第11話
「私の大切な同僚たちです。皆、イーリス様に会いたがっていました」
開かれた扉の向こうで、訓練に汗水流す男たちの姿が目に飛び込む。よく鍛えられた肉体の美しさはイーリスも内心に讃える。彼らは真に騎士なのだと。
突然の来訪者に彼らは言葉が出てこない。嬉しさのあまりに、そんなまさか、と自分たちの訓練場に魔女がやってきたのを信じられない。魔女は皇帝によりも立場が強いという噂すら流れるほどの大物だ。貴族出身が多いとはいえ、騎士を務める者たちにとっては雲の上の存在。すぐに皆が集まった。
「本当に、あの会場にいた魔女様が?」
「こんなむさ苦しいところへ来ていただけて光栄です!」
「ぜひとも我々とも仲良くして下さいませんか!?」
詰め寄った騎士たちからイーリスを守り、ユディットがぎろりと睨む。
「気持ちは分かりますが、無礼は良くありませんよ。きっちり距離感は守って下さらないと困ります。それでも国に忠誠を誓った騎士ですか」
すると、喧嘩が始まった。魔女を独り占めするなと騎士たちは大騒ぎだ。護衛を務める以上は引き下がる気はないとユディットも応戦する。流石にこれは困ったな、とイーリスも苦笑いを浮かべて後退った。
「おや、これは楽しそうですね。私も混ぜて頂けますか?」
どかっとイーリスがぶつかって振り返ると、クラウスが明らかに笑顔の裏に怒りを隠して騎士たちを一瞥する。もちろん、ユディットにも視線は向けられた。
「第一騎士団所属の者が、訓練も忘れて魔女様に恋でもしましたか。実に愉快ですね、私の伝えた通りのメニューでは暇を持て余すようだ」
全員が一瞬で黙り込み、息を呑んだ。クラウスは物腰の柔らかい男ではあるが、それは誰に対しても柔和な印象を与えて、コミュニケーションの複雑さを解消するためだ。無駄なことに腹を立てずに済むし嫌な気持ちになりにくい。常に明るく誰に対しても柔和に接する優男を演じている。
だが騎士団内では違う。貴族の前で見せる団長という建前ではなく、クラウスという部下を担う者としての責務を全うする厳格な男だ。彼らに対しては話し方こそ穏やかでも、感情や言動はそれなりに素を晒す。
ゆえに皆はこう思う。『クラウス団長に対する信頼は絶対的なものだが、彼ほど怖いと思える人間もそういないだろう』と。それは第一騎士団の者たちが絞り出した、精いっぱいの褒め言葉でもあった。
「昨日の今日で疲れた顔してんな、クラウス」
「えぇ、それはもう。イーリス様こそ寝酒を飲み過ぎたのでは」
「……もしかして顔に出てる?」
「頭が痛いと顔に書いてありますよ。甘いぶどう酒の匂いもします」
見透かされてイーリスは頭を抱えたくなった。
「まったく鋭い……。にしても此処は愉快な連中ばかりだな。せっかく挨拶に来たんだ、そう怒ってやるなよ。子犬みたいに怯えちまってる」
クラウスが来ると空気が凍り付くのはいつものことだ。ちょっとしたことで軽い言い争いになるだけで、二週間は地獄のような特訓メニューに悲鳴をあげさせられた。今日ばかりは助けてくれと魔女に懇願する視線が集中する。
「……はあ。彼らを甘やかすのは好きではないのですが、イーリス様の頼みとあらば仕方ありません。今日だけは訓練はナシに致しましょう」
想像もしなかったクラウスの許可に、騎士たちは歓声をあげた。ほとんど休暇のない彼らにとって、訓練がないというだけで幸せな一日なのだ。
「それではユディット。私は副団長と巡回に出てくるので、イーリス様のことを頼みます。あまり長く待たせていると怒られてしまいますから」
「はい! お任せください!」
クラウスが去ったあとの訓練場はお祭りムードだ。イーリスも気を良くして、くだらない話から自分の見てきたものを語り、楽し気に過ごす。
しかし、不穏な空気が訓練場へ流れ込んできて静けさが戻った。
「おやおや。耳障りな騒ぎが聞こえると思ったら、野良犬混じりの第一騎士団の方々ではないか。なんとも薄汚いゴミのような臭いがする」
現れたのは通りすがりの第二騎士団。テオボルド・ヴォイルシュ子爵と、数名の取り巻きだ。実際は魔女の話を聞きつけて、顔を出したのだが。
今にも喧嘩が始まりそうな一触即発の空気に、イーリスが首を突っ込む。
「よう、チョロヒゲ。相変わらず憎たらしい顔してるな」
「……魔女殿は相変わらず無礼極まりないですな。それがまた良いのですが」
品定めするような目線の動きにイーリスはふんと鼻を鳴らす。
「口には気を付けた方がいいな、子爵。家門の名に価値はあっても、お前自体には大した価値なんざないってことを忘れるなよ」
「私は魔女殿と仲良くしたいのですが。そこな騎士たちの肩を持つ気ですか? 飼い主に尻尾を振る程度しか能のない連中は頭が悪い。関わっては損ですぞ」
テオボルドが自慢のヒゲを指でつまんで優しく撫でた。明らかな嘲笑は、イーリスではなく背後にいる第一騎士団の面々に向けられた。
それから、彼はイーリスではなく隣に立つユディットに言葉をぶつける。
「お前も何をやっておるのだ、ユディット。なぜ魔女殿に斯様な騎士団の訓練場など案内する。婚約者たる私が第二訓練場にいるのを分かっていながら、先に紹介するのが常識だろう。醜女の分際で夫を立てることもできぬのか? 親愛なるヴァルトシュタイン卿のために、わざわざ嫁にもらってやったのに!」
まさに模範的な貴族らしい男。乾いた笑いが出てしまいそうになるのを抑えて、イーリスがかみついてやろうかと口を開けると、ユディットが手で制した。
「わたくしを尊重しない人間のために、何を働けと仰っているのです?」
「なっ……! お前、誰に口を利いているのか、わかっているのか!?」
横柄な態度は今に始まったことではない。第一騎士団の面々は、度々テオボルドたちとの衝突があったが、皆が大事にはしなかった。今もユディットを庇おうと誰かが口を挟もうとすると、別の誰かが止めてしまう。
ヴァルトシュタイン伯爵家を筆頭に後ろ盾の多いテオボルドたちの横暴を止められる者はおらず、同調圧力に屈するしかなかった。皇帝であるジーモンでさえヴァルトシュタインやヴォイルシュを始めとする高名な貴族を、おいそれと罰することはできずに野放しだ。歯がゆい現実には誰もが怒りを覚えた。
しかし今日は違った。いつもならば俯いて受け入れるばかりだったユディット自身が、テオボルドを見下して、詰め寄られても冷静なままでいた。
「誰に口を利いているかですって? その小さな背丈では私が話している相手が誰かも分からないらしいですね。私の顔が見えないのですか?」
「──────!」
声にならない怒りが沸々と湧きあがり、テオボルドは腰の剣に手を掛けた。小柄であることが酷くコンプレックスな男が青筋を立てたのに、取り巻きでさえ表情を強張らせて数歩下がってしまうほどだ。
ユディットはそれでも続けた。淡々と、紙を破くような軽さで。
「あぁ……そういえば背丈のことは随分と気にしておられましたね。失念しておりました、これは申し訳ありません。でも────髭を立派にした程度では大きくは見えなくてよ、テオボルド?」
背筋がひやりとする強烈な侮辱にはほとんどが口を閉ざす。もちろん、テオボルド自身も、あまりの言動にどう返していいのか分からないほど怒り心頭だった。幸いにも剣を抜くことには理性が働いたが、かといって許せる言葉ではない。
「ぬぐぐ……この……! 生意気な小娘が……!」
「は~い、どうどう。もういいだろ、喧嘩はここまでだ」
流石にヒートアップしすぎだとイーリスが割って入った。下手をすれば互いに剣を抜きかねない。そのまま大乱闘になって巻き込まれたくはなかった。
「イタズラに挑発しすぎだ、ユディット。それにテオボルド、お前もレディの扱い方くらいは考えた方がいい。でなきゃ次は軽い火傷で済まなくなるぞ」
魔女の介入があっては、テオボルドも強く出られない。相手は皇帝でさえ敬う相手だ。いくら敬虔な信徒であっても、魔女に対する攻撃的な態度を叛逆だと言われでもしたら立場が危うくなってしまう。仕方なく引くしかなかった。
「良いだろう、この場はこちらが引くとしよう。この件についてはヴァルトシュタイン卿の耳にも入れておかねばなるまい。躾のなっていない小娘が立場も弁えずに咬みついて来たとな。……せいぜい、今のうちに態度の改め方を覚えることだ」




