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イーリス・ブレンヒルトの自由で至福な最高の生き方  作者: 智慧砂猫
第一章 イーリス・ブレンヒルトと夢を抱く騎士

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エピローグ④

 ただ、ただ気長に待ってくれた。皇都を出て半年もの間、イーリスはいつだってユディットの優柔不断な性格を気遣った。決して急かしてはならない、彼女にはこれまで選択するということ自体が難しかったのだからと。


 多くの人が見れば、早く答えを出せばいいのにと思うところでも、必要以上に口を出さないどころか、まだ時間を掛けていいと優しく言った。それがユディットには申し訳ない気持ちでいっぱいにさせられた。


 自分に正直に生きると決めたのに、イーリスの傍にいたいのに、隣に立っていたいのに、まだ答えを出せないでいる。不老不死という未知は魅力的でもあり、ひたすらに恐ろしくも感じた。自分がおかしくなりそうで。


「(なんと情けないことだろう。私は確かにイーリスが好きだ。なのに、どうしてか前に進めない……。どちらにすべきなのかなんて、どう選べば?)」


 結局、その曇った気持ちのまま、言葉もろくに交わせず泊まる予定だった宿に着いた。部屋に案内されて、景色の良さにはしゃぐイーリスとは対照的にユディットの表情はちっとも晴れていなかった。


「おい、せっかくの観光で辛気臭い顔すんなよ」

「あっ……、すみません。どうしても、答えが出せなくて」


 ぎゅっと拳を握り、自分の弱さが嫌になって俯く。


「私は今まで誰かに従っていればいいのだと、自分の自由意志を捨ててきました。楽に生きられる道に逃げていたんです……。それが未だに抜けていない。選ぶべき道は自分で選ばなければならないのに、まだあなたに甘えている」


 皇都での出来事は間違いなく大きな進歩をもたらした。嵌められていた首輪を外して、繋がれていた人生から解放されたのだ。だが、その結果が、行き先を見失うことになった。分かっている。そうではいけない。なのに今もイーリスの後ろをついていくだけで、選ぶべき答えが目の前に迫ると、俯いて答えから目を逸らす。


 嫌なのだ。今を変えてしまうのが。今のままであってほしいと願っているのだ。心の底から。見知った友人の旅の手紙を受け取りながら、自分もまた誰かと共に生きている今を愛していた。いつか年老いる自分を想像すると、それも悪くないと思ってしまう。なのに、魔女の傍にはいたい。なんと身勝手な話か。


 時間の中に取り残されて、ただひとり生きていく孤独なイーリスの背中を見ておきながら、自分は当たり前のように過ごす。年老いていこうとする。それが狡くて、自分が嫌いになりそうだった。


「アタシは別に怒ったりしないよ」

「わかってます! あなたが優しいから、つい甘えて……!」

「孤独にはもう慣れた。お前の生きたいように生きろよ」


 いまさら誰かが年老いていくことに痛みは感じない。悲しんでも、寂しくても。それが魔女という存在だからと納得できる。零す涙は枯れ果てている。ユディットを助けたのは気まぐれで、自分に似ていたからだ。これから先をどう生きるかは彼女が決めることで、自分に決定権などないとイーリスは覚悟があった。


「旅に連れてきたのは、お前がそれを望んだからだ。アタシは望みを叶えてやった。けどそれに見返りを求めたりはしない。求める気もない。不満があるなら言っていいし、答えはいくらでも待つさ。たとえ老いぼれても、アタシが見捨てることはないよ。自由に決めな、ただの友人でも良いじゃないか」


 たったひとりの、たった一度の人生だ。それを壊す気はない。これまで歩くことだけを徹底的に躾けられてきた娘が、ようやく掴んだ自由。そこには紛れもない選択が存在していた。たとえ敵対してでも父親を裁くという選択が。家門を捨てるという道が。イーリスは唆したのではない。見せただけだ、可能性を。


 だから、どう選んでもいい。イーリスがユディットを傍に置き続けるのは未来を見届けるためで、独占欲ひとつで連れまわしているわけではない。


「確かにさ。アタシはお前が欲しくなったよ。皇都で初めてあったとき、必ずアタシのいる道へ連れて行こうって思った。でも、選択は人それぞれで、お前は確かに自分で重い一歩を踏み出したんだ。誰の言葉でもなく自分を信じて」


 テオボルドに逆らわない道もあった。選んだのは対立だ。

 家門の名誉を守る道もあった。選んだのは正義だ。

 父親を告発しない道もあった。選んだのは自分への思いやりだ。


「お前はもう、頑張りすぎてるくらい頑張ってる。半年間も傍に居続けたんだ。もう自由になっていいんだぞ、ユディット。アタシは────」


「それ以上を言わないでくれ、イーリス!」


 声を荒げたのに驚き、イーリスが目を丸くして固まった。ユディットは自分の腕をぎゅっと掴んで、ぽつりと。


「私は君が思うほど立派な人間じゃない。自分の気持ちは分かっているのに臆病で、卑怯で、とにかく狡い人間なんだ。苦痛の中を生きる君を見て、どれほど恐ろしいのだろうかと思って踏み出せないでいる……。でも、それではいけない」


 クラウスが騎士をやめてでも自分のために生きると決めたように。

 ハイデマリーが伴侶と共にある幸せを選び、貴族である道を捨てたように。

 ヴェルターが娘の幸せを願って、公爵家が朽ちていくのを受け入れたように。


「私も決めなくてはならないところまで来たんだ。毎日、毎日、悶々としてきた。君は私に優しくしてくれるから、いつも甘えて、問題を先延ばしにばかりして、きちんと向き合うべきことから逃げていたんだよ」


 愛していると胸の内で囁きながら、隣には立とうとしなかった。わが身可愛さに、魔女の優しさに。自分の生き方などとうに決まっているのに、本当にいいのかと自分に問いかけて何度も踏み止まった。意味もなく。


「……イーリス。私はきっと、このまま生きていれば後悔する。いつか歩けなくなって、君の手を握ることさえ難しいときが来たら、なぜもっと早く決断できなかったのかと泣き喚くだろう。だって、私には帰る場所なんてないんだから」


 目に浮かんだ涙をぐいっと拭って、ベッドに腰かけるイーリスの前に立つ。


「不老不死にしてほしい、イーリス。君と対等の立場で、対等の関係で。魔女と、その騎士であるという永遠の証が欲しい。永遠に守ると誓いを立てよう」


 決意のこもった瞳は微塵も揺らいでいない。まっすぐ見つめ合い、イーリスはただ、一度だけ静かに尋ねた。


「本当にそれでいいんだな?」


 仰向けにした手に、ふわりと紫煙が降りて本が現れた。魔女の傍に永遠にあろうとするのなら開く必要がある魔導書。開いた瞬間から不死の呪いに掛かり、完全な不老を手にするためのステップを踏まねばならない。


 引き返せる最後のチャンスだと示すも、ユディットの答えは変わらない。


「皇都にいる人たちは好きだ。彼らが老いて死んでいくのを見るのは辛いと思う。でも────あの場所で君と出会った。いつまでも変わらない君と」


 どれほど孤独であっても生きてきた人がいる。多くの人々の死を時代と共に見送ってきた人がいる。どこまでも心の弱い自分を助けてくれた人がいる。ユディット・ヴァルトシュタインが最も愛する人が、いる。


「永遠に変わらないのであれば、これまで身に刻まれた傷も多いはず。たとえそれを癒すことはできないとしても、せめてこれから増えないようにしたい。私では、その役目は不十分だろうか、イーリス。君の騎士になれないだろうか」


 ほんの少し、気弱になる。偉そうにカッコつけたところで、決意をイーリスが認めてくれなければ意味がない。むしろ恥を搔く。そんな不安を前に、魔導書はそっと差し出された。開け、と言わんばかりの視線と共に。


「……ありがとう」


 魔導書を受け取り、開こうとする手が緊張に震える。開けば人生は大きく変わる。二度と後戻りできない扉の向こうへ飛び込むようなものだ。それでも意を決して、ほんの幾度かの呼吸をしてから、勢いに任せて開く。


 バラバラと勝手に本が頁を捲り、薄く輝く紫煙がユディットを取り巻く。肉体的な変化はない。何かが変わったという感覚も。何も変わらない。普段通りの身体に、何を臆病になっていたのかと本を閉じた。


「これで終わったのか?」


「あぁ、紛れもなく呪いが掛かった。だけど、今のままだと普通の人間さ。年老いてやせ細り、触れるだけで折れる枝のような体になっても死ねないだけの」


 そう言ってユディットの胸倉を掴み、ぐいっと引き寄せて目を瞑り、深く口づけをする。呆気にとられる彼女の唇の感触を確かめながら────。


「高いぜ、魔女の口づけは」


 ユディットは顔を真っ赤にして自分の口を手で押さえ、イーリスから離れて自分のベッドに尻もちをつく。


「そ、そっ、そのっ! ひ、必要なことなのか、今のは!?」

「当たり前だろ。魔女の口づけが完全な不老不死へ至るための手順だよ」


 くひひ、と笑ってイーリスは真剣な眼差しを向けた。


「魔女の魔力があって、初めて不老不死は成立する。こいつは言うなればアタシと繋がるための契約だ。魔女との契約は不老不死を繋ぐための魔力を供給し続ける。ま、大した量でもないし、アタシに負担もない。気にすんなよ」


 おもむろに立ち上がり、イーリスがユディットをベッドに押し倒す。


「まあ、それでも高い買い物だってことは自覚しときな。アタシはこう見えて最初から魔力があるから、先代とは口づけも交わしちゃいない。────ファーストキスはお前だ、ってことだよ。分かるか?」


「えっと……! そ、そそ、それはつまり、あの、良かったのか!?」


 動揺するユディットを下に見て、イーリスがくすくすと可笑しがる。


「良いも悪いもねえだろ。必要だったからやった。それだけのことじゃねえか。それとも不満だったか、アタシの唇の味は」


 わざとらしくそう言って、すす、と手を腹から触れて胸へ流す。


「これから、お前はアタシと永遠を生きる。嫌だって言っても。それでも良かったんだろ。だったら、そうさな、特別だ」


 ゆっくり体を倒して重ね、真っ赤になって動揺する顔に触れる。もう一度だけ唇を重ね合わせ、温かく柔らかい感触をしっとり楽しんでから。


「不老不死になったばかりのときは、ちょっとの発熱と倦怠感がある。今ので、少しは楽になったろ。────これからよろしくな、ユディット」


 契約による魔力の流入が肉体への一時的な負担を及ぼす。イーリスはそれを再度の口づけによって加速化させ、瞬く間に馴染ませて体を楽にさせる。


 それでも、見事なまでに弄ばれたユディットは悔しそうにしながら。


「……うん。これからよろしく頼むよ、イーリス」

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