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死んでていいから生きててほしい  作者: やりいかのフリット
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この世界の終わり Ⅵ

 どれくらいこうして泣いていただろうか。

 涙が頬を濡らし、それが渇き、また濡らし、そしてもはや身体中の水分が抜けてしまったのではないかというぐらい泣き、涙が流れなくなった頃、俺はようやくまともに思考する事が出来た。


「もうこんな時間か……」


 壁に貼り付けられている電子時計は午後11時を表示していた。

 作道家を出てもう4時間ほど経っていた。


「みんな心配してるよな……帰らないと……」


 立ち上がって、足裏がひんやりとしているのに気づいた。

 見れば俺は靴を履いていない。どうやら靴も履かずにここまで来たらしい。

 もう何の為にこの病院に来たのかも思い出せないが、相当俺が焦っていたんだろうという事はわかった。


「流石に裸足でいるのも嫌だな……」


 俺はちょうど目の前に置いてあったスリッパを履き、売店を目指して歩き始めた。

 大学病院の売店は広いから、もしかしたら靴ぐらい売っているかもしれない。

 そう考えていた時だった。横で話す二人の看護師の会話が耳に届いた。


「501号室の三日月弓流さん、容態はどう?あなた先週から彼女の担当になったんでしょう?」


「容態って……先輩だって彼女の病名知ってますよね?何も変わるはずないですよ」


「うーん、そうよねぇ……ごめんない。どうしても希望というものを捨てられたくて、特に彼女のお姉さんを見ているとね……」


「三日月……弓流……」


 その珍しい名前を聞いて、俺は思わず口に出した。


『シスターが私を拾った日は、雨が晴れて夜の空に綺麗な三日月が出ていたんだ。そしてその三日月の横を、射手座の星座が弓で星の矢を放ったように流星が流れた――だから私は三日月弓流と名付けられたんだ』


 肩のところで綺麗に切り揃えられた襟足、前髪も彼女の性格を現すように綺麗に切り揃えられていた。


『よろしく頼むぞ。私と君は、一緒に立派な教師になるんだ』


 混濁していた記憶の底から、次々と彼女の記憶が溢れてくる。


『“適当”という言葉すら分からないーー私はとんでもなく不器用な人間だ。色々と至らない事だらけだったと思う……どうか、許してほしい』


 泣きそうな顔、楽しそうに笑う顔、怒る顔。

 俺は次々と溢れてくる彼女の記憶を思い出し、感じた。


「三日月弓流を、俺は知っている――」


『傷の深さは、傷を―――――わからないものだと――――――私は待ってる』


『私は二――――で―――――――――」


 だが思い出したはずの記憶は、すぐに()()によって奪われていく。

 この世界にはそんな記憶は存在してはいけないとでも言うように。

 この世界にはそんな記憶はあるべきではないと否定するように。


「駄目だ……駄目だ駄目だ駄目だ!忘れるな!」


 叫び、俺は先程看護師が呟いた502号室へと走り出した。


「三日月弓流……三日月弓流!」


 忘れないように、何度も名前を繰り返し叫ぶ。


『君に――――――素敵な名前だ』


『そんなこと―――――君と歩む覚悟など、―――――さ』


 思い出す度に奪われていく記憶のかけら達。

 だがいくら奪われようと、三日月弓流という人物が俺にとっての大切な人だという事だけは心に刻まれていた。


「アイツは、俺を救ってくれた人だ――」


 聡明で、博識で、面倒くさくて、不器用で。

 授業をサボっているばかりで問題児の俺と、クラスの模範である委員長でずっとぶつかってばかりいた。


 会ったらまた前みたいに俺のことを叱ってくれるのだろうか。

 だがどうだろう、今は同じ委員長になった俺を見たら彼女はなんて言ってくれるだろうか。

 もしかしたら、昔と違って仲良く委員長としてクラスを支える事への愚痴なんかも喋れるだろうか。


 あぁ、会いたい。

 そしてまた一緒に話を――


 そう期待に胸を高鳴らせていた。


「三日月!………………⁉︎」


 俺は今までの何とも違うその記憶と現実との乖離に、絶句した。


「三日月……弓流なのか?アナタが……?」


 歳は俺より一回り以上上だろうか。だいぶ大人びた印象だ。

 彼女の身体中には何本もの点滴が刺され、酸素呼吸器から漏れる無機質な音が非現実的な様子を醸し出していた。

 点滴から送られる最低限の栄養では足らないのだろう、体は痩せこけ腕は骨に皮を被せただけのような状態だ。

 そして雪よりも白い肌は、まるで死んでいるかのようで不気味な色に感じた。その不気味な白さが、長くこのベッドに横たわっていたんだろうと感じさせる。


 微かに残る三日月弓流という少女の記憶――その彼女は快活という訳ではなかったが、笑い、泣く、普通の少女だったはずだ。

 だが今目の前にいるのは、人と呼んで良いのかもわからないほど生気を感じられない物質だ。


 けれど目の前にいる彼女こそが記憶にいる三日月弓流だという事を、俺の心がどうしようもないほど感じていた。


「誰だ!」


「……⁉︎」


 背後から怒号が聞こえ、俺は思わず後ろを振り向いた。


「何だキミは。何の要件があってここにいる!」


 長い黒髪に白髪を混ぜらせた40ぐらいの女性。

 服はくたびれた茶色のロングコートだ。

 女性は眉間に皺を寄せ、俺へと詰め寄る。


「ご、ごめんなさい……」


「謝って済む問題じゃないだろう。何の要件があって私の妹の前にいるんだと聞いているんだ!まさか妹に変な真似をしていたんじゃないだろうな!」


 明確な敵意で俺を睨む女性。

 それもそうだろう。知らない男が寝ている妹の横にいれば、怒るなという方が難しい。

 俺だって文那がこの妹さんの立場だったら、この人のように怒っていただろう。


「そんな事はしてません!本当です!」


「では何故キミはこの病室にいる⁉︎私は妹の友人にこんな歳の離れた子がいるのは聞いた事はないが⁉︎」


 叫ぶ女性に俺は覚悟を決めた。

 多分このまま下手な言い訳を続けていても、この女性の怒りを鎮めることは不可能だろう。


「……ごめんなさい。本当に勘違いで、友人と同じ名前だったもので、つい目を引かれてしまって……」


「それで?出来心でこの病室に入ってきてしまったと?」


 俺は力無く首を縦に振った。


「ふむ……そうか」


 女性はそう言ってしばらく黙った後、


「それは悪かった。すまないな、変に勘繰ってしまった」


 と言って俺に詫びた。


「信じてくれるんですか……?」


 あまりの呆気なさに俺は思わずそう聞き返した。


「こんなナリだが、これでも教師だからな。キミが嘘をついていないことぐらい分かるつもりだ」


「それとも何か?まだ疑って欲しいのか?」と言って女性は意地悪く笑った。


「い、いえ!そんな事は……」


「ははっ、そうだろ」と女性は笑った。

 さっきまでとはまるで別人のような表情だ。だがきっと、この女性は本来こっちの方が自然体なんだろう。


「さっきは怒鳴って悪かったね。たった一人の妹で、心配になってしまって、つい気が焦ってしまった」


「いえ……当然だと思います。俺も妹がいるので、気持ちわかります。逆の立場なら、俺も同じことをしていたと思います」


「そうか。ありがとう」


 女性がそう言った後、しばらくの静寂が訪れる。

 ピッ、ピッ、という規則的な三日月の心音を示す電子音が病室を包んだ。


「あの……この方はどうしたんですか?どうして眠っているんですか?」


「キミ、デリカシーが無いってよく言われないかい?」


「はは……実は結構言われます」


「フフ、やはりそうか。普通はみんな一歩引いて聞いてはこないよ」


 そう話す女性の様子は、どこか嬉しそうな感じに見てとれた。


「キミ、名前は?」


「二階堂歩夢です」


「なるほど、良い名前だ。では歩夢くん、キミのその良い意味でデリカシーの無い心意気に免じて教えてあげよう」


 そう言うと、女性は白髪混じりの髪を掻いた後、ゆっくりと口を開いた。



「私の妹は『神経萎縮性鈍化睡眠症』という病気だ」



「神経萎縮……睡眠症……?」


「知らなくて当然だ。病名がついたのがここ数年というぐらいの奇病だからな」


 聞いたことの無い病名に俺は首を傾げる俺に、女性はそう答えた。


「成長するにつれて脳の神経細胞が急速に老化し、徐々に眠りが深くなっていく病気だ。妹は17歳の誕生日に眠りについてから、もう10年以上目を覚ましていない」


「10年も……」


 計り知れないその眠りの深さに思わず俺は驚いた。

 横目に三日月を見る。

 10年以上もこのベッドに寝たままだというのなら、これだけ彼女の肌が不気味に白いのも頷ける。


「もしちゃんと生きてたら、もう29歳――明るくて人に好かれやすい子だ。一丁前に結婚して、独り身の私にカマをかけて遊んでいただろうさ」


「なぁそうだろう、弓流?」


 そう言うと女性は愛おしい表情で、優しく弓流の髪を撫でた。


 その女性の弓流に問いかけはどれだけの意味があるのだろう。と俺はふと考えた。

 妹が目を覚さないまま10年だ。そのやるせなさを俺はとてもじゃないが計り知る事は出来ない。

 慈しむ気持ちもあるのだろう。

 だがそれ以上に、必ず返ってこないと分かっている問いかけはあまりにも虚しいだろうな、と妙に悲しい気持ちになった。


「こんな状態でも、医者が言うには脳は生きているから思考をしたり、夢を見る事は出来るらしいんだ」


「夢を……それって、どんな夢なんですかね?」


 俺の問いかけに女性は嬉しそうに笑った。


「そうだな。確かにどんな夢なんだろうか。今も15歳のまま高校生活を送っているか、あるいはちゃっかり夢の中で最愛の人でも見つけて結婚してるかもしれないな」


「確かにそうかもしれませんね。綺麗な人ですもん」


「おいおい。姉の私の目の前で妹を口説こうっていうのかい。歩夢くん?」


「あ、いや!そういう訳で言ったわけじゃ!」


 慌てる俺に、女性はクスクスと楽しそうに笑う。


「分かっているよ。面白いね。二階堂くんは」


「あ、ありがとうございます」


 恥ずかしげに笑う俺。

 すると「そういえば――」とおもむろに女性が口を開いた。


「申し遅れたね。私は星空(ほしぞら)(るな)。血の繋がりこそ無いが、三日月弓流の姉だ」


「星空さん――」


 とても珍しい苗字な気がするが、どこか懐かしいようで、まるでずっと前から知っていた名前のように感じた。


「何だか俺、変なんです……」


「変、何がだ?」


「星空さんにも、三日月さんにも……どうしても前に会っていた気がして、こうして話していると落ち着くんです。星空さんの名前も初めて聞いたはずなのに、なんだかずっと知っていたような気がするんです」


 自分でも変な事を言っている自覚はある。

 だからだろう、恥ずかしくて行き場を失った俺の右手は痒くも無い後頭部を撫でていた。


「フフッ。そうか――」


 と星空さんは鼻を鳴らすと、


「どうしてだろうな。どうしようもない程に、私も歩夢くんと同じ気持ちだ」


 そう言って恥ずかしそうに笑い、同じように後頭部を撫でていた。


「歩夢くんと話していると、私も心が落ち着く。まるで長く付き合ってきた友人のような――キミにはそんな安心感を覚えてしまうよ」


 と、その時だった。

 病室の扉が三度ノックされる。


「星空さん。回診に来たのですがよろしいですか?」


 言うと、白衣に身を包んだ男性医師が現れた。


「こちらは、弟さんですか?」


「いえ、どうやら妹の事を狙っている悪い狼ですよ」


「ちょっ!だから誤解ですって!」


 反論する俺に、星空さんは「ははっ」と楽しそうに笑う。


「全く……笑い事じゃないんですけど……」


「悪い悪い。許してくれよ、歩夢くん」


 星空さんは手を合わせてそう詫びた。


「星空さん、三日月さんの事でお話したい事があるのですが――」


「出来れば二人で」と男性が神経質そうな細い眼鏡をクイッとあげ、俺に嫌そうな視線を向けた。


「そうですか……あんまり良い話じゃなさそうだ。歩夢くん、悪いけれど席を外してもらってもいいかい?」


 と星空さん。


「あ、あぁもちろんです!こちらこそ勘違いで入っちゃったのに、こんな長居しちゃってお邪魔しました」


「いや、私こそ久しぶりに妹の事をこうして誰かに話せて良かったよ」


 と言った後、


「もう間違えて他人の病室には入るんじゃないぞ。いいな?」


 そう言って星空さんは優しく微笑んだ。

 その微笑みは、さっき出会った時とはまるで違う――慈愛に満ちた表情だった。


「はい、分かりました」


 そう答えると、俺は病室を後にした。


「さようなら、三日月さん」


 スライド式の扉が閉まる直前、僅かな隙間から見えた三日月さんに俺はそう別れの言葉を告げた。


「ぁ……ぁ……き、きみ……」


 病室から出た直後、どもり気味の女性の声が聞こえ俺は横を向く。


「どうしました?」


 そこにいたのは、霞ヶ浦の看護師だった。

 彼女は俺の事をまるで何か化物でも見るかのように、震えた目で見ていた。


「い、いた……本物だ…………」


「本物……?どういう意味ですか?」


 何なんだろうかこの人は、藪から棒に……。

 俺は懐疑的な視線を彼女に向け睨むが、彼女の瞳とは焦点が合わなかった。

 彼女は俺の顔の方を見ているはずなのに、何故か俺の事を見えてはいないようだった。


「き……奇跡だ……」


 おもむろに彼女がそう一言口にした。


「奇跡……ですか?」


 そう言ったところで、俺は女性に見覚えがあることに気付いた。

 服装が違いすぎて分からなかったが、この長い白髪に、噛み合わないチグハグな言動――半年前に玲美の家の前で会った事のある女性だ。


「あの、僕と貴方ってそういえば会ったことがありましたよね?また会えて“奇跡”って事ですか?」


 俺がそう言うと、彼女の顔がとたんに子供のような無邪気な笑顔で包まれた。


「うん!そう!そうそうそう!そうなんだよ!凄いね!きっと神様は私の事を見捨ててなかったんだよ!」


 はしゃいだ様子で彼女はそう言うと、俺の手を強く握った。


「痛っ……」


 強く右手を握られ、思わず俺は顔を顰めた。


「あっ!ご、ごめんね!急に触られたりしたら嫌だよね!」


 女性は慌てた様子でそう言うと、すぐに俺から手を離した。


「やった。歩夢くんと手を握っちゃった!」


 と彼女は俺に聞こえないような声でつぶやいた。

 きっと独り言なのだろう。


「…………」


 俺に触れた両手を嬉しそうにうっとりと見つめる女性に、俺は侮蔑の視線を向ける。


 合わない焦点。

 噛み合わない会話。

 不可解な挙動。


 “気持ちの悪い”という感情が俺の心に芽生える。

 この女性は一体何なんだろうか。

 半年前に会った時は俺の事を気持ち悪いと罵っていたというのに、今はまるで俺と会えた事が大人気アイドルとでも会ったかのような喜びようだ。

 普段なら喜んでもらえる事に不快感を覚えたりはしないが、ここまで自分への好意に理由が見つからないと、それは恐怖でしかない。

 そして恐怖は、嫌悪へと変わる物だ。


「神様からの贈り物だもん……大切にしないとだよね……うんうん」


 女性は一人で気味悪く微笑む。

 その時の彼女は粘っこい唾液を歯から滴らせ、気味の悪い生物だった。


「あ、歩夢くん!」


 女性がおもむろに声をあげると、俺の顔を凝視した。

 だがその瞳はいつもと変わらず、俺の視線とは合わない。まるで俺の奥にいる誰かでも見ているかのようだった。


「今、いくつになったの?もう18歳ぐらい?」


「17の……高校2年です」


「そうなんだ!17歳!かっこいいね!もうすぐ大人の仲間入りだね!」


 嫌悪感を抱く俺の事などつゆ知らず、彼女は自分一人ではしゃいでいた。


「もうちょっとで、迎えに行くから待っててね!歩夢くん!私、絶対()()守るから!」


「それじゃあね!」と彼女は一方的に言うと、満面の笑顔を浮かべながら俺から去っていった。


 前会った時もそうだったが、今回は前以上に話が合わない。

 あまりにも独りよがり過ぎる。俺が彼女のお人形で、彼女がただ俺というお人形に話しているような、そんな違和感のある感じだった。


「なんだったんだよ……あの人……」


 彼女の底知れぬ不気味さに嫌悪感を覚えると共に、ふと俺は、彼女に握られた右手を見た。  


 彼女に握られた俺の右手は、まるで“逃がさない”とマーキングでもされたかのように、青黒く鬱血していた。

読みづらいかもしれないので、一応ふりがなをふると

『神経萎縮性鈍化睡眠症』は『しんけい、いしゅくせい、どんか、すいみんしょう』です。

調べても出てきません。

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