生する秒単位の電気代を、どこで削るかの計算を始めるぞッ!!」
「電気代を惜しむ基準、毎回ガバガバすぎますし、その無駄な計算に何時間かけるつもりですかァァァッ!?」
元忠の絶叫が木霊する中、家康は特注チェアの上で背筋をピシッと伸ばし、輝く光の下で誇らしげに電卓を叩き続けるのであった。




