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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第二章 イーリス・ブレンヒルトと炭鉱の町の黒山羊

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第10話

 信頼のできる男ではある。だが、その半端な善性がユディットには痛かった。可能であれば制圧すべき、そんなものは分かっている。だが、見逃せば、必ずまた同じことを繰り返す。他人の命をどうとも思っていない人間が反省などするはずもない。放っておくよりは、二度と抵抗を考えられないように。それが最善だ。騎士として間違っていない判断だった、とハッキリ言えた。


 だからハーマンのことは信頼できても、どこか気に入らなかった。出会い方さえ違えば、そうもならなかったのだろうと残念に思う気持ちもあった。


「もう誰も見ていないようですから先を急ぎましょう。さっきの会話で気付いたと思いますが、あまり魔女の居場所を知られたくないんです」


 えっ、とハーマンが少しだけ驚いた。


「患者って魔女本人だったのかい? 不老不死なんて噂も眉唾かな」

「それは事実です。でも誰だって体調を崩すときくらいありますよ」

「はは、間違いない。健康的な生活をしていたってよくある」


 いくらか遠い道のりを歩いて、メアリーウッドに帰ってくる。ハーマンからしてみれば、こんな森に本当に魔女がいるのかと信じられないところもある。薬草が生えているので彼も足を運ぶ。人が休む場所なんてあったか、と懐疑的だ。


 しかしユディットの案内を受けて別荘に辿り着くと信じざるを得ない。今までどうして見つけられなかったのだろうかと口をぽかんとさせた。


「こんなに周りが開けてるのに、一度だって見たことがないぞ。いつから別荘なんか建っていたんだ、最近になって誰かが建てたのかな」


「いえ。昔からあった別荘だそうですが、一度も辿り着けなかったと?」


 自然と魔法でリンの後を追いかけて見つけたのもあって違和感を覚えなかったが、そもそもメアリーウッドは解放されていて、炭鉱に住む女性たちが、ときどき野草や木の実を採りにやってくることもある。別荘の傍にはリンが育てている野菜が元気よく伸びていて、暮らしの気配も強い。なぜ今まで誰にも見つからなかったのか? とようやくユディットも強い違和感を覚えた。


「そりゃあボクが正しい手順以外では辿り着けないようにしてあるからさ。あちこちに結界を張ってある。奇跡でも起きなきゃ、普通の人間は避けて通るよ」


 土いじりに精を出していたリンが、えっへんと自慢げに顔を出す。


「リン、イーリスはどうしていますか」


「今は落ち着いて、部屋でスープを飲んでもらってる。まだベッドから起きあがれるほどの元気はないみたい。ところで、そっちは誰?」


 顔を覗きこんでリンが尋ねる。ハーマンは柔らかい笑みで名乗った。


「僕はハーマン・アルツト。サンドピットで薬師をしているんだ。魔女様が体調を崩されたと聞いたんだけど……」


「ああ、そういうことね。う~ん……いいよ、君は信じてあげる。イーリスたちよりも少しだけ綺麗なオーラをしているもの」


 まさに森の管理者。会話するまでもなく、ハーマンの人間性を見分けて家の中に案内する。人間の病気などリンには専門外。善性を持った医者であれば問題ないだろう、と受け入れた。


 イーリスは二階のベッドで退屈そうに横になっていた。わきにあったテーブルには空になったスープの容器があり、食欲はあるようだとハーマンはホッとする。重大な病気でなければ運び出す必要もないと。


「戻りました、イーリス。お待たせしてすみません」


「おう、アタシは全然平気だよ。ちょっと体が熱っぽいだけだ。それより、後ろにいる奴……なんで連れてきたんだ?」


 あからさまに不機嫌になって、目を鋭く細めた。

 ハーマンが一歩前へ出て小さく頭を下げた。


「僕はサンドピットで薬師をしているハーマン・アルツトという者です。魔女様が体調不良だと聞いて診療を頼まれて参りました」


「ちげえよ。お前じゃなくて、お前らの後ろにいる奴だよ」


 全員が言われて振り返ったとき、そこに立っていた老人がニコッと微笑む。


「此処へ来るまで気付かないとは思わなかったよ。とても愉快だね、実に」


 マクシミリアンが杖を片手に、可笑しそうにユディットたちを見つめる。だが、周りは決して愉快などではない。ユディットに関しては、特に。


「そんな馬鹿な、私は確かに警戒していたはずなのに……!」

「あぁ、知っているとも。だが私の気配は分からなかったようだな」


 ニヤリと見下すマクシミリアンに返す言葉がない。唇をかんで、言葉をぐっと呑み込む。してやられた、と拳を握りしめた。


「あのよォ、爺さん。わざわざ隠れてるところへついてくる奴があるかよ。融通が利かないってよく言われるだろ」


「見つかったのが私で良かったと思ってほしいくらいだが?」


 大げさに肩を竦める。魔女も呆れたものだと、ため息を吐いた。


「他人を背負うと、これまでのようにいかないのは当然だろうに。それにしても、随分と弱った姿じゃないかね。実にみすぼらしくて可憐だな」


「軽口叩きやがって……。ユディット、お前の気持ちはありがたいが」


 頼る相手を間違えてるだろうと言おうとして、しょぼくれた顔に言葉が出ていかない。心底から不安だったのだ、と今回は大目に見た。


「まあ、仕方ねえか。お前の名前、マクシミリアン・ナハトマールだろ。裏じゃ通りの良い名前だった、いまさら思い出したよ」


「実に懐かしい名前だね。今はすっかり足を洗ったつもりだが」


 二人の会話にユディットがぎょっとして、マクシミリアンを見た。


「ナハトマールって、数十年前に世間を騒がせた暗殺者の名前では……!?」


 当時の第三騎士団が威信をかけて捜索したものの、最後まで足取りを掴めず、ある日を境にぱたりと情報が途絶えてしまった暗殺ギルドのマスター、マクシミリアン・ナハトマール。日頃からどこで何をしているのかすら掴めず、ふらりと現れては仕事を済ませて闇に消えることから『怪人』とまで呼ばれた男。外見の特徴さえ分からないために、とうとう捜索が断念された。というのが記録にある。


 ユディットも興味本位から調べたことのある事件で、最終的には容疑者のひとりとして名前が挙がったが、いずれも証拠を示すものはなく捕まえるには至らなかったとされている、数少ない未解決事件のひとつだ。


「だとしたら、れっきとした罪人ではありませんか……!」


「証拠がなければ突き出したところで無意味だよ。なにしろ私の身分を保証してくれる人間などいくらでもいる。むしろ君の方が不利になると思うが?」


 否定できない。ユディットは既にヴァルトシュタイン伯爵家の当主が騎士団の運営費横領に関わっていた事実があるとして断罪されている。彼女自身は加担しておらずとも、過去の未解決事件を掘り起こして『彼が犯人だ』と騒いでマクシミリアンが無罪にでもなれば、むしろ彼女こそ断罪される恐れがあるのだ。


『自分の身の可愛さに、父親を売ったに違いない』


 紛れもなく父親の不正を暴いたにも拘わらず、まるでいつか不正がばれるのを危惧して自分だけ助かろうとした娘、と見られかねなかった。


「まあ、安心したまえ。私は別に善良な人間を手に掛けたことはない。むしろ社会の癌になりかねないような連中ばかりが対象とされてきた。この血まみれの手を見て喜んだのは、なにも高名な貴族だけではないし、皇家も例外ではない」


 しかし、マクシミリアンは挑発的な笑みを浮かべて────。


「必要とあらば、その家族も皆殺したことはあるがね」

「貴様……!」


 今にも剣を抜きそうなユディットを見て、イーリスが手で顔を覆う。


「感情的になるなよ、爺さんの戯言だ。それに、お前じゃ勝てないだろ?」

「それはそうですが……!」


 今にも喉笛をかみ切らんばかりの勢いが、そっと服の裾を掴まれたことで鎮まっていく。ユディットの視線の先には、怯えるリンがいた。やめてと懇願するような潤んだ瞳で見上げ、小さく震えている。


「……すみません。頭を冷やしてきます」


 部屋から出ていくユディットをリンが追いかけていく。イーリスはまったくどうしたものかと、ベッドにどかっと横たわった。


「一言が余計なんだよ、爺さん。通りでアタシを知ってるわけだ、一度だけ会ったこともあるよな?」


「ハハ、殺そうとして死ななかったのは君くらいなものだよ。よく覚えていたね、私のような年寄りになると、大概のことは忘れがちになるものだから羨ましい」


 なんてゾッとする会話なんだと聞いていたハーマンが顔を青白くする。今やイーリスよりも体調が悪そうにさえ見えた。


「……おっと。早く診てあげたまえ、病人のために働くのだろう」

「マクシミリアンさん……。死なないですよね、僕?」

「君に殺すだけの価値があれば、とっくにここで喉を掻き切っているとも」


 笑えない冗談だ、とおぞましいものでも見たようにイーリスの傍へ逃げた。


「ハハハ、嫌われたものだ」

「お前がそうやってからかうからだろ。……で、どうする気なのか聞いても?」

「それは診察が終わった後に話そう。私も落ち着いて話がしたい」

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