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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第11話

 診察をひと通り終え、ただの過労だと分かると、しばらく安静にしているよう言われた。ハーマンはそのまま逃げるように部屋を出ていき、静かな室内には老獪な男と奇抜な魔女という風変わりな組み合わせが残った。


「熱を下げる薬を出してくれるそうだよ、良かったじゃないか」

「どうせ死なないのに薬なんて要るかぁ?」

「体調が悪いのには変わりない。早く復帰するには必要ではないかな」


 正論で返されてイーリスが不機嫌に目を細めた。


「言っとくがアタシの方が」

「老いを知らない君の経験なぞ、しわだらけの人生よりも易い」

「……殺しをやめたのも、何か切っ掛けが?」


 扉にもたれかかり、窓の外を眺めながらマクシミリアンが言った。


「馬車の事故だよ、左足を膝から失った。怪人などと呼ばれても、所詮は人殺しが得意なだけで超人じゃない。今は義足生活だ。腕のいい職人のおかげで目立たないが、機敏には動けない。勝手が違うものでね」


 僅かに引き上げられたスラックスの裾から見える木製の足が痛々しい。

 若き頃の、まさに絶頂期を奪われた。


「君を殺すよう受けた依頼が最後になった。挙句の果てには首を落としても殺せず、私の人生で初めての失敗だった。不死身という話は聞いていたが、目の当たりにしてみれば意欲も失せる。殺しようがないのだからな」


「そりゃご愁傷様。足が千切れたのも自業自得だろ?」


 マクシミリアンが肩を竦めながら可笑しそうにする。


「実に正しい言い分だ、返す言葉もない。結局、その後に暗殺ギルドなどという裏稼業の集団は消えたよ。正確には皆が揃って足を洗ってしまったからだが」


 ひどく呆れながらも、老人はどこか嬉しそうに口角をやんわりあげた。


 暗殺ギルドのマスターであったマクシミリアンの事故は、まさに伝説を失った瞬間だ。彼の後継者はおらず、後継になりたいと思う者もいなかった。少人数のギルドでは誰もが彼に心酔しており、いっそこれまでに得た潤沢な資金を使って新たな稼業を始めようと話し合った。その結果が、現在の黒山羊商会である。


「まったく面白いものだよ、人生という奴は。年老いてなおも皆がついてきてくれる。先立った者は、その子孫が私に忠誠を誓ってくれた。……まあ、軌道に乗ったからと人手を増やしてみれば、カラムのようなごろつきもいるがね」


 忠告をしても聞かず、いつだって身勝手だ。いくらか譲歩してはみたが、横柄な態度は変わらない。痛めつけても人間の根幹にあるものはそう覆されなかった。そのおかげでユディットに腕を落とされていたとマクシミリアンは大笑いだ。


「それで、なんでまた、その黒山羊商会様がサンドピットみたいな場所で。貴族中心に取引をしてた奴が、わざわざ鉱山開発したさに?」


「そこは色々と理由があるのだが、話せば長い。なにしろ、前領主との縁だ。あの出来の悪い今のワグナー子爵とは話が違う。尊敬に値する女だったよ」


 語らずとも、イーリスは納得する。マクシミリアンの言葉は掛け値なしの本音。それゆえに強い寂しさと怒りが滲んだ声だった。現ワグナー子爵が、かつて美しかったサンドピットをめちゃくちゃにしてしまった。


「私の目的はいたってシンプルだ。このサンドピットを奪い取る。一応、私も此処の生まれだ。メアリーには世話になったこともある。それを、あのバカな子爵に壊されるのは気に入らない。そのために此処へ来た」


「……だったら、そんなもんはとっくに終わったんじゃねえのか」


 イーリスの問いに、深刻そうな顔でマクシミリアンが首を横に振った。


「ああ、もちろん終わった。ただ、鉱山開発だけは止められなかった。ワグナー子爵と契約を交わしている貴族がいて、そればかりはこちらの都合で反故にはできない。なにしろ相手はエーバーハルト公爵家だ、敵に回せんだろう?」


 針の孔ほど小さな油断も許されない。正しく運営し、正しく利益を差し出さなければ、黒山羊商会など木っ端微塵になってしまう。


 イーリスも、あの公爵家ならやるだろうなと苦笑いする。


「だから鉱山開発の邪魔だった奴を探してたわけ。道具を用意する程度の金なんざ、お前にとっては痛くも痒くもないだろうし、変だなとは思ってたんだよ」


「痒くはあるが。なんにしても、問題が起きて利益が減れば公爵家が出しゃばってくる。私としては、それが最も避けたい。身辺調査などされればひとたまりもない。あの男は今までの騎士団長とはわけが違う」


 ごもっとも、とイーリスがしきりに頷く。


「でも、だったらなんであのカラムとかいうごろつきを雇ってる。お前には用心棒なんか要らないだろ? ありゃ大した仕事もしてないように見えるが」


 マクシミリアンは問題行動の多いカラムをよく思っていない。にも拘わらず雇っていたのは、それなりに見てきたのもあってのことだ。


「皇都では真面目だったのだよ。此処へ来てから、随分と偉そうになってしまった。おそらく自分がそれなりに稼いできたのもあって、サンドピットの人間を見下しているのだろう。気持ちは分かるが、それで私の指示を聞かないのでは雇っている意味がない。だから灸を据えてやったのだが、最後のチャンスすらふいにしたよ」


 哀れな奴だと嘲る。皇都では貴族に媚び諂ってきただけの男に過ぎず、その稼ぎすらもマクシミリアンが与えてきた働きへの対価だ。サンドピットの人々に対して野卑な振る舞いができるほどの地位ではないと理解しなければならなかった。


 結局、その過度な自信に対する無謀から両手を落とされてしまった。


「ところで話をそろそろ進めたいのだが、犯人はあの小さな娘か?(・・・・・・・・)

「……だとしたらどうする、殺すつもりか?」


 イーリスの気配が一変する。手を出したら、ただでは済まない。楽に死ねないと分かる強い威圧感。それでもマクシミリアンは動揺しなかった。


「その前に話してみたい。君さえ許可してくれるのであればだが、今のところは殺す理由が見当たらない。ユディットが傍にいても構わない。如何かな」


「アタシは別に構わない。話し終わったら此処へ戻ってこい」


 老人らしい穏やかな笑み。その裏側は殺人鬼でしかない。イーリスは彼を信用に値しない人間とは思いつつも、嘘を吐く人物ではなさそうだと認めた。


「ではさっそく失礼するよ」


 マクシミリアンはイーリスに微笑みかけると部屋を出て、一階で集まっている三人を瞳に映す。少女の尖った耳を不思議に思いながら、まずはユディットに呼びかけてみた。とにもかくにも警戒されていては話が進まないと思ったからだ。


「ヴァルトシュタイン卿、少しは気分が切り替わったかね?」

「……おかげさまで。私に何か話したいことでも」

「そう睨むな、君じゃない。そっちの小娘に話があるだけだよ」


 目が合ったリンが自分を指さして首を傾げる。


「そうそう、君だ。……ハーマン、君は外に出てもらえると助かるのだが」

「わ、わかりました。僕が聞いていい話ではなさそうだ」


 そそくさと家から逃げ出して、扉を勢いよくバタンと閉めて出ていく。数秒の沈黙の後、マクシミリアンはソファに腰かけて膝を組む。


「まずは敵意なく話をしてみよう。私の名前はマクシミリアン・ナハトマール。ご存じだとは思うが黒山羊商会の商会長をさせてもらっている。よろしければ、君の名前を伺いたいのだが、お聞かせ願えるかな?」


 老獪な商人に警戒心を抱きつつも、リンは小さく手を挙げる。


「リンだよ。この森で長く暮らしてきた。メアリーの大切なものを守りたくて、町でたくさん悪いことを……。今は反省してる、どうしようもないんだよね?」


 上目遣いに、潤んだ瞳が訴えかける。どうにかしてもらえないか、と。


「残念だが私にも無理だね。たとえこれからどれだけの時代が進んだとしても、石炭を必要とする限り、あの炭鉱での採掘は続けられる。資源がなくなれば話は変わるが、ざっと見積もっても百五十年は安定しそうな鉱山だ。皇都でも有数の貴族が関わっているし、君の願いは叶わないだろう。森の衰退は諦めてほしい」


 できるならとっくにやっている、と内心でマクシミリアンは舌打ちするほどの苛立ちを覚える。メアリーウッドがどれほど貴重な場所かはよく知っていた。未だにサンドピットの住民が、森で野草や木の実を採っているのだから。


「だが、この家くらいは君に残してあげよう。そして、いつか君が此処に住めなくなったときは私を訪ねてきなさい。新しい家をどこかに用意しよう」


 魔女が関わったことに対する温情だ。何か特別な理由がなければ手を貸すはずがない人間が、そうしたのだ。であればマクシミリアンも深入りはせず、むしろ好待遇で迎えるべきだと判断して提案を述べた。


 いつかは森を失うと分かっているリンにとっても悪い話ではない。新しい家を用意してくれるというのなら、自分の住めそうな森を与えてもらえばいい。


 だが、今は。そんな話よりも先に聞きたいことがあった。


「ありがとう、おじいさん。でもその前に、ひとつだけ教えて。────この森にはエルフたちがいた。あなたは知ってるよね? 彼らはどこに行ったの?」

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