第107話 弟子未満、付き人以上
王都・アーケイン・レジストリ。
朝から騒がしかった。
「いやだから待って言うてるやろ!」
未央の声が廊下に響く。
「順番ですので」
受付のテレサが、いつもの丁寧な声音で返す。
「承知しました、順番ですので」
「二回言わんでええねん!」
未央はカウンターに身を乗り出す。
「こっちは人生の分岐点やねん!」
「承知しました」
「話聞いて!?」
横で怜が小さくため息をつく。
「未央、落ち着いて」
「落ち着けるか!」
未央が振り向く。
「中将から直々に『来い』言われてんねんで!?」
「うん、すごいことだと思う」
「他人事やな!?」
そこへ。
「お待たせいたしました」
テレサが書類を差し出す。
封蝋付きの分厚い伝票。
「こちら、ブリギット・アーウィン中将からの正式な通達になります」
未央の動きが止まる。
「……え」
怜も覗き込む。
「もう来てるの?」
「承知しました。今朝届いております」
「承知しました言うな!」
未央が叫ぶ。
震える手で封を切る。
中を開く。
読む。
数秒。
「……」
「未央?」
怜が声をかける。
未央はゆっくりと顔を上げた。
「……強制やった」
「え?」
「“来ないか”ちゃう」
「“来い”やこれ」
沈黙。
怜がそっと言う。
「選択肢、なかったんだね」
「なかったな!」
未央が天を仰ぐ。
「最初から決まっとったわ!」
後ろでマーラがくすっと笑う。
「よかったじゃん、悩まなくて」
「よくないわ!」
未央が振り返る。
「人生やぞ!?」
「うん、面白くなってきたね」
「軽っ!」
その時。
廊下の向こうから、重い足音。
ドン。
ドン。
ドン。
全員が無意識に姿勢を正す。
来た。
ブリギット・アーウィン中将。
朝から容赦がない。
「通達は受け取ったな」
未央が直立する。
「はい!」
「声が小さい」
「はい!!」
「よろしい」
満足そうに頷く。
そして。
「では来い」
「今!?」
即ツッコミ。
「今だ」
「心の準備とか!」
「不要だ」
「いるやろ!」
完全に振り回されている。
怜が横で小さく笑う。
「未央、頑張って」
「他人事やめて!?」
マーラが口を挟む。
「大丈夫大丈夫」
「何がや!」
「死なない程度に鍛えられるだけだよ」
「それが怖いねん!」
ブリギットが一歩踏み出す。
空気が締まる。
「時間がない」
「……何のです?」
未央が聞く。
「任務だ」
一言。
さっきまでの騒がしさが、一瞬で消える。
空気が変わる。
「外交任務?」
怜が小さく言う。
ブリギットが頷く。
「帝国へ向かう」
未央の目が少しだけ変わる。
「……帝国」
「そうだ」
ブリギットは淡々と続ける。
「状況は流動的だ。ヴェイルの出現頻度も上がっている」
「王国単独での対処には限界がある」
フィンの報告と、繋がる話。
怜は黙って聞く。
「よって、情報共有および戦力調整のための外交を行う」
「その随行だ」
未央をまっすぐ見る。
「お前を連れていく」
「……なんで私なんです?」
未央の声は、さっきまでより少し低い。
真面目なトーン。
ブリギットは即答した。
「お前が必要だからだ」
「それだけ?」
「それで十分だ」
間。
未央は少しだけ息を吐く。
「……私、まだそんな大層なもんちゃいますけど」
「知っている」
ブリギットは頷く。
「だから連れていく」
矛盾しているようで、筋は通っている。
「未完成だからこそ、見る価値がある」
未央は少しだけ目を細める。
「……監視ってことですか」
「そう取っても構わない」
あっさり。
隠さない。
それが逆に、信頼に近い。
未央は少しだけ笑う。
「正直すぎやろ」
「必要な情報は隠さない」
「ほんまやな」
未央は肩を回す。
「分かりました」
顔を上げる。
「行きます」
即決だった。
怜が少し驚く。
「いいの?」
「どうせ逃げられへんしな」
未央が笑う。
「ほな、乗ったるわ」
ブリギットが頷く。
「いい判断だ」
そして。
「出発は早い」
「いつです?」
「明日だ」
「早すぎるやろ!!」
訓練場に続いて、再び叫び声が響いた。
マーラが笑う。
「忙しいねえ」
「あんたのせいでもあるやろ絶対!」
「気のせい気のせい」
軽い。
だが。
その目は少しだけ真剣だった。
未央を見る。
ほんの一瞬。
そして。
視線を逸らす。
廊下の端。
怜は少し離れて立っていた。
未央とブリギットのやり取りを見ている。
遠くなる。
少しずつ。
「……行くんだ」
小さく呟く。
寂しさ。
不安。
少しだけ、混ざる。
その時。
「大丈夫だよ」
横から声。
マーラだった。
「未央は強いから」
「……うん」
怜は頷く。
でも。
それだけじゃない。
言葉にできない何かが、胸に残る。
マーラはそれを見ていた。
何も言わずに。
ただ。
少しだけ目を細めた。
「……似てるな」
小さく。
誰にも聞こえない声で。




