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鍛冶屋の娘  作者: 美雁
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第九話 続々・彼女の出立の日

送り犬ーー単に化け犬、山犬と呼ばれることもある犬の姿をした妖である。

夜、山道を歩いていると現れ、ぴったり後ろについてくる。

転ぶと食い殺されるが、食べ物をやると道中守ってくれるとも言われている。

また、夜に雀が鳴くと現れることが多い。



その姿は普通の犬に比べると幾分大きい。

薄汚れた茶色の毛並みにぎらぎらと光る瞳だけが浮かび、輪郭が不明瞭に揺れた。


「送り犬……!」


はっとして声をあげた畦倉殿をじっと見つめた妖は、視線をそらして私の方に顔を向けた。


「こんばんは。良い夜だね」


話しかける私に送り犬はくぅんと鳴き声をあげて、その場に伏せた。

襲いかかる様子もなく、留まる妖に畦倉殿は刀を構えかけたままぽかんと間抜け面をさらした。


「……もしかして、ただの野犬ですか? いや、それにしても大人しい……」

「いや、送り犬だよ。夜が明けたらいなくなるから気にしなくて良い」


警戒心はそのままに、ちらりと私をみる畦倉殿に首をふる。

戸惑い顔の彼を寝そべった送り犬がつまらなそうに見ているが、敵意は欠片も見受けられない。


「送り犬っていうのは、長生きしすぎて妖になってしまった犬のことを言うんだ」


包みのなかに残っていた握り飯を取り出すと妖はぴくりと反応した。

条件反射のようにだらーっと垂れ出すよだれに思わず笑ってしまう。

食事なんて必要ないくせに。


「ほれ」


ぽいっと放り投げた握り飯に送り犬は素早く立ち上がって噛みついた。

がぶがぶと頬張るその様子はただの犬にしか見えない。


「人を恨みながら妖になったやつは、こうはいかない」


ぱたぱたと尻尾を振るこの妖はきっと人に飼われていたんだろう。

そして、とても愛されていたはずだ。


「深潭の森を抜けるこの道にいる送り犬は、夜の間だけ妖から守ってくれるんだ」


村の人間や商人からそう聞いていたから、私は特に慌てることもなかった。

話しておけば良かったかとも思ったが、きっと信じやしなかっただろう。

……連れてこられた意趣返しをしたかっただけとも言う。


「……しかし、送り犬自体も妖でしょう」

「なら徹夜でもして見張ってれば良いさ。明日寝不足で倒れても私には関係ない」


ひらひらと掌を振ってそういうと、彼はぐっと顔を歪めた。

握り飯を食べ終わった送り犬はくああ、と欠伸のような声をあげたあと、腕を顎の下にいれて目を閉じて見せた。

寝ている訳ではない。

畦倉殿に自分は無害だと示しているのだ。

その、無害な犬にしか見えない行動に、彼は迷うように視線を揺らした。


「寝たくないのなら先に火の番をしてくれ。月が中天までのぼったら交代しよう」


私は寝る、と布団代わりの上着を取り出すと、畦倉殿はこくりと頷いた。

彼に背を向けて地面に寝転がると私はそっと目を閉じた。

ぱちぱちと火の弾ける音が響く。

ざわざわと風が木を揺らす。

……そわそわと畦倉殿の気配がざわめいている。


「……あのさ」

「……はい」

「妖がそばにいるのがそんなに怖いか?」

「怖い訳ではありません」


畦倉殿の返答は思いの外強い語調で返ってきた。

背を向けているから、その表情は見えないが、容易に想像できてしまう。


「こんな近くに妖がいるのに刀を構えていないなんて……敵国の兵士と酒を酌み交わしている気分です」

「そんな大層な話じゃないさ」


首だけ動かして送り犬を見ると、楽な格好で寛いでいた妖と目が合う。

どこか理知的な光を持つその瞳に、畦倉殿の危惧するような恐ろしいものは感じられない。


「あいつは敵のつもりなんかないんだからさ」

「……」


返ってきた沈黙は戸惑いと困惑で彩られている。

当然と言えば当然と言えるだろう。

真古村で暮らす私は妖にたいした被害を受けていない。

華音がいるからあまりちょっかいを出してこないという面もあるし、私が牽制にいって行き過ぎた行為を抑えている自覚もある。

真古村ではひとと妖の共生ができていると言っていいと思う。

だから、今まで妖を絶対的な敵として接してきた畦倉殿とは感じ方が違って当然だ。


「……ま、良いさ。何かあったら起こしてくれ」

「……はい」

「言っとくが、私が見ていないからって華音に手を出さないでくれよ」

「出しません。あなたは私を一体なんだと思っているんですか、獣じゃあるまいし」


憮然とした声に、華音にほれた男はみんな獣さ、と心の中で返して目を閉じる。

畦倉殿の気配も静かになったから、やっと眠りにつける。

明日には彼の仲間が待っているという村にたどり着けるだろう。

……また華音をめぐって一騒動になりそうだ。

英気を養うためにもしっかり疲れを取ろう、そうしよう。





送り犬から、動く事もしゃべる事もなくなった背中に視線を戻す。

寝るときでさえ縛られたままの彼の髪が風に揺れていた。


「……何故、妖を庇うのですか」


答えは当然返ってこなかった。

ざわざわと木々を揺らす風の音と、くうんと鳴いた送り犬の声が答えのように返ってきて、小さく溜め息をつく。

ちらりと視線をやった送り犬はぱたぱたと尻尾を振りながらこっちを見ていた。


「妖なら、妖らしくしていてくださいよ……」


くうんじゃないです。

ただの犬みたいに見えて警戒しているこっちが馬鹿らしくなってしまう。

項垂れつつ火を眺めていると、ふっとさっき言われた言葉が頭に浮かんだ。


「敵のつもりじゃない、ですか……」


確かに、この様子を見ていると襲う気はないように見えた。

けれど、妖はひとを襲うものだ。

今は腹が膨れていておとなしいだけかもしれない。

そう思うと警戒心を解く気には到底なれなかった。


――大体、つばめさんにしろ、華音さんにしろ、真古村のひとは妖に対する警戒心が薄すぎる。


華音さんがいて村が襲われないせいもあるのだろう。

話を聞けば上手く共存してるのが解った。

だが、妖とは本来人間を襲うものだ。

気を許しているといつ仇になるか解ったものではない。


喰われた後では遅いのだ。


「――……華音さんは、私が守らなければ」


目の奥にちらりとよぎる赤い残像を振り切るように呟く。

焚き火がぱちりと音を立てた。

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