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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第三章 イーリス・ブレンヒルトと狂信の皇国

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第1話

 イーリスがユディットを旅をするようになって五年が過ぎた頃。

 ある嵐の日、その手紙は届いた。


「ユディット。────ジーモンが死んだ」


 静かに告げられた言葉に、窓辺で外の荒れ模様を眺めていたユディットが驚いて振り返った。今のは聞き間違いではないか、と。


「ごめん、もう一度言ってくれるかい?」

「ジーモンだよ。あいつ、死んだってさ」


 元々老齢であったことから次第に病弱になり、三年ほど前から闘病中だった。それが今年の半分を過ぎた頃、とうとう息を引き取ったという。


 報せはエーバーハルト公爵家からによるもので、疑いようもない事実だ。イーリスも流石に自分の目を疑ったが、信じざるを得なかった。


「良い奴だったとは言わないけど、なかなかの苦労人でさ。愛息だとか言いながら、随分と子供のヤンチャぶりには手を焼いてた。近頃じゃ神殿にそそのかされて、随分と女神信仰に熱を出してたらしいから……死んでも心配だろうな」


「それなら皇都に戻ろうよ。大々的に葬儀も行われるはずだから」


 ユディットからしてみれば、ジーモンはイーリスと並ぶほど世話になった。本来は国の法に基づいて処分されるところを恩赦を受けたのだ。いくら魔女の庇護下にあっても、皇帝の介入があって、より強固な立場を得たのは間違いない。


 嵐が明け次第、急いで戻って挨拶をするべきだと考えた。


「いいや、皇都には戻らない」

「えっ? で、でも、陛下にはイーリスも、」

「分かってる。アタシだって行きたい気持ちは山々だ。けどなぁ」


 何度も手紙に目を滑らせて、頭をがりがりと掻く。


「アタシらはちょっと離れた島にバカンスに来てんだぜ。今から皇都戻るったって、列車のある町まででも半月は掛かる。その頃には新皇帝の即位式だ」


「となると、即位するのはご子息のアドラー殿下だけど……」


 何の問題があるのかと不思議がるユディットにイーリスはため息を吐き、手紙をひらひらと振りながら分かりやすく説明する。


「アドラーの奴はジーモンとは違う、魔女肯定派じゃない。なんなら女神信仰に傾倒してる、敬虔な信徒様ってわけだ。言ってる意味、分かるだろ」


「あ……もしかして、アドラー殿下は排斥派……?」


 イーリスが深く頷き、椅子に体を預けて腕を組む。


「あいつはガキのときから周囲に流されやすかったが、神官に唆されてからはジーモンとの間に明らかな壁があった。……そいつを読んでみろ」


「え、うん」


 渡された手紙に目を滑らせて、ぎょっとする。アドラー皇太子の即位式は速やかに執り行われ、国葬は短く済まされる予定であること。そして、即位した暁には皇国を神聖皇国とし、女神信仰を中心として魔女崇拝を禁ずることや、魔女狩りを行うことを宣言するなどといった、報告書じみた内容だった。


「ヴェルターは表面的には中立だ。どっちにも転んでないから手紙の検閲もされないし、前皇帝の立場から考えて訃報の知らせくらいはしておくべきなんて言って、アタシに現状を伝えてくれたんだろうよ」


「じゃあ、どうするの? このまま島に居続けるのも難しいでしょ?」


 いくら金があろうと、大陸から少し離れた島であろうと、皇国の領域には変わりない。遠く海を渡った先にある見知らぬ大陸に移り住むのもいいが、イーリスも流石に、環境の分からない土地にリスクを背負って乗り込むのは難しい。


「このクソみたいな天気の中、手紙が届いたのだって奇跡さ。これが吉兆だと思って気楽に構えようぜ。情報を握ったかぎりは出来ることはいくらでもある」


 立ち上がって体をぐぐっと伸ばしたら、イーリスは部屋を出た。孤島にある建てられたばかりの巨大な宿泊施設は邸宅のように広く、レストランもある。まずは腹ごしらえでもしようとユディットを連れていく。


「本当にいいんだろうか……。私たちがこうしている間にも、魔女狩りの話が進んでいるんだとしたら、早めに対策を立てた方が」


「分かってる。決断のときだ、時代の流れは乗り遅れると痛い目に遭う」


 百年も生きていれば、そこそこの移り変わりは目にしてきた。先代の魔女が脅していたからこそイーリスは今まで自由に生きてこられたが、次の相手は女神の忠実な信徒とも言える男だ。油断はできない。


「(此処へ来て、お師匠様が脅したのが裏目に出たな。魔女を脅威と呼ぶには十分すぎる。ジーモンがいたから取れた統制も、あのバカ息子じゃあ……)」


 どの時代においても、わざわざ言わずとも魔女は脅威とされてきた。しかし、誰ひとりとして他者を傷つけるための魔法は持たない。研究もしない。それが暗黙の了解となっていたからだ。


 傷つけることは禁忌である。暴力は暴力を呼ぶ。魔法も変わらない。だが先代の頃、魔女排斥派の何人かが暴走して勝手な振る舞いをした際に、それを抑制するためにイーリスの師匠は脅しを掛けた。


『魔女はそうしないだけ、国なんていつでも滅ぼせることを忘れないで』


 その言葉が、どれほど多くの人間の記憶に刻まれたか分からない。間違いなくアドラーの頭の中にも残っている言葉だ。たったひと言で謀略に長けた貴族たちを震え上がらせ、盤石な地位を示してきた。


 だが神殿は常に敵だ。聖女がいつか降臨する。魔女は間違った存在となると触れ周り、よく回る舌で大勢の人間を虜にしてきた信仰は魔女さえも恐れない。


「アタシだって被造物だってことを忘れてんじゃねえかな、あいつらは」

「全く以て同意見だよ、イーリス。信仰は正しくても手段が間違っている」

「だろ。聖女様でも拝んで無視してりゃいいんだ」


 チッと舌を鳴らして不愉快を隠さない。首を擦り、気持ちを落ち着かせた。


「問題は、その聖女様がいないってことだけどよ。魔女と聖女、どちらもできることが似てるんなら、なんにしてもアタシの存在は邪魔だろうがな」


 信仰を一手に集めたい神官たちにしてみれば、魔女ほど邪魔な存在はいない。個人でありながら皇家にすら根を張るのだ。国が魔女を肯定するような状況が続いている今が、どれほど彼らにとって目障りなのかは言葉にするまでもない。


 彼らは魔女の権威を失墜させ、火炙りにでもして見せしめを作りたいだけだ。神に遣わされた聖女こそ存在すべきであると証明するために。


「イーリス。何で笑っているんだ……」


 歩いているときは苛立っていたかと思えば、レストランに着いて適当な席に座った瞬間に、イーリスはくすくす笑った。


「いやあ、なに。時代ってのは面白いよなぁって。どうやったって死ねないんだから、これくらいの刺激があっても悪くない。アタシも今を生きているんだって感覚がある。それを至福に思ってただけだよ」


 百年も生きて、大勢を見送ってきた。柔らかい肌をした赤子が、骨と皮だけの体になって天寿を全うするまでを見届けた。そのたび、時間の中に取り残された感覚に、自分の存在があやふやになる。


 死の概念から最も遠い存在は、いつしか死への恐怖もなくなり、痛みすらも忘れた。だが、それを許さない者たちがいる。イーリスにとってはそれが幸せだった。自分もまた時代の中にいる人間なのだと知れるから。


「お前も、アタシと一緒に百年も過ごせば理解できるさ」

「……そうなのかな。まだ分からないけど」


 ユディットはコップに注がれた水で喉を潤して、レストランの中にいる客をちらと横目に見る。どこにでもある、ありふれた光景。


「君と一緒に過ごせるなら、全てが朽ち果てたとしても後悔はしないよ。無人島でふたりだけになっても、生きていける自信がある」


「別にそんなサバイバル精神は培わなくていいんだよ」

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