カリン:負の遺産
拾った紙の本を、3分の1ほど読んで閉じる。「異世界」という場所に行った主人公の話で、特別な力を振るい人に尊敬されると言った感じの話だった。
師匠が言っていた。昔は電子書籍ってのがあって、ひとつの端末にたくさんの本を入れられたが、それでも紙は無くならなかったと。
本の表紙は煤けて読めなかった。戦車の後ろに付けた荷台に本を投げ入れ、マフラーの位置を直す。
戦車の前方、操縦席の横に飛び乗る。漫画を読んでいたホルンが操縦桿を握る。ガスマスクと、暗い青が混じる前髪の隙間から瞳が覗く。
僕はガスマスクはつけない。必要無いから。
「行く?」
「うん」
戦車がエンジンを唸らせ、灰と緑に覆われた町を走り出した。
「知ってる漫画?」
「ううん。知らない」
車体が揺れる。隆起したアスファルトを避け、木の根を避ける。大きな道路を横断している、人の背丈程ある虫を轢き殺す。
「…汚いなぁ」
「ホルンが轢いたんだよ?」
僕の知っている戦車は、車体の上に回る円塔があったはずだけど、この戦車は車体の上が空いていて、そこに乗り込む形になっている。
1番前に弾を撃つ場所があるが、砲弾は落ちてないから撃てない。当然、この戦車の名前も知らない。
低空を虫が飛んだ。少し空が濁って見える。
「ラジオつけるよ」
「うん」
ぶら下げた携帯ラジオの電源を入れる。一瞬のノイズの後、女性のハキハキとした話し声がする。
[…続いて胞子情報です。現在の濃度指数は広い地域で低い状態を維持していますが、来週以降は偏りが上昇すると予想されます。特に…]
「……これ、どこが流してるんだろ」
「聞かなくても視えるんでしょ?カリン」
「まぁ。確認というか」
「で、どうするの?」
「今晩にでも、こっちは嵐が来ると思う。戻るか、例の、丈夫そうな場所か」
「ここからだと、戻るのは時間かかるよ」
戦車は広い道を東に進む。建物の密集が少しずつ減っていき、少しだけ、南に海が見えた。
顔を出して風を感じる。海から顔を出すビルの上に鳥が集まっていて、夕日に影が浮かぶ。
「最近、鳥増えたね」
「そうだね」
その鳥の影の後ろから、一回り大きな影が伸びる。飛び立つ鳥の影が濃くなる。1羽、そいつに捕まった。
蟹のような虫に捕まった鳥が食べられる。遠くでも分かった。
道の横に伸びる荒れた草原に、大きな風車が見える。ここは止まっていて、誰も使ってないらしい。
少し山を超えて道を曲がる。何のためにあるのか、道を囲うように設置された小さな建物を通過する。
ボロボロの看板には「…原子力発電所」と記載がある。
高いフェンスで囲まれた敷地に入り、戦車を止めて布を被せる。
カバンとランタンを取り出し、ホルンと歩く。海のある方にのっぺりとした壁があり、向こう側は見えない。
窓の割れたボロボロの建物と、その奥には少し白い無機質な巨大な箱。ボロボロの建物に入り灯りをつける。
「ガスマスクのフィルタは大丈夫そ?」
「後で変える」
薄暗い廊下を進んで、半開きの扉を開ける。
この建物の制御室のひとつらしく、コンピュータは壊されていて動かない。椅子と机がいくつか置いてあり、机の上には遺書がある。中身は見てない。
「どう思う?」
「まぁ、気になるならいいんじゃない?」
手に取ってみる。軽い。ボロいけどあまり古くは感じない。この手のものは、いつの時代か分からないと厄介だ。もしかしたら、近くのコミュニティの人のかもしれないし。
特に見るものが無い。ここでは嵐は防げない。白っぽい、窓のない巨大な箱の周囲を歩く。ドアを見つけてノブを回すが開かない。強く引っ張ってみる。
「貸して」
ホルンがやってみるが、やっぱり開かない。ドアの隙間を覗き込んだホルンが手招きをする。
覗き込むと、銀色が見えた。
「……なにこれ」
「溶接されてる」
「マジ?」
夕暮れの空を見る。黒い点が見えた。
「開きそうなとこ探そ」
ホルンがカバンを背負い直す。僕もマフラーの位置を直して走る。片っ端からドアを蹴る。どれも開かない。
「やばいかな」
「……あそこ」
少し高い所に小さな穴がある。ねじ込めば入るか。
「戦車取ってくる」
「お願い」
ホルンが走る。腰のワイヤーアンカーを穴の上に射出して固定し、ハンドルを巻く。穴にはファンが付いている。
マフラーをファンに巻き付けて引っ張ると、ガコンと音がしてファンが外れた。ちょうどホルンが戦車を下に持って来て、再度布を被せる。
「行ける?」
「大丈夫。行ける」
中に入る。着地の音が響いた。真っ暗だ。ホルンも穴から中に入る。ホルンのガスマスクの呼吸音だけがする。
「……カリン、臭い?」
「そうだね」
「何がいるかな?」
「……多分、居ない」
ライトを付けて進む。無機質で狭い空間が広がっている。パイプが多い、それを支える柱が沢山ある。
自分達が何処にいるのか、分からなくなりそうだった。
外から微かな振動が来る。ホルンが少し固まる。
「早いね」
「東からってことかな」
「……ベゴニアさん達は大丈夫かな」
「……師匠にそんな心配は不要だと思うよ」
空気の流れが変わった。大きな扉がある。ここは力を入れれば開いた。
部屋の中心に、大きな円柱の金属がある。
「何これ?」
「さぁ?」
ホルンが手を叩く。部屋に小さく響く。虫や蝙蝠の気配は無い。ホルンがカバンを下ろした。僕も灯りを床に置いて寝袋を広げる。
ホルンがガスマスクを外し、フィルタを交換する。上目遣いでチラリとこちらを見る。
「……もうすぐ切れるかも」
「そっか。おいで」
四つん這いで顔を近付けるホルンを右手で受け止める。優しく触れ合った唇は、篭っていて少し柔らかく、ガスマスクの匂いがした。
「……ありがと」
そそくさとホルンがガスマスクをつけ直し寝袋を広げた。
「おやすみ」
「うん。おやすみ」
ホルンが寝袋にうずくまって静かになる。眠くないから、さっき拾った本を読むことにした。
床に置いて、読んでた場所までペラペラとページを捲る。縦読みの小さな本は、右手だけでは読みづらい。僕の左腕は肘から先は無いから。
ページを捲る。知らない文字が出てきて止まる。こんな事なら、師匠たちにもっと読み書きを習うんだった。
文字を飛ばして読む。物語が進んでいく。2巻に続くという言葉と共に、本は最後のページを終えた。
続きが気になる。というより、まだ何か読みたい。幼い頃に終末が来た僕には、読み書きが楽しいなんて、誰も教えてくれなかったな。
カバンから落ちた遺書が目に留まる。手をのばして引っ込める。読んでいいのだろうか。
ホルンの寝息が、外の揺れの隙間に聞こえる。
左脇のポーチからハサミを取りだし、封筒を切る。中の紙を取り出して広げた。
〜
これを読んでいるあなたは人間でしょうか。この施設は危険なので、絶対にコンピュータを再起動しないでください。
火は消しましたが、どんな理由で再起動するかは分かりません。この国を死の土地にしたくない。
もし、私たちの死体がそこにまだあるのなら、気にせず好きなように処理してください。
どうせ、もう助からない命です。言い残したことは沢山ありますが、あなたに託すのも違うような気がしています。
私たちは役割を果たしました。人類がまだ生き残っていて、あなたが人間であることを祈ります。
〜
そもそも、コンピュータは物理的に破壊されていた。この人たちが壊したのは確定だ。風車や滝の発電所は色んな所にあるけど、ここの発電所は使わないんだろうか。
この大きな金属は、発電の為の物なんだろうか。もしも僕らが使えたのなら、この戦車はどこまでも行けるんだろうか。
虫の嵐はまだ続いている。何かが潰れる音は、きっと虫が壁に激突したんだろう。
戦車は無事だろうか。コミュニティは大丈夫だろうか。師匠は今、何をしているだろうか。
色んなことが頭を巡る。その度、自分で逃げ出したんだと自戒する。
あの日妹のリズに置いていかれた時から、あの日師匠に負けた日から、もうすぐ4年目の夏。
もっと遠くまで行くはずだった。僕を阻むのは、虫でも虫喰いでも無い。この島の真ん中にあった湖が、西と東で断裂し、生き物の横断を拒否した。
■ 原子力発電所
パンデミック宣言から文明崩壊まではわずか2週間ほどであったが、この島国における全ての原子力発電所は手順通りの方法で機能停止し、現在まで沈黙している。
一部の発電所では内部から全ての出入口が溶接封鎖されており、内部に残った職員の所在は今も不明。これに対し、当時の政府が事態を「予期していた」可能性を囁く者も少なくない。
結果として、彼らの命を賭した処置により、崩壊から10年が経過した現在もこの島が深刻な放射能汚染に見舞われる事態は避けられている。




