第十六話
ユファは官吏たちが使う庁舎を通り抜け、父や兄姉の執務室がある棟へと歩を進める。
どこも静まり返っているのに、肌を刺すような緊迫した空気が流れている。
いつもは廊下で誰かとすれ違ったりもするが、今日は誰とも行き会わない。
道すがら、兄姉の執務室を訪ねようと思ったが、執務室周辺に人の気配はなく、声をかけてみても返事がなかった。
とうとう帝の執務室に辿り着こうかという頃、ようやく人の姿が見えた。その人は頭を下げ、ユファを出迎える。
彼は確か、帝の筆頭文官だったはずだ。
「ユファ様、陛下がお待ちです。こちらへ。」
使いが先に着き、取次をしてくれたのだろう。父帝には追い返されなかったことに、ユファは少しほっとする。
通されたのは謁見の間ではなく、大きめの応接室だった。
上座には御簾が下ろされ、その向こうでは薬臭い香が焚かれている。
御簾の向こうで長椅子に腰掛ける人影が帝だろう。
ユファは礼をして、用意された席に着いた。
「……よく戻った。」
父とは交流の薄いユファだったが、それでも声に滲む疲れを感じ取った。
「父上、何があったのです? 都の様子がすっかり変わってしまっています。」
帝の様子を気にしつつ、気が急いて単刀直入な物言いになってしまう。
「兄様方にお手紙しても、お返事すら頂けず……」
「それはそうだ。返事が出来るわけもない。……あの子らは、もう、居ないのだから。」
ユファは、何を言われたのか理解できなかった。したくなかった。
「そ、れは……どういう……?」
「最初に倒れたのはメイファであった。都に入り込んでしまった病を食い止めようと、陣頭指揮を執っていた。」
盤上遊戯の好きな姉様の顔を思い出す。人見知りだけれど、盤上遊戯となると目を輝かせ、勇ましい顔をしていた姉様。
「タンロンはメイファとフェーロンの間で補佐をしていた。フェーロンはこの病が始まった頃から、秘密裏に薬の開発をしていたのだ。」
本が好きで、シャオジェ時代にはよく読書会や朗読をしてくれた、タンロン兄様。その耳心地のよい声が、聞こえた気がした。
植物が大好きで、薬草園を兼ねた植物園を任されていたフェーロン兄様。彼の美しい写生が目に浮かぶ。
「コンロンはタンロンの補佐だけでなく、シォンロンの補佐もしていた。シォンロンは周囲が混乱に陥らぬよう、上手く調整役をしてくれていた。」
いつも一歩引いて全体を眺め、必要な所に手を差し出していたコンロン兄様。言葉数が少なく存在感を消しているような人だが、優しいことを知っている。
末っ子三人組の中でも、リーダー格だったシォンロン兄様。いつもコンロン兄様や自分が不利益を被らないように、前に出てくれていた。
「シュロンとディロンが、最後の砦たと思っていたが、結局……。」
いつもディロン兄様を傍で支えながら、芸術を愛し守ろうとしていたシュロン兄様。
第一皇位継承者として、常に努力し、立派な背中を見せ続けてくれていたディロン兄様。
みんなみんな、もう、いない……?
呆然とするユファを置き去りにして、皇帝は話を続ける。
「幸い、フェーロンの用意した薬に効果があり、初期段階にこれを服用すれば症状はだいぶ軽くなる。今はこれを改良しながら、患者たちに投与させている。」
「お、お待ちください、父上……」
「ユファよ、もう待てぬのだ。もう、お前しか残っておらぬ。」
気持ちが追い付かず戸惑うユファに、悲しみを隠し切れない声音で、帝は事実を突きつけた。
そして、居住まいを正し、最後通告をするように重く一言を発する。
「そなたが次の皇帝だ。ユファ。」
***
この病は、風邪と同じような初期症状が一週間程続き、次いで高熱を発する。
高熱が出てしまうと、三日から四日で死に至る者が多く、運よく命が助かったとしても、今度は後遺症に悩まされる。
そんな話を聞きながら、ユファは空気を浄化する薬臭い香を炊きしめた部屋で、流行り病の対処の指示と、溜まった通常業務とを同時にこなした。
そんなにこの香が効くならと、部下たちには香を炊きしめた布を渡し、口罩として着けさせた。
ディロンやシュロンの残した資料が、粗方の課題を示してくれたお陰で、対処を考えるだけで済む。
フェーロンの残してくれた薬は、遺志を引き継いだ薬師たちにより、頒布と改良が続けられている。
メイファの資料も、病の収束に役立っている。どんな対応が功を奏し、または効かなかったのか、事細かに書かれていたから。
ここまで細かい資料を作るには、タンロンやコンロンも手を貸したのだろう。
こんな時こそジーレンの手を借りたかったが、彼は既に高熱にうなされているという。
一人でも多くの人に薬をと言いつつ、自分の分は後回しにしてしまったのだとか。
(わたくしには、戻ると言ったじゃないの。)
泣きたい気持ちを我慢して、ひたすら政務に励む。シォンロンはきっと、そうしていたのだから。
そうして業務をこなすうちにわかったことだが、離宮に押し込められたのは、結局、隔離の為だった。
血を絶やさぬよう、次代が少しでも安全に過ごせるよう、身籠った者たちだけ離宮に移されたのだ。
離宮にいる妃たちには、彼女らの夫の訃報を届けなかった。伝えたとしても混乱させるだけだ。
(恨まれても、仕方ないわね。)
年が明けて春になり、病が収束してすぐ皇帝は譲位を発表し、即位式の運びとなった。
(ああ、わたくしのシャオジェが産まれて、もう一年経つのね。お祝いをしなくては。)
そう思っても、なかなか自由になる時間がない。
部下に指示をして、離宮にささやかな祝いの品を届けさせた。
帝位について僅か半月後、父である先帝が亡くなった。過労が原因だったらしい。
(まだまだ、教わりたいことがたくさんあったのに……。)
同時に、自分の肩にかかる重みが増した気がする。
程なくして、療養していたジーレンの訃報も届く。
覚悟はしていたが、全身から力が抜けるような心地だった。
ぐっと耐えて、シャンと胸を張る。
わたくしがしっかりしなければ。
わたくしは今や皇帝なのだ。
わたくしがこの国を、みんなの残したものを守らなければ……。
◇◇◇
ふと、混濁した意識が急に引き上げられる感覚を覚える。
視線を巡らせると、いつもの皇帝用執務室だった。
目の前には、決裁済みの書類と、未決裁の書類が整然と並んでいる。
窓の外に目をやれば、夏の強い日差しが差し込んでいるところだった。
(そうだ、朕は少し転寝をするつもりで目を閉じたのであった。随分と懐かしい夢を見たものだなぁ。)
そう思って、ユファは口元に笑みを浮かべた。
帝位について15年が経つ。
さすがに当初の様な、守られてばかりのどこか頼りない自分は、もういない。
「失礼いたします。陛下、次のシャオジェ様方の成人の儀について、ご確認いただきたいことが……。」
「わかった。」
視線を窓から部屋に戻す。
顔を上げ、居住まいを正して、堂々と入室してきた文官を迎える。
みんなの遺したものは、朕が守る。
これにて終了です。
ご愛読ありがとうございました。




