第10話
◇◇◇
イーリスは床の上で目を覚ます。昨晩にぶどう酒を飲み過ぎたせいか、頭はやんわりと痛みを訴える。馬鹿な夜を過ごしたと自分に呆れた。
「痛い……。クソッ、何で床で寝てたんだ」
縛っていた髪も解け、ドレスは着たままなせいで目立たないが汚れている。履き慣れていないヒールはかかとが折れて使い物にならない。借り物だというのに滅茶苦茶になっているのを見て、うんざりする。
「確か昨晩は……ユディットと話した後……」
酒を飲んだ。扉の前で待機していたメイドにぶどう酒とつまみを用意させて、ユディットと二人で楽しく過ごしたのだ。記憶は薄いが間違いない。その証拠に一緒に飲んでいた騎士は護衛の任を忘れそうになりながら、扉の前で酒の瓶を抱きかかえて、立ったまま心地よさそうに眠っているのだから笑ってしまった。
「おい、どこで寝てるんだ。風邪引くぞ」
「……はっ。なぜ私の寝室にイーリス様が?」
「誰の寝室だ。もう朝だよ、此処はアタシの部屋だ」
「……? あっ、本当だ。私の部屋じゃない」
「いまで寝惚けてるんだ。引っ叩かれたいのか」
目を覚ましたからか、徐々に覚醒し始める。目の前にうすぼんやりと見えていたイーリスの輪郭がクッキリすると、ユディットは状況を理解して抱えていた瓶を床に捨て、顔面を青白くさせながら天井を仰ぐ。
「ち、ちちち、違うんです。言い訳とかさせて下さい」
「いや、違わないだろ。お前は瓶を抱えてアタシの部屋で寝てた」
護衛の任務も忘れてとは言わないが、目が嗤っている。
「なんていうかホラ、あれです。イーリス様も悪いんですよ。だって『たまにはやけ酒でもしたらいい』なんて私を誘惑するから……」
「それと任務放棄は話が違うだろ」
ぐさりと言葉が突き刺さってユディットは口を噤む。
「まあそれはいいんだよ。今日のスケジュール、そっちの管理だろ」
「あ……。そういえば、そのように頼まれていたそうですね」
「自分が来たくて来たわけじゃないから、やりたい事がなくてな」
初日だけは旅の疲れを癒すために好きに動くが、その後は違う。観光をするにも見飽きた都市を歩く気にはならない。かといって部屋の中に閉じこもって二日目の祝宴を待つ気もない。ならば一日のスケジュール管理は任せてしまった方が気が楽だ。その役割は護衛としての任に就く者と決まっている。
「すみません、少しお待ちください」
懐にしまっていた手帳を取り、片手にぱっと開く。
「では騎士たちに挨拶に行きましょう。祝宴に参加される貴族の方々はイーリス様と話す機会もありますが、多くの騎士たちも魔女と言葉を交わすことを楽しみにされています。……第二騎士団はおススメしませんが」
ユディットの婚約者であり、第二騎士団の団長を務めるヴォイルシュ子爵率いる騎士たちは、第一騎士団とは違って良くも悪くも貴族らしい貴族たちの集まりだ。鍛錬よりも喋っている時間の方がはるかに長い。第一騎士団を『忠犬』と呼んで嗤う姿に、ユディットは心底から彼らを毛嫌いしている。
「じゃあ、お前たちの騎士団だけに挨拶しておくよ。クラウスとお前の同僚たちならアタシが腹を立てることもないだろ?」
「……! で、でしたらぜひ! みんなも喜びます!」
嬉しそうに顔を明るくするユディットに、イーリスは仕方ない奴だと笑顔がわんやり浮かぶ。クラウスが誇りに思い、ユディットが愛する騎士団がどのようなものかは一目見てみたかった。丁度良い提案だ、とすぐに着替えようとする。
「ユディット、着替え手伝ってくれ」
「はい。それでは少々失礼致しますね」
騎士の身ではあるが、そこは伯爵令嬢だ。必要に応じてドレスを着ることもあり、制服から離れることはほとんどなかったが、それでも十分に手慣れていた。イーリスの肌に触れるのも抵抗がない。
「美しい身体ですね。穢れを知らない子供のようです」
「だろ。十六だったか、それくらいから時間が止まってる」
「……嫌ではなかったのですか?」
イーリスは不思議そうに姿見の前で自分を見ながら首を傾げた。
「何が?」
魔女であることに忌避感はない。歳を重ねないのは歪だと認知しているが、魔女ならば普通だと気にも留めてこなかった。初めての疑問が理解できない。
「先代の魔女様や、貧民街にいた頃の友人。町で出会う人々は皆が時間の中に生きています。その全ての人たちが、あなたを置いていく」
目の前に映る美しいものは決して優れたものではない。その代償として、自分だけが世界に取り残されてしまう。ユディットはそれが、とても寂しく思えた。
「どうかねえ。もう慣れちまったよ。百年なんてのはあっという間で、顔なじみなんてのはもういないけど、こうやってまた誰かと縁が繋がるのは嫌いじゃない。アタシは生きてるんだって実感できる」
いつものゴシックな雰囲気のある先鋭的な服に着替えたら、満足そうに鏡を見つめる。変わらない自分。まっすぐな自分。嫌いじゃなかった。
「不老不死の呪いなんて、良くも悪くもそれだけだ。おかげで懐事情は贅沢三昧。こうやって特別待遇で迎えられる。長生きすればするほど時代に翻弄されたりもするが、そういう苦労は嫌いじゃない」
イーリスはバシッとユディットの肩を叩く。
「分かったら辛気臭い顔するなよ。他人の未来より自分の今を考えろ」
「……はい。でも、せめて私がいる間は、イーリス様が寂しくければいいなと思います。私たち、もう友達だと思ってもいいんですよね?」
たくさん助けてもらったのに返すものがない。だからせめて、どこか孤独に見えるイーリスの側に少しでもいられたらという思いが湧いた。魔女にとっての数ある縁のひとつにすぎないとしても。
「お前ほどアタシを気に掛ける奴も珍しいな。大体の奴は助けてもらって『ハイ、おしまい』って感じなんだが、どうも調子が狂うよ」
魔女は利用してしかるべき存在。あるいは世の中を狂わせる邪悪な存在。いずれにしてもイーリスにとっては喜べるものではない。町の人々が笑いかけてくれるのも、魔女が国を支えていると信じるからだ。その力を誰のためにも使わなければ、敵対こそしないまでも、どれだけの非難を浴びるかは想像に難くない。
だがユディットは違う。護衛という任務を通じて魔女の人となりを知り、心の中でひっそり息をする優しさを見ている。明るさの裏側にある孤独を感じ取っている。なぜ魔女が自分を助けたのかも、なんとなく察していた。
「余計に欲しくなるじゃないか」
ぽつりと呟いて、部屋を出る。ユディットは黙って後を追った。
「騎士団は訓練場があるんだろ、案内しろ」
「はい。第一訓練場がありますので、そちらに」
半歩前へ出てユディットが歩く。女性にしては鍛えられた身体。伯爵令嬢と呼ぶには懐疑的に思うのも無理はない。ヴォイルシュ子爵が揶揄したのは許せないが、かといって全否定できるほどでもない。華奢で可憐な女性が好まれる皇国では、彼女のように鍛えた身体は好まれないのだから。
「嫌な時代だよな。お前みたいな可愛い奴が好まれないなんて」
「はい? どうしたんです、お酒を飲み過ぎましたか?」
「飲み過ぎたのは間違ってない。いや、ただ悪い時代だなって」
「団長やイーリス様のように私を否定しない方々がいれば十分です」
信じるべき相手が自然と見えてくるのは気が楽でいい。ユディットは自分の敵が誰であるかが分かれば、対応の取り方も簡単に切り替えられた。特に父親へ反抗した今ならば、聞き流して気にも留めないと自信があった。
「なので、ぜひ。その信頼できる方々をご紹介させてください」
訓練場への武骨な二枚扉の前で、ユディットは瞳を強く輝かせて言った。




