飛行機雲
僕がまだ幼い頃、この国でパンデミックがあった。死んだ人から人に感染し、人が死ぬ。その繰り返し。何故だか初めから、みんなが口を揃えて「ゾンビ」だと言っていた。
ゾンビは人の多い所から広がり、この島国に広がった。その数ヶ月後、全てのゾンビが動きを止めた。
人の多い都市はゾンビが増え、ゾンビが多かった都市は、その腐臭で人が立ち入らなくなった。虫と胞子はそこから広がった。
師匠は、この世界を「塵芥」だと言ったことがある。時折意味の分からない言葉を使う師匠のそういう所が苦手だった。
真っ暗な廊下のなか、少し上に光が漏れている場所を見つける。あまり迷わなかった。近くの動かせそうな物を足場にして外に出た。青と緑を光で感じる。鳥の声がして、嵐が過ぎた事をようやく実感する。
戦車に被せた布は虫の脚や体液が付いているが、大きく形は変わっていない。
二人で布を持ち上げる。積荷は無事だ。もとより食材は無い。
終末からもうすぐ10年。まだ食べられそうな保存食や缶詰は、軒並み使い切られていて殆ど無い。
積んでいるのは、使えそうな嗜好品や生活用品、小型家電等。僕らは「もの拾い」として、人の寄り付かない旧市街を歩く。
戦車のエンジンを起動させる。バッテリーは十分ある。ホルンの運転で壊れたアスファルトを進んでいく。
ところどころに虫の残骸や荒らされた後がある。窓から飛び出た脚が、エンジン音に反応したのか小さく動いている。
道の先の木々の向こう、風車の更に奥に、遠くの緑色のビルが見えてくる。かつては腐敗で赤錆びていた都市は、今じゃ緑に覆われ、でもやっぱり、そこに虫と胞子が住み着いている。
とても、普通の植物の成長速度ではない。それをやったのがリズで、それを師匠が導いた。
座席にもたれて空を見上げる。大きな雲は、じっと見ていると微かに動いているのが分かる。
昔は飛行機雲という物があったと聞いたことがある。僕はパンデミック前は部屋から出れなかったから、それが何なのかは知らない。
「ホルン、飛行機雲って見た事ある?」
「あるよ」
「どんなの?」
「こう、空に白い線がスーッて」
ホルンは片手を離して、空に向かって右から左に線をなぞった。
「いつか見れるかな」
「どうだろうね」
水筒を取り出し左脇に挟んで、右手で開ける。中身は半分ほど。口を付けないように飲む。
「ちょうだい」
「はい」
ホルンに渡す。片手運転のまま1口分水を飲み、こちらに水筒を向ける。蓋を閉めてやると、ホルンは水筒を戻す。
―――
戦車を停めて積荷を荷車に移す。ホルンはここからコミュニティに物を売りに行く。僕はと言えば、あまり人の多いところの出入りはしたくないので、ここから拠点に戻る。
「じゃあ、よろしく」
「うん、カリンも気をつけてね」
「ありがと」
「畑荒らし、捕まるといいね」
時折吹く風が心地よい。マフラーをずらして風を中に入れる。凸凹したアスファルトの上をしばらく進むと、古い家屋がポツンとひとつある。今僕とホルンが拠点にしている家だ。山を少し登った位置で、ここから僅かに海が見える。
靴のまま家に入る。床は当時のままで、ブルーシートを敷いて次に売る物を置いたりしている。
外から物音がする。畑の方だ。ここ数回、畑に人が侵入した跡があった。玄関から出て庭にまわる。
足跡があった。人のもので裸足だった。小さく息を吐いた後、何事も無いように庭に入る。
女の子が居た。汚い髪の長さや泥の隙間から見える顔から何となくそう判断した。野菜を掘り起こして食べている。窶れていてボロボロだ。何故ここまで気づかなかったのだろう。
そんな事より、勝手に食われている。
「何してるの?」
女の子が頷く。少しだけ申し訳なさそうにした。
「ごめんなさい……」
喋った。食いかけの生野菜を僕に渡そうとする。
「それはもう食べなよ」
女の子は嬉しそうにして齧り付いた。バリバリと音を立てて汚く食べる。少なくとも、僕の教養でもこうはならない。
荒れた土を整えるために道具を取り出す。
「どこから来たの?」
「ヒロシマ」
「どこら辺?」
「あの海のずっと向こう」
思わず手を止めた。
「海?」
「うん。元琵琶湖の向こうだよ」
「どうやって渡ったのか教えて欲しい」
元々湖だったそれは、ある時そこを境に大きな海峡となった。海峡に巣食うデカイ虫が居て、舟での移動は出来ない。西側は知らないが、電波を飛ばせば通信が返ってくるらしく、人はちゃんと生きている。
僕は、その向こうに行きたい。そうか、あの海峡、琵琶湖という名前は、大人は使いたがらない。
「お舟に乗って」
「舟……特殊なルートがあったりするんだろうか」
「リズって人を探してるんだけど」
「……リズ?」
「あと、ヒマワリって人」
訳が分からない。なんでこいつが2人を探しているんだ。
師匠によく、ヒマワリという女性の話を聞かされた。遥か西から東の旧市街まで旅をして、その先で行方不明になった。
女の子の瞳は、濁った黄色だった。
「……ヒマワリは死んで、リズは宙に消えた」
「そうなの?知ってるの?」
「むしろ君は、どこでその名を聞いたんだ」
だから僕は、西に進む。この島国の端にある「タネガシマ」という場所に、かつて宇宙に飛び立つ為の技術の跡があるから。




