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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
第七章 バーサーカーとベルセルクと
48/62

想為行動

 この剣ならば、何であろうと切り裂ける。

 どれほど強力な敵であろうと、世界を侵食する魔物だろうと。

 誰かを想う優しい心だって、容赦なく切り捨てられる。


「罠はない。……当然か」


 深い森の中をクリスは進行している。森は光を遮断するほどの葉密だが、今のところ危惧すべき罠の類は発見していない。

 そういった罠を設置しないことで、何も無いと偽装しているのだろう。下手にトラップを仕掛ければ、何かあるのではと勘ぐる人間が現れる。

 それに、わざわざ罠を置く必要もなく、この森には凶悪な魔物が散見できた。襲われかけても、剣を一振り煌めかせれば、怯えてどこかへと逃げ去るが。

 自分のような狂戦士でなければ、侵入は難しいだろう。ここに何かあると踏み、死にかけながらも踏破するぐらいなら、別のもっと容易な場所で略奪でもしていた方がマシである。


「人間避けは十分。だが、バーサーカーは防げない」

『そうでもないわよ?』


 森全体に声が響き、クリスは剣を抜き放つ。

 目を凝らすが、声の主は見つからない。察するに、あの古城から何者かが魔術で交信しているのだろう。

 剣を構え、クリスは聞こえてくる声を傾聴する。


『フフフ、あの人間目当てに現れたの? だとすれば、愚かとしか言いようがないわね、ベルセルク』

「……何だと?」


 その二重の意味を含む問いを返し、クリスは左手でピストルを抜く。

 探すは魔術式だ。どこかに魔術陣か何かしらが記載されているのではと推測する。

 だがある程度目を動かし、諦めた。そんな暇があるのなら、直接魔術師を叩いた方が早い。


『その問いは無為よ、ベルセルク。自分をバーサーカーだと思ってる哀れな戦士。あなたはその意味をずっと無意味にしたまま死に果てるのでしょう? 自分の役割を誤解したまま』

「……御託はいい、チャティスはどこだ」


 魔術師の語りを無視し、クリスは詰問する。とはいえ、やすやすと教えてくれるとは思っていない。

 予想通り、教えるわけないじゃないと魔術師は笑う。


『でもそうねぇ、地獄とでも言っておきましょうか』

「まだ生きているようだな」

『……どうかしら。生きていると言えるのかしらね。……敵地に誘拐された可哀想な女が精神をまともに保っていられるとでも?』

「ああ」


 魔術師の言葉にクリスは即答した。

 考えるまでもない。理由を逐一説明する必要性も感じられない。


「チャティスなら問題ない」

『……気に食わない。人間も、人間を守るお前も。人間なんて早々に死ねばいい!』


 ヒステリックに騒ぎ出した魔術師。その反応に呼応して、クリスの周囲を黒い霧が包む。

 クリスは全く動じる様子もなく、魔術師に応えてみせた。無表情のまま、確信的な瞳で。


「いや、死ぬべきはバーサーカーだ、女」


 クリスは何らかの幻惑魔術に巻き込まれ、暗闇に包まれる。

 世界は暗く、居場所は森ですらなくなった。何もない、暗さだけが取り柄の空虚な場所。

 クリスは闇の中に立ち、精神影響を受けることなく闇の先を見つめている。


『フハハ、言ってろ裏切り者! 理性を保持できることを後悔させてやる。ついでに姉さんの仇討ちともいきましょうか!』

「お前はアーリアの妹か」


 相手の正体についてある程度把握した途端、突然今まで殺した狂戦士がクリスの周りに現れた。

 死者の亡霊は全部で六人。クレストで殺した名も無き狂戦士とアーリア、ソダスとミュール、フスト防衛戦で戦うことになった狂戦士二人。


「幻影ではな」


 呟きながらまずミュールへと斬りかかる。ミュールはナイフを持ち、虚ろな瞳でクリスの斬撃を防いだが、クリスはナイフごとミュールを叩き切った。

 僅か一撃でミュールを始末すると、後方支援を開始しようとしたアーリアへと切迫する。アーリアは魔術の防御陣でクリスの進撃を防ごうとするが、クリスは防御陣を斬り割り、アーリアの頭へとピストルを突きつける。

 引き金が引かれ、銃声が唸る。弾丸の速度は魔術詠唱よりも速い。


「幻では、実力の三割も発揮できん」


 言いながら、後方から斬りかかってきた剣士の斬撃を背中越しに受け止める。

 ピストルの銃身を掴み、剣を弾き返し、銃杷の殴打で剣士の頭をかち割った。

 ピストルを投げ捨て、今度はソダスと相対する。

 乱雑に振るわれる大槌。クリスはステップを踏んで難なく躱し、その両腕を叩き切る。

 腕を失い呆けるソダスの背を掴み、槍を持って勇んで突きした女戦士ミレイナの刺突を防御。

 左手でマスケット銃を取り出し、銃剣をソダスごとミレイナに突き刺す。

 左指をマスケットの銃爪へ掛けながら、頭上から斧を振りまき降ってきた重装戦士に剣を向ける。

 轟く銃声、飛び散る流血。

 一度に三人を屠ったクリスはマスケットから手を離し、重装戦士の死体を振り払う。


「眠れ、バーサーカーの亡霊たちよ」


 死者を弔い、剣から血を薙ぎ、空間を見やる。


「これで終わりか?」


 挑発的ともとれるクリスの問いかけに、魔術師もまた嘲笑し返す。

 高笑いを響かせて、また幻を創り上げる。

 新たなに発生した敵を見据えて――クリスは微かに驚きを含めた声を出した。


「俺か」


 クリスの前には、自分と瓜二つの狂戦士が立っていた。



 ※※※



 チャティスはその生来の人懐っこさから、あっという間にフェニと仲良くなっていた。

 人と接したことがなく外に出たこともないフェニはチャティスに興味津々で、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。


「ねえホント? 本当に赤山は紅いの?」

「うん、紅いよ。私もびっくりしちゃった」


 クレスト、ラドウェール、アリソン、トランド山脈を越え、フストとエドヲンの先、アラジエの赤山についてフェニは目をきらきらさせて聞き入っていた。

 その瞳からシャルと同じ羨望を感じチャティスは複雑な心境となる。

 ここには、フェニと同じような狂戦士がたくさんいる。外では戦争が日常であり、チャティスが保護した赤子狩りのような非道な行為も行われている。

 フェニぐらいの年齢なら、狂化しても人間に狩られてしまう。オリバーは非戦闘員を古城に集め、戦闘の意志がある者を各国に派遣しているのだろう。

 それも、ごく一握りの人間だけ。基本的には単独行動で人間を滅ぼしている。

 行為こそ邪悪だが、ある意味正当防衛とも取れる。

 元より、人間が争わなければ狂戦士は狂化しない。無論、例外は常に存在するが、現状に比べて狂化する確率は大幅に減少する。原因がはっきりしているのなら、その大元を正してしまえばいい。それがオリバーの考えなのだ。

 だが、今回の問題で厄介なのは原因は二つあるということだ。一つは前述の通り人間。

 もう一つが前に立つ少女、フェニ。

 フェニの中に宿る狂化の呪い。神視点からでは呪いではなく祝いなのかもしれないが、人間や狂戦士視点では間違いなく呪いに属する。

 やはり、狂化を防ぐ手段を別に考え出さねばならない。そして、その可能性を秘める花をチャティスは持っている。


「……チャティスお姉ちゃん?」


 急に黙りこくったチャティスに、フェニが困惑し心配してくる。

 大丈夫だよ、とチャティスは返しポーチの中を弄った。


「……これ、持って」

「なにこれ? あ、綺麗なお花――」


 はっきりと名称がついていない狂化を抑制する青い花。その小さい一輪が収まる小瓶を手にし、フェニは感銘を受けたように息を吐く。

 すぐに、心が落ち着く、と不可思議な現象に驚く。

 本当はこれでもう大丈夫だと言ってやりたかったが、そこまで無責任な発言をしようとは思わなかった。


「この花はお守りなの。いつか、あなたの王子様が現れた時、胸を張って外に出れるお守り」

「お守り……?」

「そう。今はまだ……お外は危険なの。安全な場所より、危険な場所の方が多い。……絶対に安心できる場所に連れてってあげたいけど……たぶん、オリバーはまだ許してくれないと思うんだ」


 フェニは同意するように頷く。少し、寂しげな顔で。


「オリバーも優しいけど……厳しいの。大陸が静かになるまで絶対にお外へは出ちゃいけないって」

「うん。だから……私が、あなたがお外に出ても問題ないようにしてみせる。すぐには無理だけど、絶対に。約束する」


 真剣な表情でフェニにチャティスが詰め寄ると、フェニは嬉しそうに頬を緩ませた。


「うん! 絶対に、約束! ……あなたが、わたしたちを迎えに来た王子様……いや、救世主だったんだね」


 チャティスはフェニと抱擁を交わし、確固たる意志を瞳に秘めて、階段を視線の先にある階段を見上げた。



 ※※※



『あなたに自分が殺せるかしら……ウフフ』


 笑い声が暗闇の中を縦横無尽に響き渡っている。

 上からも下からも、右から横から斜めから。

 前も後ろもクリスの身体全体に、嘲笑の渦は湧き起こっている。

 だが、クリスは眉根一つ動かさない。出現時は少々気に留めたが、所詮幻影。問題は一つ足りとてない。


「無問題だ。むしろ……」


 斬りかかってくる自分。鍔ぜり合いになり、至近距離で見つめる自分の顔。

 クリスは剣を弾き飛ばし、素手となった相手じぶんの心臓目がけて剣を突き立てる。

 ぐしゃり、と肉が抉られ血が迸る。血を嘔吐する自分あいてから剣を抜き取って、今度は腕を切断する。

 次に足、腹、目につく部位に裂傷を与え、最後に首へと切っ先を当てる。


「――感謝したいくらいだ。俺を殺す機会を与えてくれて」


 自分の首が飛ぶ。自分の瞳と幻影の瞳が交差する。

 死に逝く幻影の瞳に反射する自分の顔。その時初めて、クリスは自分が笑っていたことに気付いた。


『例え自分が相手でも、容赦なく剣を振るえるか。噂通りの狂人ね』

「言われるまでもない。自分が狂人なのはとっくの昔にわかり切っていた。……だが、あの子は違う」

『よほど人間が好きなのね、あなたは。……気持ち悪いわ、反吐が出る』


 とクリスを罵る敵魔術師だが、その声からはどんどん余裕が無くなっていく。

 恐らくは、狂魔術師ならではの魔力量で強引に理性を保っているせいだ。アーリアとは違い、狂化しないで魔術行使する荒業。

 魔力で封じた狂化の抑制反動で、敵はクリスを攻撃するたびに自傷ダメージを受ける。彼女が現地にいたならば、間違いなくクリスの手に掛かって死んでいることだろう。


「せいぜい人間相手にしか有用でない防衛策だな。……無駄な足掻きだ」


 言いながら、クリスは自分が焦っているらしいことを自覚する。

 これはチャティスに対しての焦燥ではない。チャティスに危害を加えるもしくは加えているのならば、このような方法でクリスの足止めをする理由が存在し得ないからだ。

 直接チャティスを連れ立って脅せばいい。無用なものとして殺したのならば、わざわざクリスをこの場に招き入れた訳がわからない。

 ではなぜ自分は焦っている? 自問をしたクリスの前に、人影が再度表出する。

 言いようのない焦燥感に駆られ、クリスは先手を取ることにした。

 跳躍し、一気に距離を詰める。人影が行動を開始する前にその首を切断しようとした刹那、クリスは勢いを完全に殺し、時が止まったかのように停止した。

 自分が現れた時よりもわかりやすく驚愕で顔を染め上げている。


『アハハハッ! 何が無駄な足掻きですって? ハハハハハッ!』


 ミーリアの笑いが暗黒をこだまする。クリスは言い返すこともできず、瞠目したまま呆けていた。


「――サーレ」


 クリスの前にはかつて自分が殺した女が微笑んでいる。

 復讐に囚われ、なぜか赦し、人として生きる術を教えてくれた女性が。



 ※※※



 狂戦士の王国はやはりと言うべきか、規模は小さく、古城の広さすら持て余している状態だった。

 意を決して地下牢の階段を昇ったが、見張りらしき狂戦士は見当たらない。

 完全なる自由。オリバーという狂戦士ベルセルクは、チャティスの生死自体には関心がなさそうだった。

 あくまでも、狙いはクリス。同類であるクリスが保護すべき狂戦士たちを始末しているから諫めるのだ。

 そのためには流血すら厭わない。死闘が予期されようとオリバーはクリスとの決闘を望んでいる。


(それで誰が救われるの)


 チャティスは訊きたい。例え回答が明らかなものだったとしても、直接その口から聞いてみたい。

 そのために、チャティスは城主を捜索している。てっきり人間たちの王よろしく玉座の間にでもいるかと思ったが、そもそもオリバーは人間ではないことに気付き、別方向へと足を歩ませた。

 広く静かな廊下。どこかで女性らしき苦悶の声が轟いている。恐らくはミーリアが何らかの魔術を発動させているのだろう。


(ミーリアは魔術を使うたびに身体がボロボロになっていく。でも、あの花を使えば……)


 ポーチに目をやり、すぐに首を横に振る。

 チャティスはミーリアに花を渡す気になれなかった。たぶん、ここにいる狂戦士のほとんどに渡すことは難しいだろう。……少なくとも、今は。

 皆、復讐や憎悪の感情に幽閉されている。この古城と同じなのだ。

 自分たちを酷い目に遭わせた悪い人間たち。そいつらを殺したい。

 殴りたい、蹴りたい、八つ裂きにしたい、肉塊へと変貌させたい。

 そのような負の欲の虜になり、怨嗟を募らせている。

 そんな感情に囚われている者にこの花は渡せない。

 この花は狂戦士が人を自由意志で殺すための花ではなく、人と争わないようにするための花なのだから。


「……いましたね。やっと見つけました」


 城門扉。王国の入り口であり出口に目当ての人物は立っていた。

 誰かを待つように。チャティスはすぐに理解する。

 待ち人は確実に自分ではない、ということを。


「――逃げるか? 人間」

「必要なら。……私はチャームを持っています。これがどういう意味かおわかりですか?」

「無論。お前はあらゆる災厄を招く天災だとは理解している。だが、同時に人やバーサーカーに希望を与える天才だともな。……フェニは喜んでいたか?」


 オリバーが全てお見通しと言わんばかりの瞳を向ける。

 チャティスはその眼差しを受け――不快感よりもどうにかしたいという救済欲が湧き上がってくる自分に戸惑った。

 今すぐにでも、ここにいる狂戦士たちを解放してあげたい。でも、それはできない。

 再度自身を苛む無力感。結局自分には何の力もない。だが、それでも黙って諦めることなどできない。


「……いずれクリスがここに来ます。あなたもわかっているでしょう? クリスは強敵ですよ」

「ああ。奴は強い。それはお前と同等、いやそれ以上に理解している。……だが戦いは必然だ」

「なぜですか」


 質問者は無駄と知りながら問う。回答者は無為と知りながらも答える。


「奴の目的」


 オリバーはチャティスに目線を合わせながら言う。


「奴の戦う理由を俺は薄々勘付いているが……改めてお前からも聞いておきたい。奴が戦う理由はなんだ」

「……あなたと同じです。剣を取る理由も。バーサーカーを殺す訳も。……あなたはそれでも、戦うのは致し方ないと思っているわけですか」


 オリバーはその通りだと首肯する。


「その通りだ。同じだからこそ反発する。似ている者同士は馬が合わん」

「私は……! 私だってクリスと似ています!」


 幼稚とも取れる反論を、しかしオリバーは無下にしない。


「あくまでその似は、上辺だけだ。お前と奴は種族が違う。奴はベルセルクで、お前は人間だ。……似ていても、俺の場合とは本質が異なる。類似と酷似は別物だ」

「でも……ですが……!」

「お前が言いたいことはわかる。同じベルセルク同士武器を置き、話し合い、バーサーカーが争わぬ世界を創るため手を取り合えばいいというのだろう。だが、それは不可能だ。なぜ無理なのか、お前自身が一番良く知っているはずだ」

「……っ」


 チャティスは言い返せずに押し黙った。

 今回の件での最大の障害は、間違いなくクリスだ。クリスが絶対に譲らない。

 なぜなら、クリスはサーレを殺した自分自身を憎んでいるからだ。

 狂戦士はこの世に不要だと本気で信じている。サーレの理想に執着している。

 だから、人間であるチャティスの言葉ならともかく、狂戦士であるオリバーの言葉には耳を貸さない。

 しかし、だから諦めるという選択肢はない。無理は無理でも押し通す。

 自分は天才なのだから。


「それでも、です。話し合うべきなんです! 殺し合うのではなく語り合うんですよ! もし直接言葉を交わすのが無理なら私を仲介役として使っていい! 私がクリスとあなたの渡し船になりますから!!」

「どちらにしろ、俺は人間を信用していない。俺がお前を連れてきたのは、お前が信用するまでもなく馬鹿者だと明らかだったからだ。……お前は自分に暴行を働いたミーリアですら、恨んでいないのだろう? ここにいるバーサーカーは赤の他人だと言うのに、全てを救おうとしている。……強欲にもほどがある」

「そうです! 私は強欲です! 自己愛ナルシシズムの塊、世間知らずの常識知らず、身の丈を知らない狂愛者ナルシシスト! でも、私は諦めません! 私は天才なんです! 全部私に任せてください、お願いします!!」


 開き直ったチャティスは、オリバーに膝をついて懇願した。

 真摯で、切実な瞳。敵である化け物へ情をみせ、さも自分の一部であるかのように泣く。


「……自分勝手すぎるな」


 そう言うオリバーは小さく笑っていた。立て、とチャティスを立ち上がらせ、改めて口を開く。


「よくわかった、チャティス」

「わかって、くれたんですか!?」


 破顔するチャティスはオリバーの次の発言を待つ。

 オリバーは笑みを元の無へと戻し、チャティスへ告げる。


「――ああ、お前の意見を聞く訳にはいかないということがな」

「な……っ!」


 愕然とオリバーを見上げるチャティスに、彼は淡々と言い聞かせていく。


「お前の理想は眩いが、曖昧で不確定なことも事実だ。お前の夢は、確かに狂化戦争を非とする者たちに受け入れられるだろう。だが、是の者たちはどうだ? 確実に邪魔をしてくる。……お前は綺麗だが、しかし敵の多い道を進もうとしているのだぞ」

「そ、それは……事実ですけど、でも!」

「いずれにせよ、争いは避けられん。人間が生きている限りな。人は愚かで学習しない生き物だ。お前のような“天才”が現れることは認めよう。だが、あくまでお前は天才なのだろう? 一握りしか産まれんのなら、争いは絶えることなく永遠に続いていく」


 あえて天才を用いた言い回しにチャティスの反論の余地が狭められる。

 無駄な足掻きとわかっていたお願いだった。命令ではなく願い。指示ではなく嘆願。拘束力はなく、相手の情念に頼るしかない他人頼りの言葉だ。

 結果が推測通りでも、チャティスはちっとも喜ぶ気にならなかった。

 無力さに打ちひしがれていく。そんな彼女を励ますかのようにオリバーは声を掛ける。


「……いずれ殺すが、敵を殺す順序というものがある。――お前の村を最後としよう。仲間内に声を掛けておくといい」


 慰めとおぼしき言の葉も、今のチャティスには何の効力もない。

 ただ床に正座し、地面を見つめるだけ。

 呆然とする彼女の耳に、オリバーの声が聞こえチャティスはゆっくりと首を上げた。


「――しかし、もしあの男が聞く耳を持つと言うのなら善処しよう。もっとも、結果はわかり切っていることだがな」


 なぜだか、チャティスはオリバーの瞳にクリスと同等の優しさを感じた。



 ※※※



『固まってるじゃない。あなたは好き勝手言っても、結局敵を殺せない――』

「――邪魔だ」


 クリスは何の躊躇いもなくサーレの首を刎ねる。あっさりとしたサーレの絶命に、ミーリアは当惑の色を隠せない。


『な、なぜ!? あなたの戦う理由をいとも簡単に……!!』

「……理由だからだ」


 クリスは剣を振って血を落とし、鞘に仕舞いながら応える。


「サーレは俺が殺した。――殺した相手に幻覚をみせたところで、その事実は覆らない」


 もっともと言える指摘だった。

 クリスはサーレを現実で確実に、この手で殺している。

 何度も何度も眠れぬ夜にそのビジョンを思い返してきたのだ。

 よくサーレを知りもしない魔術師が創り出した幻影如きに、屈するはずなどなかった。


『くそ! オリバー様! ……何をしているのです、今ならこの男を殺せたはず。……あの女に……過去の人間おんなを見出しているのですか……私はこれほどまでに……あなたをお慕いしている……の、に……』


 その言葉を最後にミーリアとの交信は途絶え、黒い霧は霧散した。

 いつの間にか古城が目の前にある。クリスは城門を見据え、歩き出す。


「――オリバー。それがお前の名か」


 自らの敵を呟いて、己の目的を果たしに行く。



 ※※※



「来たか」


 オリバーは開いてもいない扉を見つめて呟いた。

 一拍遅れてドアが開く。その先に現れた人影が予想通りで、でも現れたタイミングが予想外で、チャティスは驚嘆の声を上げる。


「クリス!」

「チャティス。やはり無事だったな」


 クリスはまずチャティスに目を合わせる。が、すぐにオリバーへと視線を移し、剣の柄に手を置いた。

 溢れ出る闘志。無表情の中からでもありありと感じられる闘気。

 同じ気配がオリバーからも滲み、チャティスは咄嗟に間へと割って入る。


「――待って!」

「チャティス?」「……」


 二人とも、顔色は変わらない。

 だが、クリスは当惑しているように思えた。オリバーの方は予想通りだという風に見える。


「ここで戦っちゃダメ! ここにはたくさんの……バーサーカーがいるの!」


 言ってから――選択を誤ったかとの危惧がチャティスの心を駆ける。

 クリスにとっては願ったり叶ったりの狩場に近しい。自分の殺すべき相手が一か所に集っている。

 だが、クリスは柄から手を離す。オリバーも抜きかけた大剣を戻した。

 何で……? と疑問視するチャティスに答えたのは背後に立つオリバーだ。


「お前だ人間。……チャティスを確実に救うためには、ここで戦闘をするのは悪手あくしゅ。――そうだろう?」

「……ああ」


 クリスとオリバー。狂戦士ベルセルク狂戦士ベルセルク

 初めて口を交わした両者の敵意が色濃くなる。剣から手を離したのに、敵視の眼光はより鋭くなる。


「お前も、自分の守護するバーサーカーたちが狂化して同士討ちするのは避けたい。だから剣をおいた」

「その通りだ、ベルセルク。……クリスと言ったか」

「お前はオリバーだったな。……俺の敵」

「ああそうだ。お前は俺の敵であり、お前の敵が俺だ」


 二人は出会う前から、その手口を一目見ただけで理解していたのかもしれない。

 こいつは自分の敵だと。自分が殺すべき最大の宿敵なのだと。

 しかし、だからと言って許容する訳にはいかない理由がチャティスにはある。


「な、何で敵だなんだって決めつけてるの……!」


 強く出るチャティスだが、二人は取り合う様子をみせない。

 これは俺たちの問題で、人間であるお前に出番などない。

 二人の瞳はそう告げている。だが、そう言われて素直に聞くのは聞き分けの良い人間であり、チャティスは自分勝手な迷惑極まりない人間である。


「話して! 話し合ってみて、クリス、オリバーさん! あなたたちはきっと理解できるよ!」


 間を取り持とうと必死なチャティスの声を聞き、両者は首肯する。


「理解はしている」


 クリスがオリバーと自身の気持ちをチャティスに教える。

 そう、理解はしているのだ。どうあってもわかり合うことはないという理解は、会話を交えただけで終えている。

 どうしようもなくなり、ただただ思い通りにならない他者の心に翻弄されるチャティスに今度はオリバーが提案する。

 あるいは、それもクリスが胸の内に秘めていた想いと同じだったのかもしれない。


「無駄ではあるが、言葉を交わそう。……どうせ戦うのなら、別に問答を繰り広げても構うまい?」

「――いいだろう。チャティス、俺の後ろに来るんだ」


 言われた通り、チャティスはクリスの後ろ、城扉へ向かう。

 一番逃げやすい位置ではあるが、同時に二人の逃げ道を塞ぐ形となっている。

 ある意味、通せんぼをしていた。二人がちゃんと会話を行うかどうか。仲介者から監視役へと立場を移行する。

 俯瞰するのだ。傍観者として。

 見守るのだ。審判者として。


「――さて、では何から語ろうか。……なぜ俺たちがベルセルクへと昇華したのか。俺とお前なら、この話題が語り始めとして丁度良いか――」


 口火を切ったオリバーと静聴するクリスによる、狂戦士ベルセルク同士の対話が始まろうとしている。

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