君と歩む V
【あとがきに、人物紹介あり。】
父と母は、少し他のお店を見てくると言っていた。
だからーーここで待っていなさいと。
けれど、それから何十時間経っても、父と母は帰ってこなかった。窓を見ると、外はもう暗闇が包んでいた。
“捨てられた?”
その言葉が頭をよぎり、私は店を飛び出した。
捨てられたから、両親を追いかけに飛び出したのではない。
捨ててなどいないーー両親はそんな事をする人では無い。それを確かめるために、私は飛び出した。
街には雨が降っていて、一歩踏み出す度に大粒の雫が体に当たっては、弾けていった。
雨で瞳が潤み、街灯や、月明かりの白い光が、潰れた絵の具のように、滲んで見えた。
周りには、たくさんの人がいた。
けれど、私はずっと一人だった。
ずぶ濡れで幼子が走っていたというのに、皆ーー私を無視した。
そんなものなど無いように振舞っていた。
いつしか人が居なくなり、静けさが街を包んだ頃ーー道の端でうずくまる私に、一人の老婆が声をかけた。
“どうしたんだい?”
老婆の紡いだ言葉は、そのたった一言だった。
けれどーー“私”を見てくれた。
たった一つのその事実が、私の心を和らげてくれた。
そして私は老婆に抱きつき、泣いた。
老婆は突然泣きついてきた私に、何を言うでも無くーーただ、ずっと抱き締めてくれていた。
そしてその時、決めたーーこの老婆のように、私も最後まで人に寄り添える人であろうと。
“独り”だった私なら同じ境遇の人の味方になれると思った。
けれど、私はあの頃と全く変わらない。
ただ雫で顔を濡らすーー幼子のままだった。
「ユミ……」
懐かしい呼び名で星空先生は私をそう呼ぶと、ポケットからハンカチを手渡した。
「ありがとう……」
私はそれを受け取り、ぐちゃぐちゃになった品の無い顔を拭いた。
「にしても、お前の泣き顔なんていつ以来だろうな。記念写真でも撮っとこうかな〜」
意地悪そうにお姉ちゃんは笑みを浮かべると、手にした携帯を私に向けた。
「も、もう!茶化さないでよ‼︎」
私はカメラの前で手を振って撮影の邪魔をする。
だがお姉ちゃんは慣れた手つきでそれを掻い潜ると、シャッターを押した。
「へへ〜、どーよこれ、超綺麗に撮れてるぞ?」
そう言ってお姉ちゃんが見せた写真には鼻水を垂らし、口にハンカチに手を当て、茹で蛸のように真っ赤な顔をして手を振っている無様な人間の姿が写っていた。
「待ち受けにしよ〜っと」
「だ、だめ!それだけは流石に嫌だ!」
だが言うが早いか、ピロリンという音と共にお姉ちゃんは待ち受けになったその写真を見せて来た。
「どーよ、可愛いだろ」
「もー!可愛くないよ!恥ずかしいだけだよ‼︎」
感情を込め、本気でそう言ったはずなのに、怒る私の姿を見てお姉ちゃんはただ腹を抱えて笑っていた、なんとも腹立たしい。
そしてしばらく笑うと「ふー」と一呼吸を置いて、お姉ちゃんは口を開いた。
「それで?落ち着けたか?」
「あっーー」
その言葉でハッとした。私の顔にあった大量の水分はいつのまにか乾ききっていた。
「お前は頭が良いからな。冷静になればすぐに答えはでるはずさ」
コトッと首からぶら下げていた携帯電話を机に置くと、お姉ちゃんは私の瞳を、真っ直ぐに見つめた。
私はそれに応えるよう、頷き、深呼吸すると、ゆっくり、自分の言葉に嘘がないか確かめながら、言葉を紡いだ。
「私はーー二階堂君に、夢を叶えてもらいたい!諦めることなんかないってーー誰にだって出来るんだって事を彼に伝えたい!誰も彼を信じてあげないとしてもーー」
そうだーーこの世界の全員が彼の存在を邪険し、見て見ぬ振りをするのだとしても、私は彼のそばにいてあげたい。
彼がどんな罪を犯しているのだとしてもーー
「私はーー絶対に彼という人間を、信じ続けます‼︎」
相当な圧だったのだろうか。お姉ちゃんは目を丸くして驚いた後、嬉しそうに唇を緩めた。
「ふふっ……なんだ、ちゃんとわかっているじゃないか」
お姉ちゃんは立ち上がると、優しく私の頭に手を置いた。
「その気持ちを忘れるな。お前はいつだって真っ直ぐで、正直にあいつに向かってやれ。あいつは馬鹿だからな、難しい言葉を並べたってわからない。行動で示すんだ」
「うん。お姉ちゃん」
久しぶりの温もりに、どう反応すればいいか分からずにいながら私はそう返事をした。
「三日月、今は先生だ」
「あっ……す、すいません先生」
入学して、初めて姉の呼び名を間違えた。すぐに訂正する。
「ははっ、全く……世間というのは面倒くさいものだな。たとえどんな仲だろうと、肩書きや、その立ち位置によって、それも満足に出来ないよう縛り付けられる。その“縛り”のために人は気を使って、時に何も言えなくなってしまうーー」
けどさーー、そう言って星空先生は宙を仰ぐと、昔と同じ無邪気な少年のように笑う。
「そういうのも、奥ゆかしくって、中々悪くないだろ?」
西日が、先生の横顔を照らしていた。
「ユミ。明日はちょうどシスターの三回忌だ。いい報告が出来るように頑張れよ」
照らされていない方の唇が、優しくつり上がった。
「うん!」
私は、どちらで笑っていただろう。生徒だろうか、妹だろうか。
けれど、私の葛藤の末にあるその笑みは、きっと他の人には、同じ微笑みにしか見えないのだろう。
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なんとうっかりしていたのだろうか私は。
まさか進路表のプリントを、自分の分を提出し忘れるとはーー
ガラガラと教室の扉を開け、右から四列、前から五番目の自分の机を除くと、そこに目的のプリントはあった。
「よかった……」
と一先ず安堵する。
「さて、早く提出せねば」
私は急いで教室を出て、廊下を走る。
廊下を走るな、そのあまりにも普遍的な当たり前の事を委員長という立場の私が破るのは如何なものだろうか。
そんな事を考えながら。
「うわっーー」
廊下を曲がったところで、あわや人とぶつかりそうになった。
「なんだ、委員長でも廊下とか走るんだ。校則違反だぜ?」
二階堂歩夢はそう言ってヘラヘラと笑った。
このような謂れのない言葉を吐かれるのは、小学生の頃初めて委員長という役職についてから何度目だろうか。
この前までは、普通に仲間として、ただの一クラスメイトとして見てくれていたのに“委員長”という役職についた途端に人は私から距離を置き、規則を守るのが当たり前だと課した。
だが、私も普通の人間だ。急いでいる時は走りもするさ。
「あれ?それもしかして委員長の進路表?」
二階堂は私の持つプリントを覗き込んだ。
「あぁ、そうだが」
「ふーん、良かったら見せてくれよ。学年一の秀才ーー我らが委員長様がどんな道に進むか、ちょっと気になるし」
隠してもしょうがない。私はそれを彼へと見せることにした。
「受け取れ」
持っていたプリントを二階堂へと手渡す。
私の進路表を見た二階堂は、一瞬、目を丸くして驚くと、またいつもの不貞腐れた様な表情に戻り、つまらなそうに私にプリントを突き返した。
だが、それも無理はない。
なんせ、私の第一志望に書かれているものはーー
彼と同じ“高校の教師”だからだ。
「頑張れよ。委員長ならきっと良い教師になれる」
プリントを突き返した二階堂は、私の横を通り過ぎて行った。
彼の背中がどんどん小さくなり、遠のいていく。
その姿を、私はーー
「二階堂君も、目指せば良い‼︎」
見逃す事など、出来るはずもなかった。いや、しようとなど思わなかった。
もう迷わないと、彼を支えていくと、私は心に決めたんだ。
「ん……?」
二階堂は、頭だけをこちらに向けて立ち止まった。
「もし今のキミに夢が無いのならーー私と一緒に……教師を目指す気はないか!」
全身全霊のその言葉を、二階堂は鼻を鳴らして笑った。
「まぁ、気が向いたらな」
二階堂は再び背を向けて廊下を歩き始める。
その背中はやはり、とても寂しそうだった。
二階堂歩夢ーー私は彼の事をこの学園に来るより前から知っていた。
たまたま読んだ新聞の端の欄ーーそこに小さく、彼の名前が載っていた。そして、彼の家族がその事件のせいで崩壊してしまったということもーー
きっと彼は、色々な人の罵声、罵倒をあの背中一つで受け止めてきたのだろう。
だからあの背中は、ずっと寂しそうに見えるんだ。
寂しくて、孤独で、とても傷だらけに見えるんだ。
「私は、待ってるぞ!」
だがいつか、私は彼を振り向かせてみせる。
彼が背中から罵倒を浴びせられたと言うのならーー
私が正面から、彼を励ましてやればいいだけの話だ。
そしていつかーー彼が皆に胸を張って、前を向いて歩ける人間になって欲しい。それが私の願いだ。
「あぁ、ありがとよ」
ヒラヒラと手を振って、二階堂は廊下の奥へと姿を消したーー
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「それで、今に至るというわけさ」
三日月は照れ臭そうな表情をしながらクッキーを焼いているオーブンを見つめていた。
「“適当”という言葉すら分からないーー私はとんでもなく不器用な人間だ。色々と至らない事だらけだったと思う……どうか、許してほしい」
そう言って、三日月は視線を床へと下げた。
「もし……二階堂が迷惑だというのなら、私は手を引くよ」
聞き逃してしまいそうなほど小さな声で、三日月はそう口にした。
「これはーー私の君に対する、勝手なエゴでしかない。私が君に勝手にシンパシーを感じてしまっただけだ。だからーー」
「責任、とってくれるんだよな」
尻すぼみに言う三日月の言葉を、俺は遮った。
「責任……?」
予想だにしなかっただろうその言葉に、三日月は目を丸くする。
「あぁ、俺が教師になれなかった場合の責任だ」
こんな意地を張ることでしか、恥ずかしくて三日月の提案を受け入れることが出来ないなんて……本当、俺は三日月や彩音の言うようにバカだな。
「お前のその話に、乗ってやる」
『二階堂、三分の遅刻だぞ。社会に出た時に失格だ』
『なんだ二階堂?2限の数学の教科書ならちゃんと貸し出す用のも持ってきている。遠慮なく使っていいぞ』
三日月弓流ーー堅実で、賢くて、俺たちのクラス委員長である彼女。
『アヤちゃんは私の親友だからな』
『神倉君がせっかくここまで言うんだ。やってみる価値はあるんじゃないか?』
『文那ちゃんの誕生日かーーもちろん手伝わせてもらうよ』
彼女は誰に対しても優しかった。それは、問題児である俺にも例外じゃなかった。
彼女はずっとーー俺と向き合ってくれていた。
「そのために、めっちゃ勉強する。絶対に教師になってやるよ」
「二階堂ーー」
「けどーーもし仮に、それでも失敗した時はさ……多分、めっちゃヘコむから……その時は俺の事、ちゃんと励ませ。それが三日月が俺にやる気を起こさせた事への責任だ」
三日月は俺のことを想って、俺の“教師になりたい”という夢を知っていて、それをずっと密かに応援してくれていた。
その気持ちを無下にする事なんて、出来るはずもなかった。
いやーーしようとなんて思うはずもなかった。
「…………」
言っている言葉が上手く理解できなかったのか、三日月はしばらくフリーズした後、フッ……と口に手を当てて吹き出した。
「いいだろう。そんなことぐらいお安い御用だ。君と歩む覚悟など、とうの昔にしているさ」
「ははっ、そうか。そりゃあ心強い」
ふと窓の方を見ると、空は黒く染まり、いつのまにか夜の帳が降りていた。
「では、よろしく頼むぞ。私と君は、一緒に立派な教師になるんだ」
窓には、綺麗な三日月が映っていて、俺の心を明るく照らしてくれていた。
三日月弓流
年齢:16歳
誕生日:7月7日
好き:子供,少女漫画,
嫌い:目分量,大体,適当,ピーマン
性格が委員長なのではなく、委員長だから性格が堅くなっているタイプ。
自分を厳しく矯正しているため、学校から離れた本来の姿は照れ屋で非常に物腰も柔らかい。
『星の子園』という孤児院で幼少期から育ち、同じ星の子園で姉妹のように育った担任の星空月とは仲が良いが、その事はお互いに公言しないようにしている。
高校入学と共に星の子園を卒園してからは、六畳一間のアパートで一人暮らしをしている。
料理本を読んでも作れないため、星の子園にいる中で習った『味噌汁』と『焼き魚』と『肉じゃが』以外何も作れない。だが他の家事については超一流で、部屋にはチリ一つない。




