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死んでていいから生きててほしい  作者: やりいかのフリット
34/61

消せない罪、与えられない罰 Ⅲ

「でさー、昨日アイツあの後コンビニでさ――」

「超うける〜。ヤバすぎでしょ!」

 ガラガラと音を立て、僕は自分の教室である1-C組の教室の扉を開ける。

「……」

「……」

 僕が教室に入ると、さっきまで楽しそうに談笑していたクラスメイト達が一斉に静まりかえった。

 音の無くなった教室には、真っ黒な雨雲から降り注ぐ雨水が窓や地面に当たる音だけが響く。


「やぁやぁ西園寺くん。今日も不倫のトレードマークの金髪がお似合いだぁ」


 僕が席に着くと一人、嬉々とした上ずった声で近寄ってくる人物がいた。

「その卑しい髪で君も男を侍らせるんだろう?あっ、君は男だったか」

 東郷佳月(とうごうかづき)――西園寺家の分家である東郷家の御曹司。

 小さい頃から大人たちに媚を売って育ったせいだろう、その笑顔も、言葉も、態度も、全てが虚無で、嘘くさいものだった。

「それにしてもお金で何でも解決なんて、流石名のある御家様はやる事が違いますねぇ。まさか社長夫人の不倫を隠蔽なんてさ」

「…………」

 東郷のその言葉に僕は沈黙した。

 何も言い返す事が出来なかった。

 一週間前。僕の母である西園寺アリスは、危篤状態だった母方の祖母の担当医との不倫が発覚し、西園寺家から勘当を言い渡された。

 そして母を追い出してすぐ、西園寺家は報道機関などを買収し、情報規制を行った。

 この程度の事は、各界に繋がる西園寺家であれば、造作もないことだった。

「いやぁ……本当困る事してくれちゃうよねぇ。これ、撮るの大変だったんだけどなぁ」

 東郷が、机の上に一枚の写真を叩きつけた。

「これは……どうして」

 息を飲む。

 そこに写っていたのは、母が清潔そうな雰囲気の青年と、カフェで仲睦まじくお茶をしている写真。

 だが、一部のゴシップ誌の人間しか持っていないはずのその写真に、自分の目を疑った。

「せーっかく東郷家(うち)の人達が、西園寺家を潰すために色々頑張って根回ししてくれたってのにさぁ……残念残念」

 僕の絶望する顔が期待通りだったのだろうか、東郷は僕の顔を見てニヤニヤと嬉しそうに笑った。

「頑張ったって……どういう意味?どうしてこれを君が持っているんだ?」

「あっ……わからない?あーそー、わからないか」

 わざと人を苛つかせようと戯けた口調で話した後、「あのね」と東郷は不気味に口を釣り上げた。

「君の母親は、僕の家の奴等にはめられた愚か者ってことさ。そこに映ってる医者の男は、東郷の人間なんだよ」

「…………⁉︎」


「きみの母親、一人ぼっちで寂しかったみたいだからさぁ、騙すのは超簡単だったよ。それで後は写真を撮れば、はい、不倫の証拠の出来上がりってわけ」

 母が不倫したことで、

 金は出していても、その事が決して消えたわけではない。

 西園寺家に直接幅をきかせられる父ならともかく、未だ何の権力も持たない僕に罵声を浴びせられるのは当然のことだった。

 母の不倫は、西園寺家の分家である東国寺家の者によるものだった。


 母は、祖母が急病で倒れ、病んでいて心が弱っていた。

 そんな時に父は西園寺家の血筋とは関係のない祖母の見舞いには行かずにいた。

 そんな時、優しくされれば心が傾いてしまうのも致し方ないものだろう。

 そして、その東国寺の策略にまんまとハマった母はスクープをとられたのだ。

「よくも……よくも母さんにそんな下劣な事を!君のせいで母さんは……母さんは――ッ‼︎」

 立ち上がり、叫ぶ。

 冬の冷たい豪雨の中、僅かな金銭だけを握らせられ、乱暴に家を追い出された母の姿が浮かんだ。

 母は何を言うでも無く、西園寺家の人間に頭を下げると、消えて行った。

 僕はそんなに、何もしてあげる事が出来なかった。

「あ……?あぁあぁやっぱり母親だもんねぇ。汚い淫行女だろうと肩は持つか!」

 下品に笑う東郷の唾が、僕の顔にかかる。

「ていうか君さ……本当にあの西園寺家の御曹司様なわけ?」

 ククッ、と意地悪く東郷は唇を吊り上げる。

「僕さぁ、君のお父様に会ったことあるんだよ。でもさぁ……君みたいに、そんな可愛らしいお顔じゃなかったよぉ?」

「それが……なんだって言うの」

「ねぇねぇ西園寺くん……僕にだけ教えてよ」

「……どういうこと」

「本当はさぁ……」

 気持ちの悪い東郷の顔が僕の耳元へと近付く。


「君って……あの淫行女がどっかで孕ませてきた子じゃ無いの?」


「…………‼︎」

 何かが、僕の中で壊れた。

 今まで幾度と無く抑えこられきたその感情が、決壊したダムから流れる水のように、溢れ出した。

「…………」

 護身用と渡されていたポケットナイフを取り出す。

 何処までも僕を、母を馬鹿にして、この悪魔は、早く駆除しないと。

「…………」

 ヒュッとナイフを払うと、東郷の切られた首元から、血が垂れた。

「「うわああぁぁぁああ」」

 教室が悲鳴に包まれ、一瞬遅れた後、東郷が床へと倒れた。

「が……ぐが……」

 東郷は首に手を伸ばしながら、壊れたおもちゃのようにカクカクと全身を震わせている。

「お前のせいで……お前達のせいで母さんが――ッッ!」

 馬乗りになる形で東郷に跨り、無我夢中にナイフを突き立てた。

「母さんがお前達の家に、何をしたっていうんだ――ッッ!」

 母は泣いていた。

 ゴミのように扱われ、西園寺家から追い出される時、母は泣いていたんだ。

「どうして何もしてない母さんが……あんな目に合わなきゃいけないんだ!」

 ぶち……ぶち……と壊れた感情は止まらなかった。

「あああぁぁぁぁああああ――ッッ‼︎」

 僕の手にしたポケットナイフが、東郷の左胸へと突き刺さった。

 さっきとはまるで違う重い肉の感触が手に伝わる。

「…………」

 どろりと生暖かいものが僕の手に流れると、東郷は動かなくなった。

「はぁ……はぁ……」

 罪悪感は無かった。

 いやそれどころか、僕の心は母を陥れた屑を懲らしめたことで、高揚感に似た何かを感じていた。

「おい!人が倒れてるぞ!救急車を早く」

 遠くから救急車のサイレンが鳴り響く頃――

 僕は教室にやってきた警察に取り押さえられた。

「終わった……終わったよ、母さん」


 目の前にある悪魔の死体を見て、笑みが溢れた。


 これでいいんだ。これで終わったんだ。


 僕は母の恨みを晴らした。


 優しかった母を貶めた、醜い悪魔を、僕は懲らしめたんだ。


 それで罰を受けるなら、それで構わない。


 母を陥れた人間が生きているぐらいなら、



 xxx



「坊ちゃま、どうされました?」


 自室の姿鏡の前で固まっていると、執事の柏木が声をかけた。

「ううん、何でもないんだ」

 僕は鏡に映る、男か女かも分からない()()の人間から視線を外すと、柏木の方へ向いた。

「ただちょっと……あの時のことを思い出してただけだよ」

「……左様でございましたか」

 目を閉じ、体に染み付いた動作で頭を下げた。

 柏木(かしわぎ)周三(しゅうぞう)――歳は63、痩せ気味の体と“どうせ白くなるなら”と言って真っ白に染め上げた白髪頭が特徴の、この西園寺の執事長を担っている人物だ。

 西園寺の執事として働いて、もう40年以上になると柏木からは聞いたことがある。執事でありながら、西園寺家の当主である父にも話を通せる、数少ない存在だ。

「坊ちゃま……あの事件はもう2年も前の出来事でございます。坊ちゃまも来年からは立派な高校生です。どうか前を向き、新たな道を歩んで下さいませ」

「うん、そうだよね……」

 高校生、か……。

 心の中で、そう小さく呟いた。

 僕の罪を被った少年は、どうしているのだろうか。

 高校に行けるのだろうか。

 無実の償いのために、未だ少年院なのだろうか……。

 顔も名前も分からないその少年のことに、僕は思いを馳せた。



 2年前――僕は一人の人間を殺した。



 けれど僕は罰を受けていない。

 誰からも責められる事はない。


 だってその罪は――他の誰かが被ったから。


 僕の家である西園寺家は、政府の大臣などにも通じ、この一帯の地域を牛耳る名家である。

 だから警察に口を聞かせるのなんて簡単な事だった。

 西園寺家は元々、何か不祥事があればそうして揉め事を隠蔽してきた。

 2年前――母が分家の人間にはめられ、不倫をしてしまった時もそうやって隠蔽する事で、事なきを得た。

 しかし僕の起こした事件は、母のものとはまるで違うものだった。

 不倫なんて、そんなゴシップのネタなんかでは無い。

 殺人。それが僕の罪だ。

 いくら口封じをしようと、隠蔽など出来るものでは無い。

 そこで西園寺家は、一つの解決策を考案した。

 それは――犯人の模造だ。

 隠せないというのであれば、新たな犯人を作り上げれば良い。

 それが西園寺の出した答えだった。

 西園寺は各報道機関や、裏の世界の人間に金銭を渡すと共に、隣町の中学校に通う見ず知らずの少年に、僕の東郷を殺した罪を被せる算段を立てた。

 何故僕の学校からではなく、他所の学校の生徒に白羽の矢が立ったのか。

 それは定かではないが、使用人たちの会話を盗み聞きするに『その少年は西園寺家に近しい者の親族』だったから扱いやすかったということらしい。

 そして西園寺家は、その少年の両親を脅し、無理矢理息子が殺人犯となる事に、了承させた。

 そして計画は実行され、僕の代わりに逮捕されたのはその少年。

 次の日の朝刊には『非行少年、有名私立学校に通う生徒を、逆恨みし殺害』という記事が載っていた。




「また学校へ行くのか?優宇」

 階段を降りて居間に行くと、ソファにもたれながらタバコを吸う父――西園寺晴臣(はるおみ)の姿があった。

「う、うん……ちゃんと行かないと、卒業出来ないから」

 その言葉に、父はキツく僕を睨んだ。

 父は、23の若さで僕を産んだ。

 相手はイギリスの資産家の一人娘であるアリス・エヴァンズ。父は日本に旅行に来ていたそのエヴァンズ家と偶然出会い、そこから交流を深め、結婚へと至った。

 それが偶然などでは無く、西園寺家の人間が仕組んだ事であったのは、語られなくとも簡単に察する事が出来た。

 多額の資産を持つ母と結婚したことで、西園寺家は富を手にした。そしてその資金でグループを拡張。元より名のある企業であった西園寺グループは、今のように世界に名を馳せる大企業にまで成長した。

 そして利用価値が無くなった事で、父を含み西園寺家の人間は、母を、ゴミのように扱った。

 西園寺家の中で母は“跡取である僕を産んだ”という、それだけの価値しか見出してもらえない人間となった。

 けれど母は、一度だって父の愚痴など言わなかった。

『父さんはね、とてもいい人なのよ。私と優宇のために、一生懸命働いてくれているの』

 それが母の口癖だった。

 3年前――母方の祖母が倒れた。

 西園寺家に財産を搾り尽くされ、入院する事もままならなかったために、父はイギリスの祖母を呼び寄せ、西園寺グループの病院へと入院させた。

 祖母の病気は重く、助かる見込みは無いという事は、医師から言われていた。母はその事に気を病み、毎日祖母の入院している病院へと足を運び、看病していた。

 日に日にやつれていく祖母を見ている内に、母から笑顔は消えていった。

 けれど……父はそんな母に、何の言葉も掛けてあげはしなかった。

 だから昔から、僕は冷たい父の事が嫌いだった。

 そして、そんな冷酷な父の血が流れていると思うだけで、今にも吐き出したくなるような気持ちになる。

「あんな場所通わなくたって、中学を卒業した証明書ぐらい作れるぞ」

 眼鏡の奥の鋭い眼光が睨む。

 父にとって、僕という存在は息子では無く、ただの西園寺の跡取という事の価値しかない。いつだって父が僕を見る目は、僕では無く、違う誰かを見ているようだった。

「そんなずるいこと……出来ないよ」

「ずるいだと……?優宇、お前は何か勘違いをしているな」

 灰皿に押しつけられた煙草が、小さな音を立てて火が消えた。

「お前は力を持っている――それは多くの人間を屈服させるほどの権力であり、財力だ」

 父はワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出すと、火をつけ、再び吸い始める。

「他の奴等とは元々違うんだよ。その力を使わずに隠し、他の人間と同じレベルのフリをする。その方がよっぽどずるいことだとは思わないか?」

「でも……」

「それにあの学校になんぞ、別に良い思い出なんか無いだろう?」

 その言葉に口をつぐむ。

 あの事件が起きる前より、僕は西園寺の跡取りとして敬遠され、友達などいなかった。

 良い思い出など無いといえば、それは真実であった。

「いくら金で口を塞いだと言っても、あの学校にいる連中は真実を知っている。そんな奴等と居ればお前も居心地はいいものではないだろ」

「そんなに学校に通いたいというのなら、今からでも転校出来る場所を探してやる」

「今から転校なんて……もう3年生の11月だよ」

「いいじゃないか別に。殺人犯として他の奴等に見られてるよりよっぽど楽だろ」

「……」

 殺人犯――その言葉に心臓の鼓動が早くなっていく。

 分かっていた。自分がそう呼ばれるべき悍しい存在であることは。

 だから……。

 だからこそ、その殺人犯である僕が裁かれていない事の罪悪感が、一層心を締め付けた。


「坊ちゃま」


 玄関の方で、柏木の呼ぶ声が聞こえた。

「お車の御用意が出来ました」

「う、うん。今行くよ」

 柏木にそう言ったあと、父へと視線を戻す。

「じゃあ父さん、行ってくるよ」

「…………」

 だがその言葉に、父はなんの言葉も返してはくれなかった。



 xxx



 車窓からは、いつもと変わらない灰色の世界が見えた。

「坊っちゃま」

 運転席に座る柏木が、後部座席に座る僕に声を掛けた。

「なんだい、柏木」

「私がお坊ちゃまの事に首を挟むのもおこがましいですが、坊っちゃまの悩みに一つ……意見しても宜しいでしょうか」

「あぁ、もちろん。柏木の意見が聞けるというのなら、僕も聞いてみたい」

 その言葉に、バックミラー越しの柏木が頷いた。

「二年前の件ですが……たとえ坊ちゃまの意思と反していたとしても、現実に、一人の人間の人生を犠牲にしてしまっているのですから、あの事件のことで坊ちゃまが責任を感じることは、とても当たり前の事と思いますし、それについて思い悩むことも、正しいことかと思います」

「そっか。やっぱりそうだよね!」

 自分の意見を肯定されたことで、意識せずとも気分が高揚し、声が上擦った。

 やはりそうだ。僕は罰を受けるべきだ。

 罪を犯したのだから、それは当然の事なんだ。

 そう感じていた僕に放たれた次の言葉は、冷たいものだった。


「ですが――私は、坊ちゃまは間違っていると思います」


「……え?」

 どういうことだろうか。自分が間違っている?

 疑問を浮かべる僕に、柏木が言葉を続けた。

「私は……今の坊っちゃまは、その罪から逃げる事ばかり考えているように思います」

「僕が……罪から逃げてる……?」

 何を言っているんだろうか。意のそぐわないその言葉に、僕は声を荒げる。

「違う!僕は逃げたりなんかしてないよ!だから罰を受けるために立ち向かおうと――」

「罰を受けることが……罪を償うということになるのでしょうか」

 静かだが熱の篭った声が、僕の耳を震わせた。

「罰を受ける事が出来れば……その罪から解放されるのでしょうか。私は償いというのは、一つでは無いように思います。罰を受けることで、それで赦されるとは思いません」

「じゃあどうしろって言うんだ?このまま罰を受けずに生きれば、それで僕の罪を無理矢理被らされた彼は、救われるとでも言うのかい⁉︎」

 二年間探しても答えの見つからない事に、八つ当たりするように柏木に声を荒げた。

「ごめん……」

 そんな自分に気づき、すぐに謝罪した。

 車内がしばしの静寂に包まれた後、柏木が口を開いた。

「一つだけ……償う方法があります」

「本当か!なんだいそれは?ぜひ教えてほしい!」

「それはーー」

 一呼吸おいた後、柏木の口からその言葉は紡がれた。


「坊っちゃまが、幸せな学生生活を送ることでございます」

「……え?」

 突拍子の無いその言葉に、暫く思考が停止する。

 驚いたというより、呆れたと表現した方が、近い感情だったと思う。

「……柏木、お前が冗談を言うなんて珍しいね」

「冗談などではございません。私の本心です」

「ふっ……学生生活を楽しむ……?それが本心だって?」

 笑わせる。

 二年間俯いたままの僕を励まそうと、無理矢理作り上げた言葉がこんな陳腐な提案とは。

 柏木も所詮、僕の事を考えてはくれない有象無象と変わらなかったわけだ。

「それのどこが償いだっていうんだ!そんなの、罪を忘れているだけじゃないか!それこそ罪から逃れてるだけじゃないか!」

「……いいえ、忘れるなんてことはございません。背負って生きるのです。背負って、彼の楽しめなかった分まで、坊ちゃまが学生生活を楽しみ、幸せとなるのです‼︎」

 柏木がハンドルを強く握り、腕を震わせながらそう怒りを含んだ声で言った。

 柏木が冗談では無く、本気で僕のために言っているんだろうという事が伝わった。

「罪を背負って……その子の分まで僕が幸せになる……」

 けれど……いくら考えても、柏木のその提案が、正しい事だとは、僕は思えなかった。

「わからないよ……。柏木の言っていることは……全然分からないよ……」

 イヤホンを付けて、柏木の声を遮るように音楽を流す。

 けど、音量を最大にしてもイヤホンからは音は流れなかった。

 ずっとーーずっと体の奥から聴こえるもやもやとした気持ちの悪い音のせいで、僕の耳に音は届かなかった。

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