草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):③
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1626年(後金・天命11年)のことです。明との戦いは激しさを増し、後金軍は寧遠の戦いで大きな敗北を喫しました。ヌルハチ(太祖)が負傷したという報せが届き、盛京の王宮には重苦しい空気が漂っていました。
布木布泰は、夫であるホンタイジ(後の太宗)の身を案じ、心が休まる時がありませんでした。彼女は毎日、無事を願い、帰還を心待ちにしていました。
数日後、ついにホンタイジが帰還しました。しかし、その顔には疲労と悔しさが滲み出していました。布木布泰は、すぐさまホンタイジの元へ駆け寄りました。
「ホンタイジ様! ご無事で、何よりでございます。」
ホンタイジは、深く息を吐き、力なく座り込みました。
「ああ、ブムブタイか。済まないな、心配をかけた。」
布木布泰は、優しくホンタイジの背を撫でました。
「お怪我はございませんか? お父上様の容体は…。」
ホンタイジは、悔しそうに拳を握りしめました。
「袁崇煥という男が、とんでもないほど強かったのだ。まるで無敵のように思えた。まさか、あの父上が敗れるなど、信じられん…。」
ホンタイジの声には、絶対的な存在であった父ヌルハチが敗北したことへの衝撃と、自身の無力さへの苛立ちが混じっていました。
布木布泰は、そんなホンタイジの言葉に、そっと寄り添いました。
「しかし、ホンタイジ様がご無事でお戻りになられたことが、何よりも大切でございます。この経験は、きっと次の勝利へと繋がるはずです。」
ホンタイジは、布木布泰の言葉に、僅かに顔を上げました。その瞳には、まだ疲労の色が残っていましたが、布木布泰の温かい励ましが、彼の心に少しずつ光を灯しているようでした。
後金にとって、この寧遠での敗北は、大きな痛手となりました。しかし、それは同時に、次なる時代への扉を開くきっかけでもありました。布木布泰は、この困難を乗り越え、強く成長していくホンタイジを、これからも支え続けていくことを心に誓うのでした。
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1626年(後金・天命11年)の晩夏、後金の都、盛京は、重い静寂に包まれていました。寧遠の戦いで深手を負ったヌルハチ(太祖)が、温泉での療養の甲斐なく、ついにその息を引き取ったのです。9月30日(旧暦8月11日)のことでした。
ヌルハチ(太祖)の崩御は、後金に激しい動揺をもたらしました。誰が次のハーン(大汗)となるのか、王族たちの間で後継者争いが勃発するかに見えました。しかし、この混迷の中、事態は思わぬ速さで収束に向かいます。
ヌルハチ(太祖)の第八子であるホンタイジ(後の太宗)が、その類稀なる政治的手腕を発揮しました。彼は、権力の空白を突くかのように素早く動き、他の有力な兄弟たちを押さえ込み、見事に次のハーン(大汗)の座に就いたのです。王宮に緊張が走る中、ホンタイジの即位は、後金に新しい時代の幕開けを告げました。
ホンタイジ(太宗)の側室であった布木布泰にとって、この出来事は、彼女の宮廷での立場を確固たるものにするものでした。彼女はまだ若く、後金に来て間もない頃でしたが、夫が最高権力者となったことで、ハーン(大汗)の側室にふさわしい待遇を受けることになります。
ある日、布木布泰は、広間で従姉であり、ホンタイジ(太宗)の正室でもある孝端文皇后ジェルジェルと顔を合わせました。
「ブムブタイ、ご機嫌いかが?」ジェルジェルは優しく尋ねました。
布木布泰は深く頭を下げ(さげ)ました。
「ジェルジェル様、お陰様で健やかに過ごしております。しかし、この度の太祖様の崩御は、誠に残念でなりません。」
ジェルジェルは頷きました。
「ええ、本当に残念でしたね。でも、ホンタイジ(太宗)様が新しいハーン(大汗)として立たれた。これからは、私たち女性が、彼を支えていかねばなりません。」
布木布泰は、ジェルジェルの言葉に力強く頷きました。
「はい、その通りでございます。微力ながら、私もホンタイジ(太宗)様のお力になれるよう、努めてまいります。」
ホンタイジ(太宗)がハーン(大汗)に即位したことで、後金の未来は彼の手に委ねられることになりました。そして、布木布泰もまた、これから始まる激動の時代を、夫と共に(ともに)歩んでいくことを決意したのでした。彼女の心には、新しいハーン(大汗)の妃としての誇りと、未来への希望が満ちていました。
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1627年(後金:天聡元年/明:天啓7年)2月、新しいハーン(大汗)に即位したホンタイジ(太宗)の心には、強い決意が燃え盛っていました。先代ハーン(大汗)である父ヌルハチ(太祖)が、寧遠の戦いで明の将軍、袁崇煥に敗れた悔しさ。その痛恨の記憶が、ホンタイジ(太宗)を突き動かしていました。
「父上の無念は、私が必ず晴らしてみせる。」
ホンタイジ(太宗)はそう心に誓い、まず朝鮮(李氏朝鮮)への侵攻(丁卯胡乱)を決断しました。朝鮮は、明への援軍を派遣するなど、後金にとって長年の懸案であり、その影響力を排除することは、後金が中華へと勢力を広げる上で不可欠でした。
2月、寒風が吹き荒れる中、ホンタイジ(太宗)は大軍を率いて盛京を出発しました。凍り付くような大地を進む兵士たちに、ホンタイジ(太宗)は厳しい言葉で訓示を与えます。
「これより向かうは朝鮮である。我々の父祖の地を守り、後金の栄光を確固たるものとするため、何が何でも勝利を収めねばならぬ。兵どもよ、心を一つ(ひとつ)にし、怯むことなく進め!」
ホンタイジ(太宗)自身も最前線で指揮を執り、兵士たちを鼓舞し続けました。彼の采配は的確で、後金軍は破竹の勢いで朝鮮の深部へと進軍していきました。
盛京の王宮では、ホンタイジ(太宗)の側室である布木布泰が、夫の武運を静かに祈っていました。彼女は、夫が背負う大きな期待と重責を理解しており、その帰還を心から願っていました。
そして、ホンタイジ(太宗)の思惑通り、後金軍はわずか一ヶ月足らず(いっかげつたらず)で朝鮮を屈服させました。朝鮮は後金との間で「兄弟の関係」を結ぶことを受諾し、事実上の属国となったのです。
勝利の報が盛京に届いた時、ホンタイジ(太宗)の胸には、安堵と達成感が溢れていました。
「これで、父上の仇を討つための第一歩を踏み出すことができた。次は、明である。」
ホンタイジ(太宗)は、この勝利が、後金の国力をさらに高め、自身のハーン(大汗)としての権威を不動のものにしたことを確信しました。宮廷では祝宴が催され、布木布泰もまた、夫の成功を心から喜んでいました。彼女は、新しい時代を築き始めた夫の背中を、誇らしげに見つめていました。この朝鮮での勝利は、ホンタイジ(太宗)の次なる野望への確かな足がかりとなったのです。




