一場の春夢 Ⅴ
翌日。
始業10分前を迎えている学校の廊下で、俺は戸塚といた。
「戸塚、お前これちゃんと成功するんだろうな?」
「大丈夫だって二階堂。この百戦錬磨の世紀のモテ男、戸塚様に任せておきな」
そう言って白い歯を見せニッと笑う戸塚。
なるほど確かに快活さと頼り甲斐のある印象を与えられる。コイツがモテるというのにも納得がいく――
話を遡り昨日の話。
屋上へと向かった俺は、戸塚から玲美とどうにか仲良くなるべく『必勝!たった一ヶ月で異性に告白されまくる狂気のマインド実践法』というどう考えても怪しい戸塚の話を乗ることに決めた。
今までの俺の行動で玲美に好印象を与えられなかったのは事実だし、藁にもすがる思いで仕方なく、だが。
「おっ、二階堂!来たぞ!作道さんだ!」
戸塚が廊下の奥、一階の階段から登ってくる玲美を指差した。
「ステップ1!【急がば回れ】それが恋愛の基本だ!二階堂!まずはこれを3週間繰り返せ!」
「具体的にはどうすればいいんだ?」
「“挨拶”だよ」
「挨拶……?それだけでいいのか?」
「挨拶を舐めるなよ二階堂」
ピシッと教授めいた感じに指をたてる戸塚。
「挨拶には“君に気づいているよ”と暗的にアピールするっていう意味があるんだよ。これを日々続ける事で、少しづつ相手に“私に気づいてくれている”と印象付けることが出来るんだ」
「おぉ!言われてみれば挨拶されたらそんな気がするな。ほんとに世紀のモテ男だな」
「ようやく俺の凄さが分かったか二階堂」
「ヘヘッ」と少し得意げに花を鳴らした後、
「ほら!早く行け!作道さん来るぞ!」
と柱の後ろに隠れる俺の背中を戸塚が押した。
「いいか二階堂!さりげなくだぞ!あたかも“全然キミが来る時間なんて考えてなかったけど、なんかトイレ行きたくなって教室出たらたまたま廊下ですれ違って『あっ、いるじゃん』みたいな感じでする挨拶”を意識しろ!」
「例が具体的過ぎるだろ……が、分かった。やってみる!」
「おう!幸運を祈る!」
サムズアップを受け取った後、前方を見る。
先程まで廊下の奥にいた玲美は、今や数メートル程の距離にいた。
もう3秒ほどあればすれ違うだろう。
大丈夫だ。落ち着け俺。
深呼吸し、一歩を踏み出す。
3歩ほど歩いたところで玲美がすぐ前に来た。
「あ……お、おはよう。玲美」
決死の覚悟を決め、そう挨拶したつもりだった。
だが、
「…………」
玲美は俺の方に振り向くことも無く、そのまま素通りされた。
大方予想はしていたが、やはり実際に受けてみると、何とも心にくるものがある。
「よーし!よかったぞ二階堂!少し陰気くさかったが、ちゃんと挨拶は出来ていた!」
「良かったって……普通に無視されたんだが……」
「いいんだよそれで。二階堂、今回の目的はなんだ?」
「挨拶をすること……」
「だろ?“挨拶を返してもらう”じゃないんだ。二階堂は作道さんに挨拶をした――その事実が重要なんだよ。後は結果が勝手に着いてくるから安心しろ」
「なるほどな――」
確かに戸塚の言う通り、今回の目的は挨拶をする事で、挨拶を返してもらうことじゃない。危うく手段と方法を履き違えて勝手に傷つくところだった。
「よし二階堂!じゃあまた明日頑張るぞ!」
「明日って、今日はもう何もしないのか?」
「あぁ」と頷く戸塚。
「本当にか⁉︎本当にたったこれだけを2週間続けるだけっていうのか⁉︎」
「そうだよ。大丈夫だ二階堂“家宝は寝て待て”だ。急がない事が重要なんだよ」
「そうか――まぁお前がそう言うならそうするよ」
若干の疑念を抱きつつも、俺は戸塚に従うことにした。
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最初の1週間は、正直全て1日目と同じ反応だった――というか、無反応だった。
四日目なんかは心に少し余裕が出来てたし、笑顔を作って挨拶をする事も出来たのだが、結果は全く変わらなかった。
そして戸塚はいつも「家宝は寝て待て」そう言って笑っていた。
そしてその後は玲美とは何も会話をせず、一日が終わる。
その繰り返しだった。
挨拶を続けて2週間目の水曜日――そこで玲美の反応に少し変化があった。
いつも通りのすれ違いざまの挨拶、そこで初めて玲美が視線だけ動かし、俺の方を見た。
いつも俺を目視すると目を閉じて素通りしていた玲美が、初めて俺を認知して、俺を見てくれた。
人類にとっては驚く程に小さな一歩だが、俺にとっては宇宙が生まれたことと同じくらい大きな一歩だった。
そしてステップ1の最終日――3週間目の金曜日。
「おはよう、玲美」
もはや15回目の行動なので、俺はスラスラとさりげない形で挨拶が出来る様になっていた。ぎこちなくはあるが、若干の笑顔も添える事が出来ていた。
「…………」
玲美はほんの一瞬、まさに瞬きするぐらいのほんの僅かな時間だけ俺を見ると、無言で去っていった。
そう、いつも通り。
最初は無視されていたが、今は認知してもらえるようになった。
今はそれで充分だ。
そう思っていた俺に、特大級の事が起きた。
「羨ましいよ。アンタの事」
「え……?」
背後からの玲美の声。
まさか自分に話しかけられているなんて思わなくて、一瞬思考が固まった。
振り返り玲美を見るが、ほかに人はいない。
完璧にその玲美の言葉は、俺に向けられたものだった。
「いつも同じ時間に催すなんて、便利でいいね」
「え、あぁ、ありがとう」
何がどうありがとうなのか正直自分でもよく分からないが、玲美はそう言い切るだけ言い切ると、教室へと入っていった。
「やったなぁ二階堂!」
満面の笑みで現れた戸塚が、嬉しそうに俺の肩を組んだ。
「どうだどうだ?挨拶って、案外馬鹿に出来ない最強の道具だろ?」
「あぁ、そうだな。流石戸塚、お前はまじで本物のモテ男だよ」
「ははっ!そんな褒めたいって言うなら、御礼に購買のコロッケパン奢ってくれていいんだぜ?」
「あぁ、分かった。後でちゃんと買ってきてやる」
「おぉ〜太っ腹!」
ハハハと笑う戸塚。
心の底から嬉しそうな笑いは、こちらまで何処か嬉しい気持ちが強くなってくる。
「それで、明日からはどうするんだ?お前を信頼してはいるが、残り1週間で本当に玲美の気を惹けるのか?」
「あたぼうよ!」とまるで少年漫画の主人公のように花を鳴らす戸塚。
「これまでの3週間の足場作りで得た信頼――こっから作道さんと一気に距離を詰めていくぜ二階堂!覚悟しとけよ!」
「おう!」
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翌週の月曜日。
「ステップ2【ここが押し時!最後の週】だ!」
朝礼前恒例の溜まり場となった屋上で、俺と戸塚はいつものごとく玲美についての恋愛談義に花を咲かせていた。
「押し時って、具体的には?」
「昼休みが来たら話しかける」
「それだけか?」
「あぁ」と頷く戸塚。
「話しかけるだけなら前もやってたが、蹴られて終わりだったし意味ないと思うぞ。大丈夫か本当に?」
「大丈夫だよ。今のお前は作道さんにとって“拒絶したにも関わらず話しかけてくる変態”だから前程警戒はされてないはずだ」
「なんだよそれ……むしろ警戒されてないか?」
確かに事実を述べると、そうとしか俺を表現できない現実がどこか悲しい……。
「この前までの“急に名前呼びで話しかけてくるクラスメイトG”とは雲泥の差だよ。少なくとも、二階堂は二階堂として任意されている」
「変態ではあるけどな……」
「あぁ、変態ではある」
少し嬉しそうに頷く戸塚が、余裕に満ちていて少しムカつく。
「よし!じゃあ残り1週間!やるぞ!二階堂!」
「あぁ!」
こうして、俺の最後の1週間が幕を開けた。
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昼休み。
4時限目が終わり、昼休みの開始を告げるチャイムが鳴ると、玲美は鞄を手にし、そそくさと席を立ち上がる。
話しかけないと――
そう思い走り出そうとする俺を、戸塚が袖を掴んで静止させた。
「待て、二階堂」
「待てって、昼休みに話しかけるんじゃないのか?」
「昼休みに話しかけるんだが、昼休みに話しかけないんだ」
「何お前、プラトンの哲学書とか読んだ?」
「ちげぇよ。いいから黙って俺に着いてこい」
何なんだよ戸塚……。どういう事だ?
疑心の念を抱きながらも、俺は戸塚の後ろについていく。
下駄箱で外履きに履き替えた所で、戸塚が口を開いた。
「二階堂、お前は作道さんが昼休みどこ行くか知ってるか?」
「いや、知らないな」
玲美は昼休み、必ず教室にいない。
今日のようにチャイムが鳴ると同時に鞄を持って教室を出て、またチャイムが鳴る頃に自然と戻ってくる。
クラスメイトの噂だと、その間に援助交際相手の50代、東京勤務の中肉中背の男3人と夜についての電話をしているらしい。
やけに具体的でリアリティがある。
まぁ玲美がそんな事するような奴じゃないってのは、なんとなく分かるから気にはしてないが。
「作道さんはな、ここにいるんだよ」
校舎裏の人気の無い林に来ると、そこで戸塚は足を止めた。
「ほら、あそこ見てみな」と戸塚は錆びれたプレハブの小屋の後ろを指差す。
「あ、玲美」
するとそこには、木造りの長椅子にぽつんと一人で座る玲美の姿があった。
朽ちかけの長椅子と、林の葉の間から溢れる日差しが玲美を不思議と綺麗に色づかせていた。
「戸塚……なんでこんなの知ってるんだよ。まさか玲美の後をつけて……」
「親友が困ってるんだ。一肌でも二肌でも脱ぐ覚悟でいたさ」
「戸塚――お前、いい奴だな」
「知ってる」
「ヘヘッ」と戸塚は笑う。
この思い切りと人の良さが、コイツがモテる理由の一つだろうことは理解した。
「さっ、早く話しかけろよ二階堂」
「話しかけろったって、何を言えばいい。急にこんな人気の無い所に来るなんて不自然だろ」
「そのまま言えばいいだろ?」
さも当然のようにそう口にする戸塚。
「マジで言ってるのか?」
「あぁ。大マジ」と戸塚は頷く。
「どうせ小手先の嘘で繕った所で、作道さんには疑われるだけだ。『作道さんが気になって後を付けてみた。結構いい所だね。一緒に食べようよ』と素直に行けばいい。それで何か問題があるか?」
「だいぶ問題だろ。特に最初の“後をつけた”って所が、これじゃただのストーカーする変質者じゃないか」
そう自分で口にした所でハッとした。
その事に、戸塚も俺の表情を見て気づいたようだ。
「そうか――俺は既に、玲美の中で“変態”だった」
「ご名答」と戸塚はニヤリと笑う。
「変態である俺なら、変態的言動をしても違和感がない、それに事実を伝えてるだけだから自然体に話せる――そう言うことか?」
コクリと戸塚は首を縦に振る。
「挨拶の凄さに気づいたか?」
「あぁ。すげぇよ、挨拶。流石古来から愛されてきた言語ではある」
そうか、そう言う事だったのか――。
自分の置かれている状況に気づいた途端、体の奥から力が満ち溢れるようだった。
何をしてもこれ以上落ちることは無いという虚無感は、今や俺の強い味方だった。
「よしっ!行ってくる!」
頬を叩き気合を入れると、俺は玲美の方へと歩き出した。
長椅子に座る玲美は、鞄から風呂敷に包まれたお弁当を取り出すところだった。
「弁当、手作りなんだな」
すぐ真横まで行き、玲美にそう話しかけた。
「なっ――」
初めて見る玲美の表情だった。
目が見開かれ、焦点は少し揺らいでいて、けれど俺の事を確かに目視し、死神にでも出会ったような驚愕の表情を浮かべていた。
「何でアンタここにいるの⁉︎」
予想通りの反応が返ってきた。
予想通りの分、対応は簡単だ。しかも模範解答まで準備してある。
「玲美のことが気になって後をつけて来たんだ。いい所だなココ。一緒に食べようぜ?」
俺は片手に持っていた弁当箱をちらつかせ、ニッと笑う。
側から見ればほぼ戸塚と変わらない対応を出来たはずだ。
「きっっもッ‼︎最悪ッッ‼︎」
だが、予想以上に反応は悪かった。
「二度と来ないでッッ‼︎」
玲美はそう吐き捨てると、弁当箱を鞄に入れそそくさとその場から逃げて行った。
「ははははっ!やっぱズバズバ言うなぁ、作道さん」
呆然と立ち尽くす俺に、ハハハと快活に笑う戸塚が近づく。
「笑い事じゃないんだが……」
別に一緒に食べてくれるとは鼻から思っていないが、やはり少し懐疑的になる。
「戸塚……本当にこれでいいのか?このままじゃ一週間後もただの変態で終わりそうなんだが……」
「大丈夫だって、俺を信じろ!」
「……はいはい、信じるよ」
「はぁ……」と思いため息が漏れる。
結局の所、今は戸塚を頼る他方法は無いのがもどかしい。
だが戸塚のおかげで、玲美に認識してもらえたのは事実なんだ。
その変態になったという事実だけが、俺が戸塚を信じさせる唯一のなんとも頼りない結果だった。




