第一話 降下命令
この物語は、前作『不完全な世界の残し方』とつながっています。
前作を読まれた方は、見覚えのある人物に出会うかもしれません。
けれど、その人物が覚えていること、知っていることは、
あなたの知っているものと、少し違って見えるかもしれません。
「あれ?」と思ったら、
その違和感を、ひとまず持ったまま読み進めていただければ嬉しいです。
彼らもまた、自分の知っている世界を手がかりに、
何が起きているのかを探していきます。
前作を読まれていない方も、ここからお読みいただけます。
記憶を失っても、残るものはあるのか。
彼らと一緒に、その問いをたどっていただければと思います。
その光は、青かった。
空ではない。
海でもない。
炎でもない。
それは世界そのものが放つ光だった。
ミナは静かに立っていた。
足元には何もない。
大地もない。
空もない。
ただ青い光だけが無限に広がっている。
その中心に、
巨大な輪が浮かんでいた。
ゆっくりと回転する円環。
いくつもの世界が重なり、
離れ、
また重なっている。
見ているだけで酔いそうになる。
だがミナは見慣れていた。
ここは観測界。
可能性が現実になる前の場所。
世界が決まる前の場所。
そのとき。
背後から声がした。
「遅かったな」
振り返る。
陽明だった。
長い銀色の髪。
年齢の概念を持たない顔。
男とも女とも言えない存在。
観測界の長。
世界を決定する者。
その瞳の中には、
数えきれない現実が映っていた。
「申し訳ありません」
ミナは頭を下げる。
陽明は首を振った。
「構わない」
そう言って、
巨大な輪へ視線を向ける。
ミナも見る。
輪の一部が、
奇妙に揺れていた。
本来ならあり得ない揺れ。
観測されれば、
可能性は一つになる。
それが世界の法則。
だが。
あの領域だけは違った。
確定しない。
収束しない。
揺れ続けている。
「原因は」
ミナが聞いた。
陽明は答えなかった。
代わりに言った。
「知りたいか」
ミナは頷く。
「はい」
陽明は少しだけ笑った。
「なら見てこい」
その言葉と同時に、
世界が開いた。
輪の中に、
一本の道が現れる。
下へ。
遥か下へ。
落ちていく道。
管理界。
さらにその下。
可能性界。
人間たちの世界。
「三名を派遣する」
陽明が言った。
「悠真」
空間が揺れる。
一人の青年が現れる。
「また面倒な仕事か」
そう言いながら笑う。
ミナは少し安心した。
悠真は変わらない。
いつだってそうだ。
世界の終わりが近くても、
どこか楽しそうにしている。
「陸央」
今度は別の青年が現れる。
真面目そうな顔。
鋭い視線。
管理界でも有数の修正者候補。
「状況を説明してください」
開口一番それだった。
悠真が吹き出す。
「お前、相変わらずだな」
陸央は睨む。
「笑い事ではない」
「世界が不安定化している」
陽明が言う。
二人とも黙った。
観測界の長が直接動く案件。
軽い話ではない。
「調査対象は可能性界」
巨大な輪の一部が光る。
黒い揺れ。
収束しない現実。
「なぜ確定しないのか」
「なぜ消えないのか」
「それを調べろ」
悠真が輪を見る。
しばらくして言った。
「全部残ろうとしてるみたいだな」
陽明の表情が、
初めて動いた。
ほんの僅か。
驚いたように。
ミナは見逃さなかった。
陽明は知っている。
その言葉の意味を。
そして。
この任務が失敗する可能性を。
「条件がある」
陽明が言った。
空気が変わる。
「降下時、記憶は封印される」
沈黙。
陸央が眉をひそめた。
「全てですか」
「全てだ」
悠真が笑う。
「それじゃ調査にならないだろ」
「なる」
陽明は言った。
「答えを知ったままでは観測にならない」
誰も反論しなかった。
それは法則だった。
観測とは、
知らないこと。
決めないこと。
だからこそ世界は姿を現す。
「ただし」
陽明はミナを見る。
「お前だけは残す」
ミナは息を止めた。
「私だけ」
「案内役が必要だ」
「二人を導け」
その瞬間。
初めて不安が生まれた。
悠真が。
陸央が。
自分を忘れる。
そして。
自分だけが覚えている。
それは、
思っていた以上に孤独な役割だった。
陽明が最後に言う。
「一つだけ覚えておけ」
三人は顔を上げた。
巨大な輪が、
青く輝く。
世界が回転している。
可能性が生まれ、
消え、
また生まれる。
その中心で、
陽明は静かに告げた。
「お前たちは、人間を調べに行くのではない」
「世界を調べに行くのでもない」
一拍。
「お前たちは、自分たちを調べに行く」
その意味を、
この時の三人はまだ知らなかった。
そして数時間後。
悠真はユウになり。
陸央はリクになり。
ミナだけが、
ミナのまま残る。
こうして。
一つの問いが、
複数の世界へ流れ始める。
速く流れる世界。
遅く流れる世界。
それぞれの流れの中で、
同じ約束が違う形をとり始めていた。




