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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第17話

 良い報告ができないと分かっていてもイーリスは急いだ。


 寂しく別荘で待っているリンが心配で、焦る理由はないのに気持ちが先を行く。一人にしてはならない、と。


 森に着き、正しい手順で道を進み、別荘へ帰ってくる。

 庭仕事に精を出していたリンは、土をいじる手を止めた。


「おかえり、おじいさんの反応はどうだったの」


「うまく話は纏まったよ、面倒見てくれるってさ。お前は嫌ってるだろうに構わねえのかって心配もしてた。実際どう、嫌じゃない?」


 リンは静かに首を横に振り、僅かに眉を下げた。


「嫌いじゃないよ。ただ、わかっていてみんなのこと見捨てたのかなって」


 たくさんのエルフたちがいたはずだ。殺されたのだとしたら、きっと痛くて怖くて仕方なかったはずだ。そう思うと悔しくてたまらなくて、怒りの矛先をただマクシミリアンに向けただけ。彼が殺したわけでもないのに。


「探したわけじゃないが、見に行ってはくれてたみたいだぜ。そのせいで身動きがとれなくなったってのが正しいんだと思う」


「……イーリスは、あの人のことを信用できるの?」

「少なくとも嘘は言わない奴だ。いちいち癪に障るけど」


 魔女としての長い経験と、ときどきマクシミリアンが見せる穏やかな表情がそう感じさせた。メアリーの話をしているときは特に優しい目をしたから。


「お前はどう感じた。────視たんだろ、あいつの本性を」


 オーラで人間性を見抜けるエルフが、マクシミリアンを警戒しないわけがない。にも拘わらず最初から敵意を抱いていない理由がある。


「うん。とても、とてもくすんだ青色だった」


 エルフの視るオーラは悪人のオーラは邪悪なほど赤黒く染まる。逆に善人は青白くなる。くすんでいるのは、人生を経験してきた勲章のようなものだ。


 くすんだ青色は、マクシミリアンが善性に傾きながらも、切っ掛けさえあれば黒く染まるという証左でもある特殊なオーラでもある。だから警戒はしていたが、嫌いかと言われればそうではなかった。


「ねえ。ボクは此処を離れるの?」

「ンなわけないだろ。別に此処で住んでもいいはずさ」

「……! そっか、よかった!」


 たとえ森の環境が変わるとしても、メアリーの別荘の周辺くらいならばリンは森を綺麗なままに残しておける。極めて僅かな範囲だが、自分が育てた野菜や果物を放っていくのは可哀想で、できれば残りたいと思っていた。


「だが、とにかくまずは黒山羊商会の連中に顔見せにいかねえと。誤解があって、マクシミリアンの与り知らねえところで問題が起きても困る」


「わかった。これからすぐ行く? もう畑仕事も終わったところだよ?」


 できるなら早い方がいい。イーリスは少し考えて、うん、とひとつ頷く。


「そうしよう。まだ明るいし、気が向けばひと晩くらい泊まってみるのもアリだ。あいつらと良好な関係を築ければ、デカい後ろ盾になるかも」


 歩きなら町に着くのが夜でも、馬がいれば早く着ける。リンなら体も小さいので、一緒に乗って行くのも難しくはない。


 炭鉱で魔法を使ったせいで疲れは増していたが、幸いにも発熱はない。こればかりはユディットには内緒だ、と忙しい一日に今より酷くならないよう祈った。


「よし、そうと決まれば移動だ!」

「おー! れっつごー!」


 イーリスは馬に乗って、リンを連れ再びサンドピットへの道を走った。陽もゆっくり落ち始めて、風も涼しい。心地よい気分で堂々と町へ入り、寄り道をすることもなく、黒山羊商会に戻った。


 最初は子供を連れてきたので何事だろうかと皆が興味津々に集まってきたが、そこへ騒ぎを聞いて出てきたマクシミリアンを見るなり、ざっ、と道を開けた。


 彼らは何を喋るわけでもなく、静かに頭を垂れて敬意を示す。


「楽にしろ、お前たちにも話がある」


 指示があって初めて男たちは姿勢を崩す。視線はリンに集まった。


「彼女はリンという娘だ。炭鉱夫連中の仕事道具を壊して回っていた犯人だが、今回は魔女殿たっての願いもあって、ウチで保護することになった。預かりものだ、丁重に扱え。それと、この件についてはくれぐれも口外しないように。炭鉱夫に何か尋ねられたときは『魔女の友人だ』と、深く語らずにそう答えろ」


 思うところはあれど、雇い主の言葉に彼らは異論を持たない。快く受け入れると同時に、半数近くはリンを見て頬を緩ませた。


「なんだ、案外普通に受け入れられてんじゃねえのか?」

「当然だとも。此処には子供がいる連中も多いのでね」

「へえ、そりゃよかった。子供に甘々ってわけだ、おじいちゃん?」


 茶化して肘で小突く。マクシミリアンが渋い顔をして目を逸らす。


「別に甘いつもりはない。運が良かったと思いたまえ、黒山羊商会は本来であれば敵に回った人間が幸せに生きられるほどのぬるい組織ではないのだ」


「知ってるさ。あいつがメアリーの大切なものだと思ってるんだろ」


 マクシミリアンは答えなかったが、リンを見る目で分かる。まるで忘れ形見でも見つけたような心境なのだろう、と。


 そして、リン自身も最初は黒山羊商会に対しての不信感があったが、彼らとあっという間に打ち解けて、楽しそうに笑いあって遊んでいる。肩車をされてはしゃぐ姿はしっかり子供だった。


「おい、リン。どうするよ、泊ってくか? 親睦を深める意味もかねて」

「……う~ん、どうしよっかなあ」


 彼らは良い人だと思いつつも、いつもと違う場所で眠るのは落ち着かないのではないかと不安になる。だが、商会の男たちは寂しそうな眼差しを向けた。


 せっかく来てくれたのにもう帰ってしまうのか、と。多忙な日々になかなか我が子との時間が取れない今、リンの存在は彼らには砂漠に咲く一輪の花なのだ。


「あ、はは……。そ、そうだね。せっかくだから泊って行こうかな」


 大歓声があがるのを見て、雇い主は呆れて額に手を当てた。


「馬鹿共が。言っておくがお前たちに遊んでいる暇はないぞ。話は済んだのだから、さっさと仕事に戻らないか。取引先に子供と遊んでいて納品が遅れたとでも言い訳をする気か。私に恥を掻かせるんじゃない」


 叱り飛ばすと、帰ってきたのは不満の嵐だ。ろくに休みもないくせに、子供と会う時間もくれないくせに、給料安いくせに、と様々な言葉が飛び交う。


 マクシミリアンは珍しく彼らが反抗的なことに驚かされた。


「お前、本当に仕事人間なんだな」

「これでも融通を利かせてるつもりだよ」

「とてもそうは見えねえけど」


 誰もが心の平穏を感じて楽しそうに笑いあっている姿を見て、イーリスは何も問題がない町の小さな光景に思えた。それが、どこか胸をちくりとさせる。


「マクシミリアン。お前が見たことのなかった景色はどうだ?」

「さてね。君こそ、笑っているのに悲しそうな顔をしているようだが」

「……そうかな、いや……そうかもな」


 美しいはずの歪んだ光景。少女には家族が、仲間がいるはずだった。もっと近くて色濃い人々が。そんな少女がどこまでも暗くて深い闇に落ちないように支えるのは、ずっと前に闇の中へ落ちた人々だ。黒山羊商会という名を背負い、悪党として生きる者たちだ。イーリスは、その光景に、悔しさが滲んだ。


「もう死んだ人間を生き返らせてやれないってのは、魔女として失格なのかな。ときどき、そんなふうに思うときがあるんだ」


 普段通りに見えて、ぎゅっと拳を握りしめる姿にマクシミリアンは目敏く気付く。ズボンのポケットに手を突っ込み、肩の力を抜いてリラックスしながら。


「あまり病むな。狂気はいつも隣人のふりをして傍にいる。我々も炭鉱の連中を甘く見すぎていたとしか言いようがない。君という例外を除いて、生きている者は死ぬものだ。どう死んでもひとつの人生、遅いか早いかに過ぎんよ」


 イーリスの肩をぽんと叩いて軽く慰めて、マクシミリアンは仕事に戻った。


 長く生きた人間だからこそ感じる死生観は魔女にはない。ただひとりだけが世界の外側に取り残された気がして、ユディットが恋しくなった。

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