君と歩む Ⅲ
とは言ったものの、一時間後ーー悪戦苦闘の末に、各々のテーブルの前には、なんとか人に食べさせる事が許されるレベルのクッキーが並んだ。
ただ一人を除いて…………。
見ると、問題のその人物は「うーん」と唸りながらかれこれ1時間ボウルとの睨み合いを続けていた。
どちらも『笑い』という感情を知らないために、勝負は超長期戦が予想されていた。
「なぁ彩音……委員長はいつまであぁしてるんだ?」
ホイッパーで牛乳と粉とを混ぜながら、隣で新しい生地をこねている彩音にそう問いかける。
「納得のいくまで、じゃないかなぁ」
「納得のいくまでって……目分量と、どれだけ混ざれば生地の完成かなんてーーそんなのいつまで経ってもわからないぞ」
「じゃあそれ、ユミちゃんに言ってあげればいいんじゃない?」
「言ったさ。けど『そんな適当にやって失敗したらどうする!』の一点張りで聞かないんだよ……」
「ユミちゃんは慎重な子だからね、それにーーちょっとだけ怖がり屋さんだからさ、許してあげてよ」
彩音はクッキー作りに真剣なのか、俺には目もくれず、柔らかいトーンでそう言った。
怖がり屋さん、ねぇ……。
ただ失敗して皆に笑われるのが嫌なだけなんじゃないか、とも思ったが、その言葉は流石に飲み込んだ。
「みんなが順調に進んでるのに、一人だけああいう問題児がいると、全く困ったもんだよ……」
全く……委員長にも『みんなをまとめる立場』というモノを考えてほしいものだ。
「ふふっ」
彩音を見ると、何故かクスクスと笑っていた。
「……ん?何か変なこと言ったか?」
「言った言った。“アンタが言うんかい!”って、思わず心の中でツッコミ入れちゃったよ」
「はぁ?なんだよそれ」
また俺をからかってるのか?とも思ったが、どうやらそうでもなかった。
「ユミちゃんも、あゆっちに同じこと言ってたよ」
彩音は生地に視線を向けたまま話し続ける。
「しかも、あゆっちが面倒ごとをいっぱい起こすからほぼ毎日ね。帰りにフードコートで一緒に食べてる時でもだよ」
「なんだよ、委員長とお前で俺の陰口か?」
「ううん、陰口なんかじゃないよ。ユミちゃんはそう言った後、必ず『あゆっちがどうしたら真面目に取り組んでくれるのか』っていうのを探してたんだよ」
「本当、なのか?」
学校では問題児扱いの俺の事を、委員長がそんなに考えてくれているなんて、思ってもいなかった。
「うん。ホントのホント。ずっと悩んでーー絶対にあゆっちの事を見捨てなかったよ」
「そうだったのか……」
脳裏に、委員長の姿が浮かぶ。
遅刻すると『人の信頼はを勝ち取るには、まずは約束の時間を守るからだ!』と担任の先生よりも怒る委員長。
プリントの提出期限を守らなければ『社会に出た時に困るぞ!』と怒る委員長ーー考えてみれば、あれはどれも怒ってたのではなく“説教”で、俺の将来を案じていてくれていたものばかりだった。
「だからね、あゆっちーー」
ピタリと、彩音は生地をこねるのをやめ、真っ直ぐに俺の瞳を見た。
「あゆっちも、ユミちゃんの事、諦めちゃダメだよ」
優しく諭すようにそう言うと、彩音はまた視線を戻しクッキーの生地をこね始めた。
「鈍感なあゆっちに、少しヒントをあげちゃいます」
ふふっ、と彩音は微笑む。
「ユミちゃんは頭がいいから、私たちよりも色々なものが見えるの。だから、色々な可能性が見えちゃうばっかりに、慣れないことには、少し臆病になっちゃうんだ」
俺は彩音の言葉に聞き入った。
少しでも、委員長の事をーー知ろうと思ったから。
「だからね。ユミちゃんには、言葉じゃなくて、見せてあげればいいんだよ。ユミちゃんは頭が良いから、きっとすぐに覚えてくれると思う」
言った後、彩音は「ヒント、あげすぎちゃったね」と言って微笑んだ。
「お前は、よく委員長のことを見てるんだな」
「そりゃもちろん。ユミちゃんは私の大大大親友だもん。泣かしたら、許さないんだからね」
「ふっ…そうか。気をつけるよ」
俺はかき混ぜていたクリームのボウルを彩音に差し出した。
「彩音、これ頼んでいいか?」
「うん!もちろんだよ」
「ありがとう」
ボウルを渡すと、俺は彩音へと背を向けた。
「歩夢ーー」
いつもとは違う呼び名で、彩音は俺のことを呼び止める。
「行ってらっしゃい」
振り向くと、彩音は顔一杯に向日葵の様な温かい笑みを広げていた。
「あぁ、行ってくるよ」
俺も彩音に優しく微笑むと、委員長のテーブルへと向かった。
「三日月、それちょっと貸してくれ」
テーブルにつくなり、俺はそう言って三日月が睨み合いをしていたボウルを指差した。
「どうしたんだ急に、別にいいが」
小首を傾げる三日月から了承を得ると、俺はその中に入ったバターをホイッパーでかき混ぜる。
「まずーーお前の迷ってる『バターを白くなるまでかき混ぜる』って書いてあるのの指す“白”っていうのはこの色だ」
俺はボウルを傾け、中に入ったバターを三日月へ見せる。
「えっ。だがこれはどう見てもまだ黄色いぞ」
「そう思うだろうが、これがクッキーで使うバターの白さなんだ。本には“白っぽく”とか曖昧にしか書いてないから、しっかりと覚えとけ」
そう言うと三日月は「わかった」と言って、まるで顕微鏡を覗き込み何かを研究する学者のように、じっとバターを見つめていた。
「次に、三日月の気にしてる目分量っていうのは……何度も言うが、テキトーって事だ」
三日月に教えられるように一生懸命考えたが、語彙力も説明力も足らない俺では、やはりそう言うしかなかった。
「そのテキトーというのが…私には、よくわからないんだ」
うつむき、弱々しくそう三日月は呟いた。
さっきまでの俺なら、ここで三日月の事を、ただの細かい人間だと思っていただろう。
けれど彩音に聞いてわかった。三日月は本当に繊細で、誰よりも真剣に物事に取り組んでいてーーだから、それに出来る限り応えようと思った。
「三日月、目を瞑れ」
「…ん?どうしてだ?そんなこと料理本にはーー」
「いいから」
納得は言っていないようだったが、小首を傾げながら三日月は目を瞑った。
「両手を前に出して」
「こ、こうか?」
そう言って差し出された三日月の両腕は、目をつぶっていて不安なのだろうか、少し震えていた。
細い三日月の腕に、俺は大量に砂糖の入った袋からを乗っけた。
「なっ…なんだこれは⁉︎」
三日月は急に自分の手に乗っかった重みに驚く。
「それは砂糖の袋だ。傾ければボウルに入るように封が切ってある。自分で入れてみろ」
「だから、私にはその入れるべき分量がーーそれに、目を閉じたままじゃ目分量なんてそれそのものがわからなーー」
「いいか三日月、よく聞け」
慌てる三日月に、俺は努めて冷静に、ゆっくりと、言葉を紡いだ。三日月の不安を和らげられるように。
「今作ってるのは『文那の誕生日クッキー』だ。料理本に載ってる『ホワイトクッキー』じゃない」
三日月が目分量がわからないと言うのなら、三日月が分かる新しい分量を定義してあげればいい。考えてみれば、なんら難しいことは無かった。
「だから、分量はお前が決めていいんだ。お前が文那に美味しいって思ってもらえるような分量ーー気持ちを入れればいいんだよ」
「私が、文那ちゃんに美味しいと思ってもらえる気持ちの量ーー」
「あぁ、それなら見なくても出来るだろ?」
「……わかった。やってみるよ」
三日月はそう小さく呟き、しばらく黙りこんだあと「よし」と気合を入れ、袋を持つ手に力を入れると、
「やあああ‼︎」
掛け声と共に、袋にあった全ての砂糖をボウルへとぶちまけた。
「ど……どうだ?上手くいった……か?」
薄目を開け、恐る恐る三日月はボウルを見る。
「ぷっ…くくっ」
呆気にとられた後、思わず笑いが俺のお腹をくすぐった。
「あははははは‼︎三日月、流石に中身全部はないって‼︎あははは‼︎」
砂糖でてんこ盛りになったボウルを見て、三日月の顔が耳まで朱色に染まる。
「おーーお前が私の思った量でいいって言ったんじゃないか‼︎」
「ははは、いや…だからって…全部は流石に…くくっ…想定外‼︎あはははは‼︎」
「わ、笑うな‼︎この阿呆め‼︎」
顔を真っ赤にしながら三日月はポカポカと俺の体を叩いてきた。
「いやー、お前って思ったより大人でもないんだな」
三日月弓流はーー神のような奴だった。
勉強が出来て、しっかりとしたその態度と、誰にでも平等に接するその姿勢は周りの人を惹きつけ、全生徒の憧れの的だった。
けれど俺は、勉強も出来なければそんなに協調性があるわけでもないーーただの問題児だ。
だから、俺の目に映る誰からも好かれるその姿はずっと委員長で、俺とは正反対の、手の届かない人間だった。
「あ、当たり前だろう‼︎私は普通の高校生だ‼︎」
けれど、そうではなかった。
委員長は、普通に友達とご飯を食べて、話をするーー神でも何でもない、俺と同い年で、同じ高校に通うーー普通の高校生だった。
そんな普通の高校生だというのに、彼女は人一倍努力をしてクラスのみんなをまとめ上げるリーダーとして、頑張ってくれていた。
「そんな当たり前の事を、忘れてるなんてなーー」
今までの懺悔の意味も込めて、俺はしばらく三日月に殴られたーー
「そういえばーー三日月ってなんで俺にあんな厳しいんだ?」
ほとぼりが冷め、クッキーが焼きあがるのを待つ間、俺はおもむろにそう口を開いた。
少し、自分でも驚いた。なんせ初めてだった。こうして三日月に“雑談”のような事を話すのは。
「それはーー当たり前だろう。お前が遅刻したり、授業中に居眠りしたり、テストで赤点ギリギリだったり、日直の仕事を全くしないしーー」
「わかった、わかった……俺が悪かった」
流石にそれ以上は、俺の心が持たなくなりそうなので、静止した。
「でもーー厳しく当たるのは、それが本当の理由じゃない。もっと別のものだ」
三日月は、ボウルに視線を向けたままそう呟いた。
「え?そうなのか?」
「聞きたいか?」
そう言うと鼻を鳴らし、三日月は無邪気な瞳をこちらに向けた。
そんな楽しそうな三日月の顔を見るのは初めてで、その表情が少し彩音を見ているようで意地悪をしたくなったが、興味の方が勝り、素直に受け入れた。
「あぁ、聞かせてくれよ。当事者として、是非聞きたいね」
「そうか。ではーー」
そう言って三日月は、彼女の物語を語り始めた。
親友の悪口を言われて怒るでもなく、冷静に場の雰囲気を悪くしないよう言葉を選びながら歩夢の事を諭した彩音、とても素晴らしい人間だなと思います。彼女が幸せになれることを、心より願ってーー
聴いてください『君の知らない物語』




