一場の春夢 Ⅺ
「そんなに馬鹿馬鹿いうことないだろ……」
一応成績はクラスで15番目くらいには入るレベルだ。
平均値だと思う。
「馬鹿だよ!」
そう玲美は俺に怒鳴った。
「私なんかのせいでクラス委員長下されて、それにみんなに酷いこと言われて……内申だって悪くなって目指してた学校行けないかもしれないんだよ⁉︎」
「クラス委員長の事なんて別にいいさ。元々俺よりも白草の方が合ってたんだ。内申の事は別に良い。内申が悪くたって、行きたい場所があれば自力で行くさ」
「何よそれ……アンタが良くても……私が良く無いんだけど……もぅ……」
嗚咽のような物が聞こえ、玲美の顔を良く見る。
すると白い頬には一筋の滴が線を描いているのに気付いた。
「玲美……お前、泣いてるのか?」
「うっさい!」
玲美は制服の裾で乱暴に涙を拭く。
「もしかして、俺のせい……?」
「そうに決まってるでしょ!アンタ本当馬鹿!」
「わ、悪い……」
理由はよく分からないが、玲美に怒鳴られ反射的に謝罪する。
どうやらもう玲美に謝るのは癖づいてしまったらしい。
「私は自分が傷つくなら構わない!周りの人が私を悪く言うのは、それは私がそう振る舞ってるから仕方のない事……自分が起こした事は自分で解決ができる……」
「けど……」と玲美は泣きじゃくり声を荒げた。
「なのに私の事で全然関係の無いアンタが傷ついてるから……それがどうしたってムカつくの!」
「うぅ……ぐす……」と玲美はまるで子供のように泣いた。
夢の中で見た一生懸命で他人思いで、そのせいで誤解を受けていた本当は甘えたがりだったあの玲美と変わらない。
きっと今もそうなんだ。
この作道玲美という少女は、自分を偽る事が上手いからみんな勘違いをしてしまうんだろう。
「ムカつく……か」意識せず鼻が鳴った。
「馬鹿だな、玲美は――」
その言葉に「え……?」と玲美は涙を拭く手を止め、俺の方を見た。
「そう言う時は『ありがとう』って言うんだよ」
「ありがとう……?」と玲美は不思議そうに言葉を漏らす。
「俺は玲美に笑っていてほしい――ただそれは俺の傲慢で、玲美には関係無い事だ。けど玲美が俺のした事で、俺の為に泣いてくれるって言うのならそう言ってくれればいい。それで俺にはお釣りがくるぐらいだよ」
俺はそう言って微笑んだ。
「何で……?」
玲美は立ちすくみ、そう言葉を漏らした。
「何でアンタはそんなに優しいの?私はずっとアンタの事を邪魔者扱いして酷いこと言ってきたのに……嫌われるようなことばかりしてきたのに……それなのに自分を犠牲にしてまで私を助けるなんておかしいよ……」
「そうだな……何でなんだろ……」
改めて言葉にされる事で、ふと俺も疑問に思った。
玲美達と夢で会ったっていうのは――家族だからって言うのは理由の一つに過ぎないだろう。
きっと俺は玲美じゃなくても、この状況なら同じ事をしていたと思う。
玲美の立場が白草でも保泉でも――それこそ戸塚だったとしても俺は同じように手を上げ、今と同じ状況にいただろう。
それぐらい、俺にとって誰かの為に何かをするという事は当たり前のことなんだ。
ふと、記憶の中で輝く破片があった。
忘れていたその記憶は、思い出すと急に鮮明になり、俺の中で輝きを増していく。
あぁそうだ。
きっと俺が人のために動くのは、あの子の影響か大きかったのだろう。
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『キミの目は、人の良い所を見つけるために付いている。キミの口は、人を勇気付ける為に付いている。キミの手は悲しむ人を助けるために付いている』
思い浮かぶのは、幼い頃に遊んだ一人の少女の事。
もう顔も思い出せないその少女の言葉は、今でも俺の心に残っていた。
『何それ、難しい』
公園の砂場で遊んでいたまだ幼かった俺は、その言葉の意味を理解出来ず首を傾けていたのを覚えている。
『昨日青い狸が出てくるアニメで似たような事を言っていたんだ。それを私が真似したの!』
少女はそう言って笑っていた。
『なんだ、ただの真似っこかぁ』
『真似っこだけど、本当の事だよ!』
『えぇ?どう言うこと?』
『歩夢の目は、人の良い所を見つけるために付いている。歩夢の口は、人を勇気付ける為に付いている。歩夢の手は、悲しむ人を助けるために付いているの。私が言うんだから間違いないよ!』
『だから――』と少女は俺に顔を近づける。
その時の甘い香りと、緊張は今でも鮮明に覚えている。
『歩夢は絶対、困っている人がいたら助けなさい!』
そう言ってニコリと少女は俺に微笑んでくれた。
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「きっと俺にとって、人の為に何かをする事っていうのは当たり前のことなんだ。あの人が俺にそうしてくれたから」
「あの人……?」
玲美は不思議そうに顔を傾げた。
「あまり思い出せないんだけど、昔いたんだよ。すごい優しい人が、多分俺を助けてくれた恩人だ」
顔も思い出せないその少女。
彼女に俺は救ってもらった、そんな温かな感情だけが俺の心には残っていた。
それはとても心地の良い感情だ。
「ふふっ……」
おもむろに玲美が鼻を鳴らした。
そして――
「ふふ……あはは……あはははは!」
突然玲美が腹を抱えて笑い始めた。
今まで一度も見たことがない、この夜の闇をも掻き消してしまうような底抜けに明るい声で玲美は笑った。
「なんか馬鹿みたい……こんな恩人の名前も思い出せない人の為に本気で考えて……熱くなって泣いちゃって……あーあ、涙が勿体無かったな」
ひとしきり笑った後、玲美はそう言って瞳に溜まった最後の一雫を拭いた。
「な……そんな言い方ないだろ」
「いいじゃん。だって事実でしょ?普通そんな大事な人の事は忘れたりしないよ?
「ま、まぁ……それはそうだな……」
そう言われてしまうと何も言い返す言葉が無い。
「俺の負けだ……」
俺はそう言って項垂れる。
「ふふっ……やっぱアンタ変な奴だよね二階堂」
そう玲美が言ったのは、風が目の前を抜けていくのと一緒なぐらい一瞬のことだった。
「え……?」
ふと呼ばれた自分の苗字に俺は思わず間の抜けた声を出した。
玲美の口から俺の名前を聞いたのは、それが初めてだ。
「何……?私が名前を呼ぶと変?嫌ならやめるけど」
「い、いや!そんな事ない!二階堂で大歓迎!」
「そ。なら良かった」
と照れた様子で玲美は唇を尖らせた。
そして、
「ねぇ……二階堂」とおもむろに玲美は口を開く。
「さっきの事なんだけど……」
「さっき……?」
「ほら、あれだよ……あの……私がどうとか……なんとか」
「うん……?」
玲美にしては歯切れの悪いぎこちない喋り方。
「…………」
としばらく黙った後、玲美は何かを覚悟したかのように言葉を紡いだ。
「私の事――本当に家族って思ってるの?」
「そりゃもちろん」
俺は自信を持ってそう言った。
「顔を合わせた回数も、言葉を交わした回数も俺と玲美はまだ数えるほどだ。けどその一回一回で、玲美の事が分かる度にやっぱり夢の中の玲美と今の玲美は一緒なんだって分かる。今目の前にいる玲美は、俺の家族の作道玲美で間違いない」
「カッコよすぎ。前世は吟遊詩人?」
そう言って玲美は意地悪く笑った。
「残念。ただのしがない高校生やってたはずだよ」
「ははっ、覚えてるんだ。しかもけっこう現代」
「だろ?」
と俺も玲美と一緒に笑う。
そうしてお互いに笑ったあと、静寂が訪れた。
「…………」
「…………」
ただその静寂は、ついさっきまでの嫌な感じとは全然違う。
お互いを想いながら心で会話をしているからこその静寂だ。
「なぁ玲美――」
『作道玲美の事をもっと知りたい』その感情に動かされ、俺はおもむろに口を開いた。
「あの袋の中身、何で見せるの嫌がってたんだ?」
鞄から転がり落ちた黒い袋――何故それをああまでして頑なに見せる事を嫌がったのか、それがどうしても俺は気になった。
「……それは」
玲美は視線を逸らし、俯いた。
やはり酷い事を聞いてしまったらしい。
「いや……嫌ならいいんだ。ごめん……ただ玲美の事を知りたくて……」
「…………」
玲美はしばらく黙った後、
「ううん……ちゃんと言うよ。言わせて」
そう言って鞄の中から手のひらサイズの古びた革製の袋を取り出し中身を取り出し俺へと渡した。
それは黒くて無機質で、想像していた物とは全く違う形状をしていた。
「カメラ……?」
それは一台の、年季の入った古いカメラだった。
「そう。私のお姉ちゃんが昔、買ってくれたの」
「これが玲美が鞄の中身を見せたくなかった理由なのか?」
その問いに、玲美はゆっくりと首を縦に振り頷いた。
「これは私とお姉ちゃんだけが知ってる思い出なんだ」
カメラを見つめ、玲美はゆっくりと喋り始めた。
「私……小学生の頃に家にあったインスタントカメラでお姉ちゃんの写真を撮った事があってさ。その写真を見たお姉ちゃん『玲美は天才だ。こんなに私を綺麗に撮れる奴は世界に玲美しかいない』って褒めてくれて。それでバイトして貯めてたお金崩して、私の為にこのカメラをくれたの」
一つ一つ、記憶を辿りながら玲美は愛おしそうに話す。
「自分の欲しい物だってあったはずなのに、私の為にこんなにいいの買ってくれて……それで『これでいっぱい、私を綺麗に撮ってくれ』って、お姉ちゃんはあの時言ってた」
「面白い人でしょ?」と玲美はクスクスとかわいらしく微笑んだ。
初めて玲美がこうして笑っていたのを見た。
「私のお姉ちゃんはね……このカメラを買ってくれてすぐ死んじゃったの」
夜の美しい空を見上げ、玲美はどこか遠くを見つめそう言った。
「優しくて明るくて、勉強もできて運動も出来て――私が一番尊敬する憧れの人だった」
「玲美がそこまで言うなんて、相当凄い人だったんだな」
「うん、すごいよ。世界中の何処を探してもお姉ちゃん以上に凄い人はいないって、自信を持って言える」
そう言って、まるで自分の事を褒めたかのように玲美は楽しそうに微笑んだ。
俺は前に、やはり玲美と一緒に過ごしていた事があるのかもしれない――この柔らかな微笑みを見て、そう俺は信じてみたくなった。
「ねぇ、二階堂――」
おもむろに玲美が口を開いた。
「ん……?どうした?」
「人は死んだら星になるって、二階堂は聞いたことない?」
「あぁ、あるな」
「二階堂はそれを信じる?」
「うん、信じる」
「いや……」と俺はすぐに首を横に振った。
“信じる”という言葉は少し違う気がした。
「信じるって言う言葉も違うかな。そうであって欲しいなって、俺は思うよ。例えこの世界にいなくたって、星としてその人が見守ってくれているのなら心強いからさ」
ふと、そこで両親の顔が浮かんだ。
「俺の父さんも母さんも星になって見守ってくれているのなら、嬉しい。だから俺は信じたいんだ」
「そっか――」
玲美は髪を揺らすと、俺の持つカメラを指差した。
「ねぇ二階堂、良かったら私の撮った写真見てよ」
「え……いいのか?」
「……うん、いいよ」
「二階堂になら、見せてもいい」
玲美はそう小さな声で呟いた。
なんだか少々照れ臭い気がした。
電源をつけ、写真フォルダを開く。
ディスプレイには今まで収められた数々の写真が画面に映し出された。
「これは……」
その映し出された写真に思わず俺は驚いた。
夜の河川に浮かぶ星々の写真。
都会の灯りの中でも輝く眩い星々の写真
公園を背景に静かに佇む星々の写真。
どれもこれも、写っているのは夜空に浮かぶ星々の写真だけだった。
「あそこに浮かんでる星――そのどれかがお姉ちゃんかは分からない。だから私はいっぱいの星を取って、お姉ちゃんがちゃんと綺麗に撮れてたか天国に行ったら確認するんだ」
「それでもし――」と玲美は小さく呟く。
「それでもしね……お姉ちゃんの事を綺麗に撮れてたら、お姉ちゃんに褒めてもらうんだ。『玲美は世界一の妹だって』」
そこで俺はようやく気付いた。
玲美の帰りがいつも遅い理由は不良の生徒だからなんて理由じゃない。
『自分を綺麗に撮って欲しい』
と言った姉の遺言をずっと叶えようと毎日寒い日も暑い日もずっと夜空の写真を撮り続けていたという事に。
「そうか――きっと言ってくれるはずだよ。妹を自慢に思わない兄姉はいない」
「……そっか」
玲美は少し俯いた後、再び夜空の星を見つめる。
「ありがとう」
ふと、彗星のように蒼く尾を引く綺麗な星が玲美の頬を伝った。
「どういたしまして」
そう言って俺は、ちょっと格好つけてニヒルに微笑んだ。
人は流れ星に願い事をするけれど、きっと落ちていく流れ星にも願い事はあって、その流れ星はまた違う星に願いを託しているんだろう。
そしてその流れ星が願う星々達は、きっと綺麗な色をして輝いているんだろうなと――俺はそう信じてみたくなった。
一場の春夢-fin-




