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騎士の私が大公の娘を演じてモンゴルと婚姻交渉に行ったら、暗殺事件に巻き込まれて国ごと包囲された ~La Storia:三川光の「春秋Annales」~  作者: 三川光
文治十六年、金帳汗国の役

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14/24

9.同十三日、皇帝はシュヴァーベンに戻る。10.同二十一日、官軍はケルン主教を破る。

 翌日の早朝はどうにも気分が悪く、呼吸も重苦しかった。金帳から逃げ出した後、一日まったく眠れなかったせいか、鎧のせいで体力を使いすぎたのか。城内の林檎を少し持ち出して、城下町の色鮮やかな木造の屋根裏を見上げ、吐き気を堪えながら出発した。


 城門から白い石の道を歩いたが、重心があちこちにふらつき、何度も転びかけた。町の人たちから心配の声をかけられても、「ご安心を、私は大丈夫です」と返すだけだった。ようやく辛うじて厩に入ると、鮮やかな黒い毛の惣菜が見えた。昨日はあんなに重い私を乗せてくれたのだ。感謝の気持ちを込めて林檎を差し出した。嬉しそうに食べ終えた惣菜が顔を上げ、城外へ連れて行ってくれないかと尋ねるような目をしていたが、腹が痛すぎて鬣(たてがみ)を撫でるのが精一杯だった。惣菜は私の顔を舐めて、行かないでくれと言いたげな目を向けるが、さすがに用事があるからやむを得ず城に帰る。


 そもそも何の用事かといえば、褒賞(ほうしょう)の恩賜(おんし)と戦の再評価という重大なことなのだが、体が言うことを聞かない。


 石の階段を上り、手を螺旋階段の白樺の手すりに触れると、ますます気持ちが悪くなった。三階に入るとようやく我慢できなくなり、手を腹に当てて痛みをできるだけ減らそうとしたが、まったくだめだった。


 その時、一瞬だけ意識を失ってしまった。




 しばらくすると目が覚めて、クレータがすでに傍にいた。私を座らせ、厳しい目で見ている。隣にもう一人、白い緩やかなやや短めのブリオーの裾が広がっていた。見上げると、口をわずかに開けて、何か言いたげなティルーンだった。


「三川閣下……」ティルーンがようやく、聞こえないほど弱く震えた声を発した。


「無理しないで、貴方様。」クレータが起き上がろうとする私を押さえた。


 ティルーンも手のひらを私の額に当てた。


「三川閣下、もしお辛いのなら、一旦休まれても構いません。」


 ちょうど話しているとき、下から声がゆっくりと上がってきた。


「なに、ミラノの領主様。素晴らしい戦いではありませんか。」


 私たちは凍りつく。この声の主は……


「いやいや。兄貴が、ストーリアの銀で、かの憎いフィリップを打ち破れたと言いましたから……」


 間違いない、ジェノヴァのレオとミラノのヤコポだ。ヤコポは謙虚に続ける。


「むしろ、大公様の指揮が天才すぎるんでしょう。」


 レオが「はっは」と控えめに笑い、満足げに続けた。


「また、あの三川君の情報も随分重要ですね。でも、やはり手柄といえば……」


 階段を登る足音がしている。レオは少し興奮して、続けた。


「そういえば、手柄を分けたらどうだい。あの美男子騎士の情けを……」


 ヤコポの苦笑が聞こえた。「騎士道に合わない話でしょう、これは。」


 この話を聞くと、私は無理やり立ち上がった。ちょうどその二人と目が合う。


「あ、これは……」レオはびっくりして顔を上げ、この階段塔の上を見上げた。


「え? あっ……」ヤコポも察した。


「おはようございます。」私は軽く頭を下げて礼をした。二人は慌てて返礼し、侍女二人の視線を確かめてから、もう一度私の顔を確認した。そして恐らく私が不機嫌であろうと勝手に勘違いして、なにか申し訳なさそうに黙って登っていった。一応、勘違いでもないのだが。




 この二人を見送ると、私は辛うじて階段を登り始めた。


「閣下! 体調は……」


 私はティルーンに微笑んで、首を振った。


「他人に見くびられるより、体調がなんだというのか。」


 仕方ない。ティルーンとクレータが私の腕を取り、介助というよりほとんど搬送する格好で運んでくれた。


 ようやく謁見の間に入ると、さっき見かけた二人だけではなく、マルコとドーリアもいる。ということは自分が最後だ。


「三川閣下、なんだか顔色が……」マルコが不意に呟いた。


 そんなこと、知らないわけがないだろう。


 ラファエッロも元気がなさそうだが、普段の彼と変わらないだろう。


 ゆっくりと席に着くと、ティルーンは殿下の元へ行く。暫くして殿下が入ると、不思議な顔でまず一度見回してから、すぐに私を見つめた。


「光。無理しないで。」そう軽く言った。私は感激しつつ、礼をしたまま動かなかった。戻らぬ意思を見て取ると、殿下は静かにうなずいて席についた。私は机の隣の書記の席に座った。


 そして今回の一番槍と手柄第一を宣告し、それぞれの褒賞を下し、私がその領収書を書いた。レオとヤコポが視線を交わした。やがて、あのような情けを求めず、聞かなかったことにしたようだった。


 すると殿下が文書を一つ取り出して、私に渡した。


「マジャール人からの脅迫状です。読みなさい。」


 紅木の机の上に倒れ伏しそうだったところ、この一言であやうく失いかけた意識を取り戻した。


「殿下の元に届く。貴国は、モンゴルの軍に脅迫されて、存亡の危機に陥ったことが知られている。」


「我が国がキリスト信者の兄弟たちを保護するため、やむを得ず貴国の西の村十カ所と町五ヶ所を保護の元に置いた。」


「そなたが援軍がほしいのなら、銀貨百万を持参して、我が国の元へ運んでほしい。」


「ハンガリー人の王 イムレ」


 読み終えると、冷笑が聞こえた。私は嘆息して、紙を机の上に置いた。


「こんな無礼の極みの書状を見るのは初めてです。」


 レオがまた鼻で笑った。「そうですね。このようなつまらない話は、ただの火事場泥棒でしょう。」


「燃やしましょう。」ラファエッロが続けると、全員が不思議な顔でこのジェノヴァ商人を見つめた。


「なんだい。正論を認めるのと、スピノーラ(レオとかいう)のガキを認めるのは別の話だぞ。」


 ヤコポが笑って、雰囲気を和らげようとした。「ドーリアさんがそんなに素直になるとは珍しいな。」


 ドーリアは腕を組んで、顔を紅木の天井に向けた。ヤコポが続けた。


「それはそれとして、ハンガリーのような大国からの書状だぞ。どうすればいいのか。」


 マルコは両手を広げた。


「モンゴルを打ち破ればいいのさ。」


 ドーリアが横から突然口を開き、マルコがびっくりした。


「そう簡単なことじゃないぞ。ピュロスの勝利って聞いていなかったか、マルコ殿。」


 マルコが気まずそうに髭を触った。私は目の前の黄色の真鍮の燭台、その上の短くなった浅黄の蝋燭をじっと見ていた。揺れる黄色の炎がなんとも不穏に感じられるが、さほどの熱は伝わってこない。


 レオが手で鬢の髪を少し触り、微笑みながら話した。


「間違いない。モンゴルを破れたら、ハンガリー王国も撤退するでしょう。」


 今度は不思議な視線が、身だしなみの整った、華麗な紅色の外着を纏うこの若者に向けられた。


「いや、なんだい。これは正論でしょう。」レオはびっくりして話を止めた。殿下は笑って、声をかけた。


「いいですよ、別に。理由を述べてごらんなさい。」


「まずは背景ですが……先日、業務上の関係でハンガリーの状況を調べたのですが……」レオは指を折り、視線を宙に向けて数え始めた。


「一、イムレ王はバルカン西部の所領を持つ弟アンドラーシュと対峙しており、他国の所領を侵攻する余力がない。しかもカルパチア山脈の東側にまでは。」


「うん。」と、ラファエッロがうなずいた。皆がようやく慣れたように、できるだけ視線を動かさないようにしているが、ドーリア本人はまったく気にしていない。


 レオが次を数えた。


「一、そのつもりだったら、モンゴルの侵攻と貴国の常備軍が整う前に行うべきだ。しかもヴェネツィアとは第四回十字軍のせいで断交している今、我々とはできるだけ戦闘を回避すべきだ。」


 マルコと私はうなずいた。レオは元気を取り戻しかけた私に気づいて、胸を張って続けた。


「うん! それに、一、又聞きだが、イムレ王の体調が優れないため、ハンガリー王国の貴族たちが継承戦争に備えるため、もしくは私利のために、勝手に動いている様子がちらほら見受けられますね。」


 殿下がうなずいた。「なるほど。――さすがはジェノヴァの執政官一族ですね。理路整然なだけではなく、私の考えともほぼ一致です。」


 そして殿下が私の手から書状を取り、皆にもう一度見せた。


「さっきから気になるのですが、この文書には印章もないし……しかもこの国章は……」


「あっ。そうだな、これは……」ミラノのヤコポが声を上げた。


「え? 失礼、cosa……」マルコが興味津々に問いかけた。


「ああ、これは……」ヤコポが指で横線を宙に引いた。


 私が文書を取り戻し、無気力ながらも続けた。「数ヶ月前、ハンガリー王はセルビア王国へ侵攻し、セルビア王と名乗りましたが、ここでは……」


 ヤコポが大声で話を遮った。


「そうだそうだ。セルビア王と自称するため、縞模様の部分が入っているはずだが、ここにはなさそうだ。あり得ないだろう。」


「ほう……また偽文書ですか……」マルコが笑って、手を頭に当てた。


「どこかの貴族からの偽文書だから、無視しても構いませんね。しかもこの状況では答えようとしても無理でしょう。三川。」


「かしこまりました。」私が偽文書に蝋燭で火をつけ、文字が見えなくなるまで燃やした。レオは口笛を吹き、「勿体ない」のような顔をした。殿下は一瞬だけ、レオをしっかり見詰めた。


 静かに火を吹き消し、灰を燭台の上で冷ました。ティルーンが燭台を取り替えさせた。


「今後は相手の動きを見て、各々(おのおの)の警戒を緩めず、努力を続けたいところですね。――ハンガリーの件は、モンゴルを打ち破ってからでも構いません。」


 皆が静かにうなずき、礼をした。殿下が全員の解散を宣言した。


 私は辛うじて立ち上がろうとしたが、体が重くてなかなか立てなかった。


 すると殿下がレオとヤコポを引き止めた。


「話や動きから見ると、どうやら、お二方は我が国の騎士を見くびるような目で見ていたようですね。」殿下の怒りを見せぬ表情と、やや冷ややかな声が二人の動きを止めた。


 レオが恥ずかしそうに苦笑した。「いやそんなこと……」


「もういいから……」ヤコポがレオの袖口を掴んだ。


 殿下が首を振った。「ならばよい。ですが、あの方の指揮の才能がお二方より遥かに上であることは、私は確信しています。」


 私は喜んでわずかに微笑んだが、二人の顔を窺うと、まだ認めきれない気持ちがあるようだった。


「これは……」レオが呟き、ヤコポが目を上げてヴォレール殿下と視線が合った。


「殿下のお言葉は、そのままでは受け入れかねます。――そう証明したいのでしたら、戦場でもチェスでも良い、勝負を決めましょう。」


 殿下の意味深い微笑みが見えた。すると殿下が私を見た。


「光。体調が優れないのはわかっています。ですがこのお二人に、快勝を見せてほしい。今のあなたなら、きっと二(・)十(・)手(・)以内で打ち破れるでしょうね。」


 本当に勘弁してほしいが、なぜか腹の痛みが消えて、逆に熱く感じた。私が黒い執事服の襟元を軽く緩め、立ち上がった。ティルーンがチェス盤を取り出し、中央の机に載せた。ちょうどこの時、太陽が窓の真ん中に差し込んで上がっていくところで、殿下の目を照らしていた。


「いい? この太陽が窓から消えるまでに、勝負を決めなさい。」


 殿下の命令は絶対だ。私も殿下のため、ストーリアのため、自分を証明したい。ジェノヴァ人とミラノ人が視線を合わせ、レオが少し肩をすくめて対面に座ろうとしたが、ティルーンに止められた。


「三川閣下は体調が優れませんので、お二人で相談の上、一局で速やかに決めていただきたいのです。」


 二人が少し沈黙し、ヤコポがこう言った。


「それは……三川閣下に対して不利では……」


「受ける。」と、私が答えた。


 レオがうなずき、ヤコポを連れて着席した。白を私に譲った。握手。


「いかがでしょうか、三川閣下。これは……負けるはずのない戦いですが、全力でまいります。」


 ヤコポの目を見てうなずき、レオとも握手した。


「三川閣下五分、お二人十分の持ち時間です。」


 速戦即決の戦だ。


 まず私が一連の攻勢を仕掛け、キング側のf7の兵を狙った。二人は女王で防御するつもりだったが、陣形が停滞した。すると私が城(ルーク)を出陣させて、引き続き圧力をかけた。


 1. e4 e5

 2. Nf3 d6

 3. d4 Bg4

 4. dxe5 Bxf3

 5. Qxf3 dxe5

 6. Bc4 Nf6

 7. Qb3 Qe7

 8. Nc3 c6

 9. Bg5


挿絵(By みてみん)


 こうして、二人の主教(ビショップ)は女王の背後に抑えられ、身動きが取れない。しかも私は二つのビショップで、出陣した黒い駒の動きを封鎖している。やむを得ず二人が反撃を狙い、私に勝機を与えた。なぜ、私がc4のビショップの危機を無視してもう一方の主教を繰り出したのか、この二人には理解できなかったようだ。


 9. ... b5⁈


挿絵(By みてみん)


 私はしばらく考えてから、攻撃を始めた。すると殿下が軽く紅茶を取り出して、飲み始めた。二人の表情が凍りつき始めた瞬間だった。


 10. Nxb5! cxb5

 11. Bxb5+


 女王側の空白を作った瞬間、ビショップの攻撃が始まった。それでも騎士一つで守れると踏んだレオが疑惑の目で私を見たが、ヤコポがすぐに指した。次の瞬間、蝋燭で暖められた部屋すら凍りついた。


 11. ... Nbd7

 12. O-O-O Rd8


挿絵(By みてみん)


 突然のキャスリングで、私の城がその騎士を狙っていく。やむを得ず、一瞬だけ意見を交換すると、レオは自分の城もdの筋に動かした。


 だがそれは、自分の王を袋の鼠にしてしまった。もう勝利が見えたせいか、ティルーンも軽く体を傾け、緩やかに砂時計を反転し始めた。双方ともまだ三分の二以上の砂が残っている。


 13. Rxd7 Rxd7

 14. Rd1 Qe6

 15. Bxd7+ Nxd7


挿絵(By みてみん)


 二人の冷や汗が、さすがに駒にすら滴りそうだった。それでもまだ指し続けているのは、負けを意識していないためらしい。私は続けて指した。


 16. Qb8+!! Nxb8


挿絵(By みてみん)


 白旗の女王の「無駄死に」が確認された。そして二人は自分の女王を見て、軽く息を吸い、なんとか難を逃れたかのようにお互いの目を見て微笑み、ティルーンの砂時計を満足げに見た。ティルーンも微笑んで見守っていた。


 すると私が次の手を指し、ティルーンは砂時計を反転させなかった。むしろ、いつもより長く記録を取っていた。


 二人は驚いて、盤面をもう一度確認した。


 17. Rd8# 1-0


挿絵(By みてみん)


 二人の沈黙が声なき声となって、部屋を満たした。ティルーンが棋譜を私に渡し、署名を確認すると二人に手渡した。二人はようやく、頭を下げて謝った。


 私はうなずき、殿下に一礼した。まだ陽に照らされている横顔が私に向けられ、微笑んでいる。


「殿下……ありがとうございます。」


「素晴らしい戦いでした……まるでオペラのようですね。そう……オペラ(Opera)・ゲーム(Game)と呼べばいいでしょう。」


「殿下……申し訳ございませんでした。」二人も立ち上がり、深く詫びた。


「今後は、私だけではなく、私が不在の時も副官の命令をしっかりと執行しなさい。軽視しないでほしい。」


「御意!」二人は戦々恐々と一礼し、逃げるように赤い扉から出ていった。


「ふっ……これでよいでしょう。光、休みなさい。」


 殿下はまた背を向けて、紅茶を飲み始めた。陽の光が降り注いだ。


「かしこまりました。」と言いながら、私は秘書官室に戻った。


 さっきの対局の興奮が消えると、すぐに体調が崩れた。一瞬、正気を失い、机の上に倒れた。


対局記録


Mikawa vs. Leo Spinola & Jacopo Torre

A.D.1201. May.09

1-0


1. e4 e5

2. Nf3 d6

3. d4 Bg4

4. dxe5 Bxf3

5. Qxf3 dxe5

6. Bc4 Nf6

7. Qb3 Qe7

8. Nc3 c6

9. Bg5 b5?!

10. Nxb5! cxb5

11. Bxb5+ Nbd7

12. O-O-O Rd8

13. Rxd7 Rxd7

14. Rd1 Qe6

15. Bxd7+ Nxd7

16. Qb8+!! Nxb8

17. Rd8# 1-0

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