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草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):⑭

1654年、紫禁城しきんじょう奥深おくふかくで、しずかに一つのいのち誕生たんじょうしました。第三皇子だいさんこうし玄燁げんようです。生母せいぼ庶妃しょひのトゥンギャ(後の孝康章皇后こうこうしょうこうごう)でしたが、このころ順治帝じゅんちてい寵愛ちょうあいは、うつくしい董鄂妃ドンゴひ集中しゅうちゅうしておりました。そのため、玄燁げんよう誕生たんじょう宮廷きゅうていとく注目ちゅうもくされることはありませんでした。


布木布泰ブムブタイは、おさなまごである玄燁げんようが、だれからもかえりみられることなく、しずかにきていることをっていました。しかし、当時とうじ彼女かのじょは、息子むすこである順治帝じゅんちていこころうつろいのほうになっていました。


________________________________


1656年、紫禁城しきんじょう一室いっしつで、順治帝じゅんちていは深くいききました。そのかおには、みかどとしての疲弊ひへいと、俗世ぞくせへの諦念ていねん色濃いろこかびがっていました。


母上ははうえわたくしはもうつかれました。この俗世ぞくせくるしみから、どうか解きはなたれたいのです」


順治帝じゅんちていは、ゆかすわみ、じていました。そのとなりには、かれ最近さいきん深く帰依きえしている仏教ぶっきょうとく禅宗ぜんしゅうおしえがしるされた経典きょうてんひらかれていました。宮廷きゅうていにはすでに何人なんにんもの僧侶そうりょまねかれ、かれ自身じしんに日に仏道ぶつどうふかんでいました。出家しゅっけのぞむような言動げんどうさえられるようになり、布木布泰ブムブタイこころいためていました。


みかどよ、そのようなことをもうされるものではございません」布木布泰ブムブタイしずかにかたりかけました。「あなたしん皇帝こうていであらせられます。たみが、くにが、あなたのおちから必要ひつようとしております」


「しかし、母上ははうえ……」順治帝じゅんちていかおげず、こえふるわせました。「わたくしは、この宮廷きゅうていでのひびに、えられなくなりつつあります。董鄂妃ドンゴひやまいたおれ、のすべてがむなしくおもえるのです」


布木布泰ブムブタイは、息子むすこ苦悩くのう理解りかいしていました。順治帝じゅんちてい董鄂妃ドンゴひふかあいしていることもっていました。だが、皇帝こうていという立場たちばは、いち個人こじん感情かんじょうのみでうごかせるものではありません。


みかどよ。あなたくるしいお気持きもちでいらっしゃることは、このはは一番いちばんよくかっております。ですが、ほとけみちはいられることが、しん解脱げだつとなるのでしょうか」布木布泰ブムブタイ言葉ことばえらびながらつづけました。「みかどとしてのつとめをたすこともまた、おおいなる修行しゅぎょうではございませんか。このくにたみのために尽力じんりょくすることも、とうととくむことにつながるはずです」


順治帝じゅんちていは、依然いぜんとして瞑目めいもくしていました。彼のこころは、すでに俗世ぞくせからはなれ、静寂せいじゃく仏道ぶつどうもとめているかのようでした。


母上ははうえには、わたくし気持きもちはお分かりになりますまい」順治帝じゅんちていこえは、かすかにあきらめのいろびていました。「あいするものが弱っていくかなしみ、ひび政務せいむわれる苦痛くつう……。わたくしは、ただ、しずかにすごしたいのです」


布木布泰ブムブタイは、息子むすこ言葉ことばふかかなしみをおぼえました。彼女かのじょ自身じしんも、おっとであるホンタイジ(こうたいじ)をくし、わかくして摂政せっしょうドルゴン(どるごん)とのあいだくるしい決断けつだんくだしてきました。そのすべては、息子むすこである順治帝じゅんちてい帝位ていいまもるためでした。


みかどよ。もしあなた俗世ぞくせくるしみをのがれたいとねがうのであれば、そのくるしみをえるちからを、たみのために使つかっていただきたいのです。それが、まことすくいとなるはずです」


布木布泰ブムブタイは、そうかたりかけながらも、息子むすここころとおくへはなれていくのを感じ(かんじ)ていました。彼女かのじょは、この極端きょくたん仏教ぶっきょうへの耽溺たんできが、やがてどのような結果けっかをもたらすのか、その未来みらい憂慮ゆうりょしていました。おさな玄燁げんよう姿すがたが、彼女かのじょ脳裏のうりをよぎりました。このわかいのちが、将来しょうらいしんくに背負せおうことになるかもしれぬと、布木布泰ブムブタイ漠然ばくぜんとした予感よかんいだいていました。




1659年(清・順治〈じゅんち〉16年)、清の都、北京〈ペキン〉の紫禁城〈しきんじょう〉から少し離れた場所に、ひっそりとたたずむ小さな屋敷がありました。この屋敷には、まだ幼い皇子おうじ、玄燁〈げんよう〉が暮らしていました。彼は今、宮中きゅうちゅうで猛威を振るう天然痘てんねんとうという病から逃れるため、この地で療養していたのです。


玄燁げんようは、乳母うばの手によって育てられ、宮中の喧騒けんそうとは無縁の静かな日々を送っていました。当時の皇帝こうていである順治帝じゅんちていは、子育てにはあまり関心がなく、玄燁げんようは実質的に放置されていました。しかし、そんな幼い玄燁げんよう境遇きょうぐう不憫ふびんに思う一人の女性がいました。彼女こそ、しんの未来を支えることになる、孝荘文皇后こうそうぶんこうごうこと布木布泰ブムブタイでした。


ある日の午後、布木布泰ブムブタイは、簡素な馬車で玄燁げんようの屋敷を訪れました。屋敷の扉を開けると、そこには、まだあどけない顔つきの玄燁げんようが、乳母うばの傍らで静かに遊んでいました。


玄燁げんようや。」


布木布泰ブムブタイが優しく声をかけると、玄燁げんようははっと顔を上げました。彼の目には、かすかな戸惑いと、好奇の色が浮かんでいます。


「おばあさま?」


幼い声で玄燁げんようが尋ねました。布木布泰ブムブタイは彼の傍らにそっと膝をつき、その小さな手を優しく包み込みました。


「ええ、そうよ。今日からおばあさまが、あなたの世話をするわ。」


玄燁げんようは目を丸くして布木布泰ブムブタイを見つめました。これまで、皇帝こうていである父や、その他の妃嬪ひひんたちが自分に目を向けることはほとんどありませんでした。だからこそ、布木布泰ブムブタイの存在は、彼にとって新鮮な驚きでした。


布木布泰ブムブタイは、玄燁げんようを自らの手元に引き取り、養育よういくを始めました。彼女は幼い皇子おうじに対し、並々ならぬ情熱を注ぎました。それは、彼が将来、しんを背負う皇帝こうていとなるために必要な、厳格げんかくなしつけと教育でした。


朝早くから、布木布泰ブムブタイの声が屋敷に響き渡りました。


玄燁げんようや、今日はこの書物を読みましょう。この物語から、何が学べるか、考えてごらんなさい。」


最初は戸惑っていた玄燁げんようでしたが、布木布泰ブムブタイの根気強い指導により、次第に学問に興味を持つようになりました。彼は漢字かんじの書き方を習い、歴史れきしを学び、そして、人として、統治者とうちしゃとして、いかに生きるべきかを教えられました。


ある日のこと、玄燁げんようは疲れた様子で、書物を閉じました。


「おばあさま、なぜ、こんなにも勉強をしなければならないのですか?父上は、あまり本を読みません。」


玄燁げんようの問いに、布木布泰ブムブタイは静かに答えました。


玄燁げんようや、この世の全てのことは、学ぶことから始まるのですよ。知恵を持つことで、人は正しい判断を下すことができます。そして、国を治めるものは、誰よりも多くの知恵と、広い心を持たねばなりません。」


布木布泰ブムブタイの言葉は、幼い玄燁げんようの心に深く響きました。彼女は、ただ知識を教えるだけでなく、なぜ学ぶのか、その意味を常に説いたのです。


「父上は、私にあまり関心がありません。私が病気になった時も、一度も会いに来てくださいませんでした。」


玄燁げんようが寂しそうに言うと、布木布泰ブムブタイは彼の頭を優しく撫でました。


順治帝じゅんちてい陛下には、陛下の抱える苦しみがあるのです。しかし、玄燁げんようや、あなたは決して独りではないわ。おばあさまが、いつでもあなたのそばにいるから。」


布木布泰ブムブタイは、玄燁げんように愛情を注ぎながらも、その教育には一切の妥協だきょうを許しませんでした。彼女は、玄燁げんように「勤勉きんべんに働き、学問を重んじる」ことの重要性を説き続けました。それは、彼女自身の人生経験からつちかわれた、確固たる信念しんねんだったのです。


春が過ぎ、夏が訪れ、季節は移り変わっていきました。玄燁げんようは、布木布泰ブムブタイの元で、心身ともに健やかに成長していきました。彼は、祖母そぼの愛情と厳しさの中で、やがてしんを太平の世へと導く、偉大な皇帝こうていへと成長していくことになるのです。



歴史ある紫禁しきん城の奥深く、深い悲しみがみかどの心を覆っていました。時は1660年、しん順治じゅんち17年のことです。


順治帝じゅんちていが深く愛した董鄂妃ドンゴひが、この世を去ったのです。彼女の死は、帝にとって耐えがたいものでした。前年、帝と彼女の間に生まれた皇子おうじが幼くして亡くなっており、その心労が董鄂妃ドンゴひの体を蝕み、肺結核はいけっかくという病となって、ついに命を奪ってしまったのでした。


順治帝じゅんちていは、夜な夜な董鄂妃ドンゴひしのび、その名を呼びました。


董鄂妃ドンゴひ……なぜ、そなたまで私を残してってしまったのだ。」


彼の声は、広い宮殿にむなしく響き渡ります。食欲も、眠りも、すべてを失ったかのように、帝はただただ悲しみに打ちひしがれていました。その姿は、周囲の者たちが見るに忍びないほどでした。


陛下へいか、どうかお気を確かに」


宦官かんがんの一人が、心配そうに声をかけますが、順治帝じゅんちていは聞く耳を持ちません。帝の悲しみは深く、その心はもはや、この世の何事にも動じなくなっていました。


________________________________


翌1661年、しん順治じゅんち18年。旧暦1月7日、すなわち西暦2月5日のことでした。順治帝じゅんちていは、天然痘てんねんとう罹患りかんしてしまいます。帝の病は重く、宮中には不安が広がりました。


そんな中、一人の少年が、熱心に帝の看病にあたっていました。それは、帝の息子である玄燁げんようでした。玄燁げんようは、既に天然痘てんねんとうを克服しており、その経験から、病床びょうしょうの父を献身的に支えていました。


ある日、玄燁げんようは、父の額に冷たい布を当てながら、心配そうに尋ねました。


父上ちちうえ、苦しゅうございますか? 何か、私にできることはございませんか?」


順治帝じゅんちていは、かすかに目を開け、息子を見つめました。彼の目には、わずかながらも温かい光が宿っていました。


玄燁げんよう……そなたは、もう天然痘てんねんとうを乗り越えたのだな。その強い体があれば、きっとちんも……」


力なくそうつぶやくと、順治帝じゅんちていは再び目を閉じました。玄燁げんようは、父の言葉を胸に、さらに看病に力を入れました。


この玄燁げんようの献身的な看病は、孝荘文皇后こうそうぶんこうごうこと布木布泰ブムブタイの指示によるものでした。布木布泰ブムブタイは、順治帝じゅんちていの母であり、玄燁げんようの祖母にあたります。彼女は、幼い玄燁げんようを自らの手元で養育し、厳しくも愛情深く教育を施していました。


ある時、布木布泰ブムブタイ玄燁げんようを呼び寄せ、さとすように話されました。


玄燁げんようや、そなたは一度天然痘てんねんとうを乗り越えた。その経験は、父上ちちうえを救う大きな力となるでしょう。今こそ、そなたが父上ちちうえに寄り添い、支える時なのです。」


玄燁げんようは、祖母の言葉を真剣な表情で聞き入りました。


「はい、祖母上ばあうえ父上ちちうえのため、私にできることは何でもいたします。」


彼のまっすぐな目に、布木布泰ブムブタイは静かにうなずかれました。彼女は、この幼い孫が、いつかしんの未来を背負う存在となることを予感していたのかもしれません。


玄燁げんようの懸命な看病と、布木布泰ブムブタイの深い配慮が、病床の順治帝じゅんちていを支え続けました。しかし、帝の心は、愛する者を失った悲しみと、自身の病によって、深く沈んだままでした。

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