第21話
場が凍りつき、誰も言葉を発せない。ルッツでさえ娘からそのような言葉を聞くと思っておらず、笑みが引き攣って怒りを隠しきれなかった。
「な、んの、つもりだ?」
絞り出した声が震える。実の娘が行ったのは告発。愚かにも自ら破滅したテオボルドと同様に、ルッツもまた不正に手を染めていたと非難したのだ。冷静さなど保てるはずもなく、次第に怒りは表面化していく。
「お前は実の父親を告発したのか。あのテオボルドのような愚か者と同じだと、今、私にそう言ったのか! 場を弁えることも忘れて!」
いつもなら怒鳴れて萎縮し、言われるがままに反省してきた。その人生のなんと馬鹿げたことだろう、とユディットは恐怖心を感じなかった。それどころか、あまりにもちっぽな存在ではないかと見下しすらしていた。
「弁えるとは不正を知りながら黙することだと私に言うのですか、お父様。陰に隠れて尻尾切りをして、我が子の貢献を掠め取り、私が育てたと偉そうに威張って笑顔を振りまくのが、場を弁えているとでも?」
頬に鋭い平手打ちをされる。怒りに狂いそうな父親を見て、ユディットはビクともせずに堂々と鼻で笑ってみせた。
「ここまで言われて、まだ暴力の支配が通ずるとお思いのようだ。あなたを父と仰いでいた私が馬鹿馬鹿しく見えてくる。こちらこそ聞きましょう。────なんのつもりだ、いつまで父親を演じている?」
「貴様……! 放っておけばいつまでもしゃべりおって、恥晒しが!」
ルッツは周囲から浴びる視線に苛立ちながらユディットを責めた。
「ヴァルトシュタインが不正を行っていたなど、ありもしない話だ。その証拠はどこにある、言ってみろ! これまで面倒を見てやった恩も忘れたか!?」
「面倒を見てやったとは大げさな。従わせていたの間違いだろう」
親子喧嘩の様子を見ていたヴェルターが、そこで割って入った。
「ルッツ、言っておくが証拠は存在している」
「……は? 馬鹿な、私が不正をするとでも? 由緒正しきヴァルトシュタインが、そのような不正に手を染めたと本気で言うつもりか、エーバーハルト!」
証拠などあるはずがない、とルッツは高をくくっている。テオボルドが如何に自身の悪事の証拠を残していたとしても、自分に関するものが残るはずはないと信じて疑わない。自分にまつわるものは処分してきた。処分させてきた。
そう、処分を他人任せにしたことがあった。それが問題だった。
「お前がどう言おうと現実は揺るがない。魔女とユディット卿によって押収した帳簿は、ヴァルトシュタインが第二騎士団長を務めるようになった頃からの記録だ。欠けはひとつもない。────お前、テオボルドを本気で信じていたのか?」
途端にルッツは状況が悪くなったと確信する。帳簿の処理を任せていたはずのテオボルドが、いつまでも隠し持っていたのだ。いざというときの保身のために、ルッツを盾に使うことを考えて。悪事を暴くヴォイルシュ子爵という理想を描きながら、目前にして船を沈めた。ルッツという狡猾な男を道連れに。
どれだけ言い訳をしても、第三騎士団の調査が入るかぎり、逃れることはできない。ルッツの重ねた罪は必ず暴かれる。長く騎士団長を務めた経験豊富な男は、自らが慎重に行ってきた不正の証拠を、ずさんにも裏切者に託したから。
「余は、少しばかりそなたらを甘やかしすぎたようだな」
国のために全てを捧げてきた。ヴァルトシュタインやヴォイルシュと言った名の知れた家門であれば、そう信じるのは当然だと皇帝は、かつての己を恥じ入るように、怒りを堪えた声で呟いた。
「な、なにを仰います、皇帝陛下……! 確かに、多少の失態はありました、認めましょう! ですが、それは些事にすぎません。横領のつもりはなく、当時の第二騎士団を牽引するには我が家門をおいて他にありませんでした。それゆえに、あの頃、傾いたヴァルトシュタインを保つためには必要な────」
「それ以上を囀るな、ルッツ。階級に甘えるだけの無能が何を語る?」
皇帝の静かな一言は何よりも重く、その口を閉じさせた。
「この者を地下牢へ収監しておけ。処分は追って伝える。今宵は余の生誕祭、その最終日だ。このような形で締めくくるのは不本意ではあるが、他の者たちにも当然、明日はやってくる。今は皆、部屋に戻ってよく休むように。────ヴェルター、魔女イーリス、騎士ユディット。そなたらは話があるゆえ残ってほしい」
反対する者は誰もいない。静かに皆が退場していき、ルッツだけは必死に弁明を叫び続けていたが、ジーモンが耳を貸すことはなかった。ただ失望の眼差しをして、連行されるルッツの悲痛な叫びが聞こえなくなるまでをジッと待った。
現場が片付くとジーモンは部屋の隅にあった椅子に腰かけて、大きなため息を吐く。自分の本来座るべき、高い位置にある椅子を眺めながら。
「余の治世は多くの人々の信頼を勝ち得るために積み重ねてきたものだ。それがなにゆえ、こうなってしまったのか……。いや、憂いても仕方あるまい。過ちを正せば、民もそれに納得はしよう」
背負ったものは巨大で、決して俯いたり膝を突くことを許さない。皇帝という重責に立ち向かうジーモンの姿は、正しく在ろうとする皇帝らしさがある。それでも表情に明るさはなく、信じていた二人の人間に裏切られたことがショックだったのは、まるで隠せない。できれば夢であれとすら願った顔だ。
「お前はよくやってるよ、ジーモン。アタシたちには代われないくらい立派だ。気にするこたぁない。この国の人間がどれだけお前を支持してるかはアタシが知ってる。真摯に国民と向き合ってるのなんて、過去を見てもお前だけだ」
イーリスに褒められると、ジーモンは顔を洗うように摩って、僅かな笑みを零す。こんな状況でも自分には明確な心強い味方がいると前を向けた。
「そなたに褒められると自信が湧く。旧き友よ、動いた理由はどうあれ、余もまたそなたに救われた。ユディット、そなたも含めて何か褒美を出そう」
重苦しい雰囲気に、ヴェルターが口を挟んで笑いを誘う。
「俺にはないのですか、皇帝陛下? これでもそこそこに努力はしましたが」
「ホッホッ、相変わらず抜け目のない。その愉快さを知る者は少ないだろうな」
「ご冗談を。俺はそこまで冷たい人間ではないつもりですが」
「ふふ、では後ほど聞こう。まずはユディットからだ」
ジーモンから問われたユディットは、向けられた期待の眼差しに対して申し訳なく思いながら────。
「此度の件はヴァルトシュタイン伯爵家の失態です。皇国の法に従えば、私は家門の人間として、その責任を部分的に担うこととなりましょう。褒美などは受け取れません。この身の忠誠は国に捧げておりますので」
たとえ騎士をやめることになるとしても。腕を落とせと言われてもユディットは従う気でいる。それが貴族、ヴァルトシュタイン伯爵家の名を背負う令嬢として受けるべき罰。薄汚れた名を雪ぐための儀式。国のために生きる以上は避けて通れない道だと、彼女の強い騎士としての信仰は揺らがない。
「ふむ……。残念だが仕方あるまい。いずれにしても、そなたを騎士団の人間として迎え続けるのは反発も多く難しいだろう。であれば然るべき処遇は明日に伝える。今日はイーリスの護衛を続けなさい」
「は、皇帝陛下の仰せの通りに」
ユディットは、ただ粛々と現実を受け止める。父親の失態は個人で雪げるものではない。自分もまたヴァルトシュタインの人間として宿命を背負うべきだ、と。
イーリスも、その考えが分かっていても口を出さなかった。ユディットと話し合う時間は欲しいと思いつつも、明確に今ではないと判断して。
「んじゃあ、アタシは部屋に戻るよ。ユディット、道案内」
「はい、お任せください!」




