第5話
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炭鉱の町の夜は視界が悪い。石炭燃料を主に使う町の景色はどこか見通しが悪く、月明りを頼りにするには心許なさを感じる。出歩くには不便で危うさの漂う夜。しかし、そんな日だからこそ外出する影がふたつあった。
「イーリス、こんな方法で本当に犯人が捕まるの?」
建物の陰に隠れて、イーリスはじっと待っていた。ユディットが声を掛けると、すぐそばにある玄関の傍らでこれみよがしに置かれたツルハシや安全靴を見ながら、警戒心をたっぷりに言った。
「聞いた話によりゃあ、奴さんは必ず見つけやすいところにある道具を壊してる。建物の裏だとか、物置の中に入れてあったものは壊されてない。そしてみんなが寝静まった時間じゃなきゃ現れないってことは、深夜の少ない睡眠時間を狙ってるはずだ。となりゃあ、深夜の二時から明け方の四時。……ほら、来たぞ」
暗闇に乗じて何者かの影を見つける。ユディットが耳元で尋ねた。
「どうします、捕まえますか?」
「いや、今は捕まえない。ここで捕まえたら商会も絡んでくる」
保護という観点から町中で捕まえるわけにはいかない。どの時間でも、何人かの商会の人間が出歩いているのだ。イーリスは自分たちの周囲だけ音を消して、問題が起きないよう慎重な行動を取った。
何者かが立ち去っても、すぐに飛び出さず、しばらく様子を窺って誰も来ないことを確かめてから、置いてあったツルハシの状態を確認する。
「イーリス。これは……枯れた蔓が巻き付いている……」
「厳密には巻き付いてから枯れたんだろうな」
「そんな馬鹿な。植物が急激に枯れるなんてことがありえるのか」
ひと晩で枯れるなら分かる。だが、犯人が去ってから一分ほどしか経っていない。イーリスが、その蔓に触れて、ジッと見つめながら。
「犯人は魔法に近いものを使ってる。だが魔法じゃない」
「つまり、魔女ではないことは確かなんだね?」
「ああ。心当たりはあるが、まあ、お前のために今は内緒だ」
口元に指を当ててウインクするイーリスに、ユディットはにこやかに頷く。
「わかったよ。じゃあ追いかけようか」
「こっちだ、ついてきてくれ。あれがどこまで行くかは分からんが」
片手を仰向けにすると、ふわりと渦巻いた煙の中から魔導書が現れた。イーリスがそれを広げたら、ぱちんと指を鳴らす。ページがぱらぱらとめくられ、薄紫に輝きを放つと、ゆっくりどこかへ続く道を辿り始めた。
「この先に犯人は必ずいる。どんな面してるか拝んでやろうぜ」
そうして意気揚々と追跡が始まった。ときどき商会の人間と会ったが、適当な会話をしてまだ見つかっていないふうを装って立ち去り、また輝きを辿った。しかし最初ほどの元気は徐々に失われていく。気づけば町を出て、まだ離れた場所に輝きは向かっている。いい加減にしてくれと二人はげんなりした。
「あっちの森まで続いてるな。あと十五分は歩くんじゃないか?」
「それは見えている距離だよ。この平原の先に辿り着いても、まだ森を歩くんでしょ。こんな夜更けでも随分と元気が有り余っているみたいだ」
ユディットはまだまだ歩けるといった顔だが、イーリスには疲れが見えている。明らかに遠いし、サンドピットへの復路も考えれば、森で過ごすのも視野だ。
「イーリス、野宿はしたことあるかな?」
「煤と埃でいっぱいのベッドならいくらでも」
「フフ、なら問題ないね。先を急ごうよ」
「元気いっぱいだな、お前も……」
文句を言いながらイーリスは前を歩くユディットを追う。輝きはさらに森の深くへ進んでいき、その光が濃くなっているのに気付き、そろそろ終わりが近いと分かった。ようやく表情にも少し明るさが戻る。
「こんな場所に隠れてるなんて、マジで冗談じゃない」
「ははは。これが山賊のアジトに繋がっていないことを祈ろうよ」
ユディットが騎士団に所属していた頃、何度か山賊の討伐任務に駆り出されたことがある。彼らは狡猾で獣のように森を知り尽くしており、巧みに仕掛けられた罠で貶めようとする。実際、数人の犠牲が出た。思い返すと悔しい戦いではあるが、得られるものも大きかった。以来、山賊の討伐はユディットにとって難しいものではなくなったが、彼らがいかに森では危険な存在かは熟知していた。
「もし山賊のアジトだったら、私が時間を稼ぐから君は黒山羊商会に駆け込むといい。あのご老人なら金を積めば────おや、あれは?」
二人を待っていたのは山賊のアジトとは程遠い、見る限りは小さなコテージだ。灯りは点いておらず、人の気配もないような静まり返りぶりだが、輝きは中へ続いた。
「……あ~、どうする? 無理やり入るか?」
「まずはノックだよ。相手を怖がらせてしまったら、追いかけっこになる」
「こんな場所で逃げられてたまるか。お前に任せるよ」
「任せてほしい。こういうときは、こちらも冷静にならないとね」
中からはなんの物音さえしない。息を殺しているのだろう、とユディットは警戒心を強くしないように、やんわりと扉をノックする。
「すみません。夜分遅くに失礼かとは存じますが、外は寒いので中に入れてもらえませんか。少し道に迷ってしまって、近くに町などあればいいのですが、よろしければ地図だけでも持っていれば貸していただけないでしょうか」
丁寧な尋ね方をすると、玄関が僅かに開く。返事はなかったが、明らかに窺いみるかのような強い視線を感じた。扉が開いたからといきなり話しかければ余計な刺激になる可能性もある。二人は黙って、声を掛けられるのを待つ。
「……人間がどうして、この森に?」
高い声が警戒心を露わにして尋ねる。ユディットは子供との距離を縮めるように優しく微笑みながら、見えない誰かに伝えた。
「私たちは道に迷っただけなんです。中に入れてくれなくても構いませんから、地図だけでも持っていたら貸してほしいのです。もし無理そうなら、朝まで軒先にいさせてください。そのあとですぐに立ち去りますから」
過度に近寄らない。むしろ距離を取った。敵意がないのだと分かると、中にいる誰かが扉を開けて、顔を覗かせた。月明かりの下に姿を晒したのは、年端もいかない少女に見える。およそ十二歳くらいだろうか、とユディットが驚く。
「えっと……君はここで何を……」
「ボクが此処に住んでるんだよ。それが何か問題でも?」
腰まである銀髪。透き通った薄緑の美しい瞳。白い柔肌に、最も目立つのは、その僅かに尖った耳だ。イーリスはそれを見るなり、ため息を吐く。
「やっぱエルフじゃねえか。お前だろ、採掘道具壊して回ってんの」
「……! ど、どうしてボクがやったって……!」
「見れば分かるだろ。そういう力が備わってるって聞いたけど?」
少女は驚いて、すぐさま目を細めてイーリスをじっと見つめる。それからまた口をあんぐり開けて驚いた。
「ま、ま、魔女……!?」
「正解。でも、お前みたいなちんちくりんは見たことないな」
「失礼だな! ボクはこれでも君より年上なんだぞ!」
敬えと言わんばかりの態度にイーリスが呆れながら、呆気に取られているユディットを肘で小突いて────。
「別に取って食いやしないから中に入れてくれないか。連れもいるんだ」
「……あぁ、そっちは普通の人間だね。いいよ、中に入って」
部屋の灯りがパッと点く。家の中は質素だが、とても広く、一人で暮らすにはいくらか大きすぎる気もする。ユディットがぐるりと中を見渡す。
「こんな別荘がメアリーウッドにあったなんて……。それにエルフとはいったい、なんのことなんだ? 私は御伽噺の国にでも来たのか?」
「んはは、ある意味間違ってねえな。本来、エルフに会えるのは魔女だけだ」
イーリスに同調して、少女が軽く頷く。
「ボクたちは森を司る種族だからね。キミたち普通の人間には見つけられないよ。……あ、そうだ。自己紹介がまだだったね」
少女は両手でふわっと髪を梳いて、薄緑の瞳に二人を映す。
「ボクの名前はリン。この森で二百年暮らしてるんだ」




