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草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):⑬

〇

1650年の年の瀬、北風が吹き荒れる中、清(しん)の都、盛京(瀋陽)(しんよう)は静まり返っていました。この年の旧暦12月8日、摂政王(せっしょうおう)ドルゴンは狩りの最中に落馬(らくば)し、そのまま帰らぬ人となったのです。報せが届いた宮廷(きゅうてい)では、多くの人々がその突然の死に動揺(どうよう)していました。


しかし、この知らせに最も複雑な感情を抱(いだ)いたのは、ドルゴンの妻であり、順治帝(じゅんちてい)の生母である布木布泰(ブムブタイ)でした。


彼女は幼い息子(むすこ)を守るため、やむなくドルゴンを受け入れ、その妻となっていました。ドルゴンは清(しん)の中国支配の基礎を築いた功臣(こうしん)ではありましたが、その強大な権力と専横(せんおう)さは、幼い順治帝(じゅんちてい)の将来を危(あやう)くするものでもあったのです。


布木布泰(ブムブタイ)は、自室(じしつ)で静かに目を閉じていました。心の中は、安堵(あんど)と、そしてわずかな虚無感(きょむかん)で満たされていました。


「ついにこの日が来たのですね…」


彼女は、自分に言い聞かせるように呟(つぶや)きました。


その頃、順治帝(じゅんちてい)の居室(きょしつ)では、全く異なる空気が流れていました。まだ幼い順治帝(じゅんちてい)は、ドルゴンの死の報せを聞くと、隠しきれない喜びを顔に表しました。


「母上!ドルゴンが…ドルゴンが死んだと聞きました!」


順治帝(じゅんちてい)は、侍従(じじゅう)を伴(ともな)って布木布泰(ブムブタイ)の部屋に駆け込んできました。その幼い顔には、抑えきれない興奮(こうふん)と安堵(あんど)が入り混じっています。


布木布泰(ブムブタイ)は目を開け、息子を迎え入れました。その表情は、先ほどまでの複雑な心境(しんきょう)を悟らせないよう、穏(おだ)やかに保たれています。


「ええ、陛下(へいか)。その通りでございます。」


布木布泰(ブムブタイ)は静かに答えました。順治帝(じゅんちてい)は、まだその幼い心を感情のままに表現します。


「これで…これで私は、真の皇帝になれるのですね!もう誰も私の邪魔(じゃま)をしない!」


幼い順治帝(じゅんちてい)にとって、ドルゴンは皇帝としての自由を奪(うば)い、常に重圧(じゅうあつ)を与え続ける「目ざわりな存在」でした。彼の死は、幼い皇帝にとって、まさに解放(かいほう)を意味したのです。


布木布泰(ブムブタイ)は、息子の言葉を静かに聞いていました。彼女の心には、かつてドルゴンから受けた求婚の言葉が蘇(よみがえ)ります。


「あなたを正式な妻として迎えたい。これは私が皇帝の父となり権力を手にしたいわけではない。権力はすでにわが手にある。私がまだ手にしていないのはあなたの心だけだ。あなたのすべてが欲しいのだ」


あの時のドルゴンの言葉は、彼女の心に深く刻(きざ)まれていました。彼は確かに、権力だけを求めていたわけではないのかもしれない、と。しかし、それでも、息子の皇帝としての地位を守るためには、ドルゴンの存在はあまりにも大きすぎました。


布木布泰(ブムブタイ)は、静かに順治帝(じゅんちてい)の手を取りました。


「陛下(へいか)。これからは、陛下(へいか)ご自身の力で、この清(しん)を導いていかねばなりません。ドルゴン殿(どの)の死は、陛下(へいか)にとって新たな時代の幕開けとなるでしょう。」


順治帝(じゅんちてい)は、まだ幼いながらも、母の言葉の重さを感じ取ったようでした。しかし、その顔には、勝利(しょうり)と解放(かいほう)の喜びが満ち溢(あふ)れています。


「はい、母上!私は必ず、立派な皇帝になります!」


その夜、布木布泰(ブムブタイ)は一人、静かに月を眺めていました。冬の空には、冷たい月が輝いています。彼女の心は、過去の様々な出来事を巡(めぐ)らせていました。草原で過ごした幼少期、ホンタイジ(こうたいじ)に嫁(とつ)いだ日のこと、そして、愛する姉ハルジョル(はるじょる)との別れ。


ドルゴンの死は、彼女にとって、清朝(しんちょう)の、そして自身の新たな道の始まりを告げるものでした。息子の笑顔が、彼女の心に新たな決意(けつい)を宿(やど)らせたのです。



〇

1651年(清・順治(じゅんち)8年)、新しい年が明け、幼かった順治帝(じゅんちてい)の親政(しんせい)が始まりました。前年に急逝(きゅうせい)した摂政王(せっしょうおう)ドルゴンの不在は、清(しん)の宮廷(きゅうてい)に大きな変化をもたらします。順治帝(じゅんちてい)は、かねてより目ざわりであったドルゴンに対する追奪(ついだつ)を敢行(かんこう)しました。それは、かつてドルゴンに与えられた全ての栄誉(えいよ)ある称号(しょうごう)を剥奪(はくだつ)し、その名誉を完全に地に堕(お)とすことを意味します。


皇太后(こうたいごう)である布木布泰(ブムブタイ)は、この動きを止めようと試みました。彼女にとってドルゴンは、息子の帝位(ていい)を守るためにやむなく夫として受け入れた相手であり、複雑な感情を抱く存在でした。しかし、清(しん)の天下統一(てんかとういつ)に貢献したドルゴンの功績(こうせき)を思えば、その死後に名誉を剥奪(はくだつ)されることは忍(しの)びなかったのです。


布木布泰(ブムブタイ)は、順治帝(じゅんちてい)の執務室(しつむしつ)を訪れました。部屋には、まだ少年らしい面影(おもかげ)を残す順治帝(じゅんちてい)が、臣下(しんか)たちを従(したが)えて座っています。


「陛下(へいか)。ドルゴン殿(どの)への追奪(ついだつ)の件、今一度(いまひとたび)お考え直しいただけませんでしょうか。」


布木布泰(ブムブタイ)は、静かに、しかし毅然(きぜん)とした態度で進言(しんげん)しました。


順治帝(じゅんちてい)は、母の言葉にわずかに眉(まゆ)をひそめました。


「母上。ドルゴンは私の帝位(ていい)を脅(おびや)かし、我が清(しん)の国を私物化(しぶつか)しようとしました。そのような者の名誉を保(たも)つ必要(ひつよう)などございません。」


彼の声には、抑えきれない怒りと、幼い頃から抱(いだ)き続けてきたドルゴンへの不満(ふまん)がにじみ出ています。


布木布泰(ブムブタイ)は、息子の心情(しんじょう)を理解していました。しかし、政治(せいじ)とは感情(かんじょう)だけで動かせるものではありません。


「ですが陛下(へいか)。ドルゴン殿(どの)が清(しん)にもたらした功績(こうせき)は、確かにございます。その全てを否定(ひてい)することは、かえって陛下(へいか)の寛容(かんよう)さを疑(うたが)わせることになりかねません。」


「寛容(かんよう)さなど、私には不要(ふよう)です。私は皇帝(こうてい)として、正しいことを行(おこな)うのみ。」


順治帝(じゅんちてい)は、きっぱりと言い放(はな)ちました。その表情には、誰にも邪魔(じゃま)させないという固い決意(けつい)が宿(やど)っています。布木布泰(ブムブタイ)は、もはや息子を説得(せっとく)することはできないと悟(さと)りました。ドルゴンの追奪(ついだつ)は、彼の親政(しんせい)の始まりを告げる、最初の大きな宣言(せんげん)だったのです。


________________________________


その年の旧暦6月27日、布木布泰(ブムブタイ)はさらなる衝撃(しょうげき)を受けることになります。順治帝(じゅんちてい)は、自らの意思で皇后(こうごう)ボルジギト氏(索爾娜)(そるな)を廃位(はいい)するという決定を下したのです。皇后(こうごう)ボルジギト氏(そるな)は、布木布泰(ブムブタイ)の姪(めい)にあたり、彼女の故郷であるモンゴル・ホルチン部(ぶ)の有力者(ゆうりょくしゃ)の娘でした。


皇后(こうごう)廃位(はいい)の報せは、宮廷(きゅうてい)中に衝撃(しょうげき)を与えました。布木布泰(ブムブタイ)は、すぐに順治帝(じゅんちてい)を呼び出しました。


「陛下(へいか)、いったいどういうことでございますか!皇后(こうごう)を廃位(はいい)されるなど、前代未聞(ぜんだいみもん)にございます!」


布木布泰(ブムブタイ)は、感情(かんじょう)を露(あらわ)にして息子に詰め寄(つめよ)りました。皇后(こうごう)ボルジギト氏(そるな)の廃位(はいい)は、彼女自身の顔に泥(どろ)を塗(ぬ)る行為(こうい)であり、さらに清(しん)とモンゴル・ホルチン部(ぶ)との関係にも亀裂(きれつ)を生じさせかねない、非常に危険(きけん)な決定でした。


順治帝(じゅんちてい)は、母の剣幕(けんまく)にも臆(おく)することなく、冷静に答えました。


「母上、あの皇后(こうごう)では、皇帝(こうてい)の妻(つま)として、また国の母(はは)として、何の役にも立ちません。彼女はただ、私の心を乱す(みだす)ばかりです。」


順治帝(じゅんちてい)は、皇后(こうごう)ボルジギト氏(そるな)との関係に不満(ふまん)を抱(いだ)いていました。彼女の贅沢(ぜいたく)な振る舞(ふるま)いや、周囲との不和(ふわ)が、皇帝(こうてい)としての彼を悩ませていたのです。


「しかし、彼女は私の姪(めい)であり、ホルチン部(ぶ)との関係を磐石(ばんじゃく)にするための重要な存在(そんざい)でございます。この廃位(はいい)が、どれほど大きな波紋(はもん)を呼ぶか、お分かりでしょうか!」


布木布泰(ブムブタイ)は、必死に訴(うった)えました。ホルチン部(ぶ)は、清朝(しんちょう)の支配を支える重要な同盟部族(どうめいぶぞく)であり、その関係が悪化すれば、国の安定(あんてい)にも影響(えいきょう)が出かねません。


「その心配(しんぱい)には及びません、母上。私には私自身の考えがございます。皇后(こうごう)の選定(せんてい)は、皇帝(こうてい)たる私の専権事項(せんけんじこう)です。」


順治帝(じゅんちてい)の目は、冷たく、そして固い決意(けつい)に満ちていました。彼はもはや、母の助言(じょげん)に耳を傾けようとはしません。布木布泰(ブムブタイ)は、息子の成長(せいちょう)を喜びながらも、その独断的(どくだんてき)な態度に不安(ふあん)を覚(おぼ)えました。


彼女は知っていました。ドルゴンの死により、順治帝(じゅんちてい)は確かに自由を手に入れた。しかし、その自由は、同時に大きな責任(せきにん)と困難(こんなん)を伴(ともな)うものなのです。布木布泰(ブムブタイ)は、幼い息子の皇帝(こうてい)としての前途(ぜんと)を案じずにはいられませんでした。



〇

1653年(清・順治(じゅんち)10年)、順治帝(じゅんちてい)の治世(ちせい)は新たな局面を迎えていました。親政(しんせい)を開始したばかりの皇帝(こうてい)は、かつての摂政王(せっしょうおう)ドルゴンの影(かげ)を振り払い、自らの色(いろ)で宮廷(きゅうてい)を染(そ)めようとしています。その一つが、愛妃(あいひ)である董鄂妃(ドンゴひ)への深い寵愛(ちょうあい)でした。


紫禁城(しきんじょう)の奥深く、皇太后(こうたいごう)布木布泰(ブムブタイ)の宮(みや)には、穏(おだ)やかな時間が流れていました。しかし、彼女の心は、息子の変化(へんか)を静かに見守りながら、複雑な感情(かんじょう)を抱(いだ)いていました。董鄂妃(ドンゴひ)は、若く聡明(そうめい)で、順治帝(じゅんちてい)の心を強く捉(とら)えているようでした。


ある日の午後、布木布泰(ブムブタイ)は侍女(じじょ)たちと茶を飲んでいました。


「最近(さいきん)の陛下(へいか)は、董鄂妃(ドンゴひ)の元(もと)に足繁(あししげ)く通(かよ)われているそうですね。」


侍女(じじょ)の一人が、控えめな声で言いました。


布木布泰(ブムブタイ)は、ふっと息を漏(も)らしました。


「ええ、陛下(へいか)があれほど心を寄せられる女性(じょせい)は、かつていなかったでしょう。皇后(こうごう)を廃位(はいい)されるほどの思いですから。」


彼女の言葉には、わずかな寂(さび)しさと、息子への理解が入り混じっていました。かつて、順治帝(じゅんちてい)は布木布泰(ブムブタイ)の姪(めい)にあたる皇后(こうごう)ボルジギト氏(索爾娜)(そるな)を廃位(はいい)しています。その決断(けつだん)の裏(うら)には、董鄂妃(ドンゴひ)への深い愛情(あいじょう)があったのでしょう。


「皇太后(こうたいごう)様は、何かご心配(しんぱい)でも?」


侍女(じじょ)が、布木布泰(ブムブタイ)の顔色(かおいろ)を窺(うかが)いました。


「心配(しんぱい)というよりも、複雑(ふくざつ)な感情(かんじょう)と申しましょうか。陛下(へいか)が心安(こころやす)らかに過ごされるのは喜ばしいことですが、その寵愛(ちょうあい)が、国政(こくせい)に影響(えいきょう)を及(およ)ぼさないかと案じてしまうのです。」


布木布泰(ブムブタイ)は、遠い目をして答えました。皇帝(こうてい)の私情(しじょう)が、時に国を揺るがすことを、彼女は幾度(いくど)も見てきました。しかし、愛する息子が幸せであることは、母として何よりも願うことでした。


「帝(みかど)の意思(いし)を尊重(そんちょう)することが、今の私にできることでしょう。」


彼女はそう呟(つぶや)き、そっと目を閉じました。


________________________________


同じ年、順治帝(じゅんちてい)は、ある重要な布告(ふこく)を発しました。それは、宦官(かんがん)が政治(せいじ)に関与(かんよ)することを厳重(げんじゅう)に禁止(きんし)し、違反者(いはんしゃ)には死刑(しけい)を科(か)するというものでした。この決定は、明朝(みんちょう)末期(まっき)に宦官(かんがん)が専横(せんおう)を極(きわ)め、国を混乱(こんらん)させた歴史(れきし)を踏(ふ)まえてのことでした。


さらに順治帝(じゅんちてい)は、漢文化(かんぶんか)への傾倒(けいとう)を深めていきました。彼は読書(どくしょ)を好み、臣下(しんか)たちにも漢文化(かんぶんか)の習俗(しゅうぞく)を取り入れるよう積極的(せっきょくてき)に奨励(しょうれい)したのです。紫禁城(しきんじょう)の宮廷(きゅうてい)では、満州族(まんしゅうぞく)の伝統(でんとう)的な装束(しょうぞく)と共に、漢風(かんふう)の衣装(いしょう)をまとう者も増えていきました。


布木布泰(ブムブタイ)は、この動きに危惧(きぐ)を抱(いだ)きました。彼女は、息子が中華(ちゅうか)の皇帝(こうてい)として漢文化(かんぶんか)を学ぶことは良いことだと考えていましたが、満州族(まんしゅうぞく)やモンゴル族(ぞく)としての誇(ほこ)りまで忘(わす)れてしまうのではないかと心配(しんぱい)したのです。


ある日、順治帝(じゅんちてい)が布木布泰(ブムブタイ)の元(もと)を訪(おとず)れた際、布木布泰(ブムブタイ)は意を決して(いをけっして)尋(たず)ねました。


「陛下(へいか)。最近(さいきん)は漢文化(かんぶんか)に深く傾倒(けいとう)されていると伺(うかが)っております。それは素晴らしいことですが、女真族(じょしんぞく)とモンゴル族(ぞく)としての誇(ほこ)りを忘(わす)れてしまわないかと、母(はは)は少し案じております。」


順治帝(じゅんちてい)は、母の言葉にわずかに首を傾(かし)げました。


「母上。私はこの中華(ちゅうか)の皇帝(こうてい)です。この地の民(たみ)を治める(おさめる)には、彼らの文化(ぶんか)を深く理解(りかい)することが不可欠(ふかけつ)だと考えております。むしろ、これまでの習わしに固執(こしつ)していては、天下(てんか)を治める(おさめる)ことはできません。」


彼の言葉は、論理的(ろんりてき)で、皇帝(こうてい)としての自覚(じかく)に満ちていました。しかし、布木布泰(ブムブタイ)にとっては、どこか寂(さび)しく響(ひび)きました。


「しかし、私たちがこの地(ち)で強(つよ)くあり続ける(ありつづける)ためには、私たち自身の伝統(でんとう)と精神(せいしん)を忘(わす)れてはならないと存じます。」


布木布泰(ブムブタイ)は、懸命(けんめい)に訴(うった)えました。彼女の言葉には、遊牧民(ゆうぼくみん)としての血(ち)が流れており、故郷(こきょう)の草原(そうげん)での誇(ほこ)りが込められていました。


しかし、順治帝(じゅんちてい)は静かに首を振(ふ)りました。


「母上。時代は移り変わ(うつりかわ)ります。私は、この大清(だいしん)帝国を、より強固(きょうこ)なものとしたいのです。そのためには、漢文化(かんぶんか)の優れた面(めん)を取り入れることも必要(ひつよう)だと考えております。」


順治帝(じゅんちてい)の瞳(ひとみ)には、未来(みらい)を見据える(みすえる)皇帝(こうてい)としての揺るぎない(ゆるぎない)意思(いし)が宿(やど)っていました。布木布泰(ブムブタイ)は、息子のその強い意志(いし)の前(まえ)に、言葉を続ける(つづける)ことができませんでした。


彼女は、息子が皇帝(こうてい)として成長(せいちょう)していることを感じながらも、その変化(へんか)がもたらすであろう影響(えいきょう)を静かに見守っていくしかありませんでした。宮廷(きゅうてい)は、順治帝(じゅんちてい)の意思(いし)の下(もと)、少しずつ、しかし確実(かくじつ)に、新たな時代へと歩みを進めていました。

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