カリン:墓
水に浮かんでいると、少しだけ昔のことを思い出す。
「……川でもマフラー外さねぇの?」
とはいえ、僕が初めて泳ぎというのを教わったのは、師匠と喧嘩した後だ。回収員時代は、本当に色んな人に色んなことを教わった。いや、パンデミックが始まった後、僕の人生はリズと始まり、リズとの別れで、僕の回収員としての人生は終わった。
「おーい、生きてるかー?」
その1人が師匠、ベゴニアだ。本名は知らない。そのコミュニティにて、回収員という仕事を立ち上げた「古参」の1人。僕は後から流れ着いて入ったけど、昔から何故か腕の立つ人だったらしい。
「おい」
ハチが空の間に入った。
「ん?」
「おっ、死んでないな。溺れてるかと思って」
「そもそも泳げないよ」
水の流れる石の上に寝転がっていただけだ。起き上がってシャツに隠れた左肘を突き出す。せっかく教わった泳ぎは、もう二度と出来ない。
ホルンは戦車の上でぼーっとしていて、ミズキは岸でどこか遠くを見ていた。何となく視線の先を見ると、橋を渡る四足歩行の獣がいた。
「げ、犬か。汚ぇな」
「こんなとこでなにしてんだろ」
「さぁね。頼むから同じ川には入らんで欲しいね」
ミズキが犬から視線を外さない。
「何かあった?」
ミズキは首を横に振る。
「な、なんでもないです……」
「あの犬が気になるのか?」
「い、いえ……気にしないで……」
そう言いながら、犬をチラリと見た。戦車で寝転がってたホルンが起きる。
「気になるなら、見に行く?」
少し目を開いたミズキを見て、ハチが嫌そうな顔をしかけて顔を戻す。
「暇だし、行こうぜ。カリン、軍手とかある?」
「うん。何に使うの?」
「予防」
戦車を置いて、4人で歩く。橋を越えた住宅街の比較的広い道を、1匹の犬が歩いている。
「久しぶりに見るね」
「変な病気とかないだろうな。愚問か」
「……首輪付けてる?」
「ほんとだ。いつからだろう」
答えは見ればわかる。あんなに汚れた首輪が直前の飼い主とは到底思えない。
よろよろと歩く犬にすぐ追いつく。ミズキがしゃがんで犬に触れようと手を伸ばすのを、ハチが止めた。
「止せよ。獣はどんな病気を持ってるか分かったもんじゃねぇ」
ミズキはハチの顔を不思議そうに見る。
「……うん」
そしてまた手を伸ばした。またハチが止める。
「待て待て。話を聞いてたか?いや愚問だな。聞けよ」
「……大丈夫」
ミズキがそう言った。犬は問答する僕らの前で待っている。ミズキが優しく手を伸ばして、犬の頭を撫でた。目を細めて受け入れている。
「うぉ……よくやるよ」
「ミズキ。後で手洗おうね」
後ろからハチとホルンが声を掛ける。ミズキは笑みを浮かべていた。こんな顔もするんだ。
犬は再び歩き出す。ミズキがそれについて行く。それに僕らもついて行く。初めこそ、あーだこーだと話してたけど、途中から静かに、ただついて行った。
犬がふらついて少し止まる。また歩き出す。
「……老衰かな」
何となく、そんな気がした。ミズキが犬の左側に立つ。
「さぁな」
犬は路地裏に入っていく。本格的に、速度が落ちてきた。しっぽは垂れ下がり、首ももう上がってない。左に倒れそうになりながら、それでも歩いている。ミズキの脚に当たりそうになり、また立て直す。
どこかの建物で1度止まる。アパートと呼ばれる集合住宅の廃墟だ。犬が階段をゆっくりと登る。
一段。一段。一段。一段。
「あーくそ、おせぇ」
そう言ってハチは軍手をして犬を持ち上げて登る。3階まで上がった時、犬が横の通路を見た。
「……ハチ、降ろしてあげて」
「お、おう」
犬が歩く。ミズキも歩く。でも僕ら3人は歩けなかった。この通路に立っただけで分かる、異様な匂い。少なくとも、僕は知っている。
扉の前で犬が止まる。前脚で扉を引っ掻く。ミズキが扉を開けようとするのを、ホルンが止めた。
「待って」
「え?」
その時、犬が静かに倒れた。まだ息はしているが、もう死ぬ。
「……この奥、なんだよな」
「でも、何が居るかは分からないよ」
それはそうだ。この腐敗臭なら、そういう生き物が居てもおかしくない。あれは本当に気分が悪くなる。そこにこの犬を入れるのか。
「ま、一人は確定か」
「……それは」
「……死んじゃった」
ミズキが呟いた。犬は動かなくなった。僕らも動けず、1分近く立ち尽くした。
「……こいつ、クソ軽かったぞ」
「……でしょうね」
ミズキが犬を持ち上げて通路を歩く。僕ら3人は顔を合わせた後ついて行く。
「ミズキ。どうするの?」
「お墓、作ってあげないと」
「まぁ、たしかに」
「はぁ。それならお前ら、殺した虫ケラ共のも作ってやれよ」
「あのねぇ」
「……ハチ。東京の白い塔の話、してたよね」
「ん?……あぁ、理解」
土の出ている場所にミズキが座る。手で土を掘ろうとするので、少しだけ散策し、転がっていたボロボロのシャベルを持ってくる。穴を掘って犬の死骸を埋める。少し盛り上がった土の前で、ミズキが両手を合わせて祈っている。
ホルンも、それを真似た。ハチと顔を見合わせる。僕は片手しか無いので、右手を自分の胸に当てる。
「ミズキ。こういう事するんだ。誰に教わったの?」
ホルンが尋ねる。
「……ヒマワリさんが、作ってあげてって」
ミズキはそう言った。僕もホルンも、そこで足が止まる。
「ん?どうした?」
振り返るハチにホルンが首を横に振る。まただ。ヒマワリの名前だ。
「なんでもない」
ホルンがチラリと僕を見る。東京奪還が、華々しい伝説なのだと言われていると知ったのは、それを全て終えた後だった。
師匠は白い塔に辿り着き、そこでヒマワリの墓を見つけた。
僕とホルンは、師匠の仲間の墓を作った。僕はその時、それの意図が全く掴めず、ホルンに苦い顔をされた。
少なくとも僕にとって東京は、ただ墓を建てただけだった。
そんなヒマワリという名前を、ミズキは語った。そういえば、師匠は西から東京に向かって、ヒマワリ達と旅をしたと、そう言っていた。
……いや、それにしても「作ってあげて」というのは、少し引っかかる。
アパートを振り返る。ごめんなさい。あなたを弔う事はしません。




